カテゴリ:セピア色/若い時代( 163 )
youtubeで故郷を視聴
18/04/17のblogで小学校4年生時に罹災した鳥取大火について触れました。
その後、京阪神の同窓会のメーリングや同級生とのlineにこの話題を振り今も関連した投稿が続いています。
故郷鳥取でyoutubeからヒットした物で当時から今までの町並みをピックアップして振り返って見ます。

鳥取地震や鳥取大火でも焼け残った五臓円ビルのサイトからビル内部の解説をしているyoutubeがありました。火事の焼け跡には五臓圓ビルと県立図書館だけが残ってました。
五臓圓ビル ─ 鳥取大地震と鳥取大火の記憶をとどめた近代建築 ─



何かの観光PR映画のようです。当時結婚し長女が生まれた頃です。鳥取砂丘・砂丘センター・三朝温泉・三徳山三佛寺・橋津海岸・国鉄上井駅・三朝温泉キュリー祭等が懐かしく登場します。
【カラー映像】昭和45年の鳥取



昭和の最後、30年前です。まだカーナビが今ほど普及しいない時代によくぞ残っていました。
昭和63年の鳥取市内を走る



現在の鳥取です。高校時代トリセン百貨店前に県下で初めて信号機が設置されました。それが珍しくわざわざ自転車で遠回りして通った記憶があります。現在は中核都市として発展を目指しています。
2017中心市街地探訪085・鳥取市



今日の歩数は9,000歩。

[PR]
by okadatoshi | 2018-05-05 22:13 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(0)
50年前の垂水漁港(2)
2006/03/03のblogと同じタイトルです。今では66年前ですが。

神戸市市民健康診断を受診するために午前中は垂水区役所へ行きました。
通院しているので殆ど受診する必要はないのですが、前立腺肥大の検査を申し込むと割安になります。

絶食だったので朝昼兼用で少しだけリッチに、大阪王将 ウエステ垂水店で期間限定のサーロインステーキチャーハン+焼き餃子のセット@1200円にしました。
”餃子の王将”等「王将」の表示は良く見ますが両者の関係について
b0036638_18493796.jpg
小学校3~4年の夏には、垂水区にある母の知人宅でよく過ごしました。
つれあいがショッピングの間当時の記憶を探りながら散策。

前回掲載のblogの海神社の灯籠をカラー化して比較してみます。▼
b0036638_18493726.jpg
JR垂水駅から国道を渡ると浜辺でした。今は埋め立て地に三井アウトレットパーク マリンピア神戸が賑わいを見せ、明石海峡大橋が建設されています。
小4の少年が目にした淡路島は隠れています。▼
b0036638_18493701.jpg
海神社前の国道は交通量も激しく境内は駐車場になっています。▼
b0036638_18493688.jpg
今日の歩数は、8,000歩。

[PR]
by okadatoshi | 2018-04-23 18:53 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(2)
4月17日は鳥取大火の日
この日になると、1952年(昭和27年)の鳥取大火を思い出します。

先日書棚の整理をした折りに、”鳥取の災害”という冊子が見つかりました。その中の白黒写真を彩色ソフトにかけてみました。▼
b0036638_22081701.jpg
当時私は小学校4年生でその日は十六本松という砂丘地に遠足で、市内に戻るときに駅前方面から煙が出ていました。そのときは昼夜燃え続ける大火になるなど思いもよらず、遠足で疲れ銭湯に行きましたが、その銭湯も焼け落ちました。私の家の前が空き地のために、母屋が焼け落ちそこで火の手は終わっていました。家の塀や外に置いてあったゴミ箱は残りました。▼
b0036638_22081763.jpg
小学校は二部授業となり午前と午後で別の小学校の授業をしばらくやっていました。親戚の家にしばらく居ましたが罹災者には米軍のレーションが配布され、当時は珍しかった缶詰などが入った野戦用の食料で、美味しかった記憶が鮮明に残っています。▼
b0036638_22081732.jpg
2009/06/23のblogに小学校4年時の絵として焼け跡を描いています。

今日の歩数は1万歩。

[PR]
by okadatoshi | 2018-04-17 22:10 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(2)
つながりのある方々の出版物
教材の整理を始めたら書棚が少し空き、頂いた本を一か所にまとめました。

図書館や書店の本棚では、本を手に取ってページをめくるまで内容はわかりません。あらかじめ書評やメディアで情報を得ているものは、即手に取って読むかどうかの判断ができます。▼
b0036638_19241025.jpg
こうして並べてみると以前に私とすれ違った方々の名前があり懐かしく、バックグランドを知っているだけにどういう生き方をされたのか、伝えたいものは何なのか改めて知りたくなります。
自分史として一冊だけ出版したものから、大手出版社から数冊出し続けている専門家の方々まで幅広く並んでいます。▼
b0036638_19241015.jpg
限られてた分野を一生の仕事として掘り下げてリタイアの時間を待ちかねたかのように気迫のこもった資料的にも役立つと思えるものもあります。

著述業ではない方の本はほとんどが献本の形で、「自分を知っていて読んでくれそうだ」と思う方に配布しているようです。それらは、この世に生きた証として理解してほしいという思いが文面からにじみ出ています。

今では、blogという表現手段が身近にありますが、冊子という形にすることは己の関心事とのかかわりを見返す作業と契機になりかなりエネルギーがいります。
私の場合は、現職時代にかかわった冊子は機器利用に関わる業務的なものです。家族や孫に残したいというような生きた証ではありません。

並んだ本から「お前はどう生きて、何を伝えるのか」という声が聞こえます。
読み返し著作者の方々に感想を送れる時間をこれからは作りたいと思います。

[PR]
by okadatoshi | 2018-04-12 19:27 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(6)
「尼崎」巡礼(^^;)
18/03/07「塚口」巡礼(^^;)で私の住んでいた長屋が残っていたことにblogで触れました。
昨日はJRで教え子に呼ばれ、ついでに最初の着任校の下宿先を探しに行きました。

当時でも古い建物でした。周りはすっかり変っているものの55年前の建物が残っていました。人の住んでいる気配はありません。そのころは米屋の店舗で右側の急階段を上がっていくと精米器の上の部分が私の部屋でした。
食事はそこから離れた別の家でしていました。昭和の面影が残る迷路を歩きましたが、そちらは場所が特定出来ませんでした。▼
b0036638_17511838.jpg
阪神尼崎のちかくにあった勤務校の校舎が翌年阪急塚口駅沿線に移転し、それまでの2年間をここで生活をしました。

引っ越しは鉄道便のチッキで30kg、25kg、30kgの計85kgを送った日記にはあります。4/1に辞令交付があり4/7の職員会議まで何もなく、4/8にやっと教科書を入手。机が決まり4/9から授業開始。今なら、辞令交付と共に新任教員は研修所で宿泊研修、職員も毎日出勤でしょう。まだまだ余裕がありのんびりした時代でした。
5月中旬頃から土日の半分は生徒が4~8人のグループで遊びに来始めました。壁に穴が開きそこからネズミが飛び出し、深夜私の寝ている布団の周りをグルグル回り始める環境でした。この部屋の窓を見ると、当時遊びに来た生徒の顔が思い出されます。

夕方から、今年62才になる卒業生のグループのオフ会に合流し、ホップイン・アミングのディナーコースで会食。▼
b0036638_17511727.jpg
2010/09/14のblog班ノートで触れたメンバーで最近lineで8人が繋がっています。メンバーの一人が墓じまいで尼崎に戻り、集まれる人へ招集がかかりました。皆さんジムやハワイアンダンス、パートをこなし、舅姑の介護と旦那をあしらう報告が続きます。▼
b0036638_17511846.jpg
「先生は忘れているやろうけど親を説得し奨学金を勧めて大学進学をさせてくれた」とか、帽子を100個も作っている子が「先生の散策用の帽子を今度作ってくる」などと話してくれます。
帰宅後またlineで班ノートの電子版が継続。このように繋がれって行ける良い時代です。

今日の歩数は、9,000歩。

[PR]
by okadatoshi | 2018-03-11 17:56 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(2)
「塚口」巡礼(^^;)
天候も晴れ、つれあいはお出かけ。
昨日購入したばかりのadidasのシューズの履き心地を試すべく阪急沿線の塚口から武庫之荘まで複雑なコースをウォーキング。▼
b0036638_19095189.jpg
①最初の赴任先で住んでいた長屋の一角です。ここで結婚後、5年過ごしました。もう40年以上前ですが、まだ残っていました。風呂はなく近所の銭湯で番台の前で二人の子どもを受け渡し、帰りにたこ焼き屋によるのが唯一の散財。神田川~♪の世界でした。生徒が毎日のように遊びに来たことを思い出します。▼
b0036638_19095198.jpg
②010/10/13のblogで居心地のよい喫茶「Heart & Heart」として触れている喫茶店です。近くに大学時代の先輩の自宅があり、近畿中央病院に検診に行った折り立ち寄り、この喫茶店へも寄りました。私のスケッチを店内に飾って頂いています。先輩もお亡くなりになり足が遠のいています。スケッチの入れ替えをしましたが前回の絵は2013年のサインでした。座ればいつものように珈琲が出てきます。時折私のblogを見て頂いているようでブランクを感じることなく、昨日の続きのようにオーナーと話が出来ます。▼
b0036638_19095120.jpg
③地域の自転車屋さんとして頑張っている教え子氏の店。この犬はfacebookのフォロアーが800と言う店員犬のリラ嬢。店内にはなぜか私のスケッチの類いがあります。卒業生の消息などの話題で時間が流れます。
教師と言う仕事は、一粒で何度も美味しい仕事であったと再々確認。▼
b0036638_19095025.jpg
本日の歩数は、17,000歩。

[PR]
by okadatoshi | 2018-03-07 19:12 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(0)
終日雨の日
17/07/05に引き続き、今年度最後の前任校の学校評議員会へ出席しました。

説明する側の教員の二人が教え子。評議委員メンバーの同窓会長も教え子で、私は遠慮なく話せますが聞く側はどうでしょうか。地域の方の提言が具体的で参考になる内容でした。▼
b0036638_20135545.jpg
*   *   *
終日雨で散策もできません。

昨日県の関西本部で見た写真集の白黒写真をカラー化するソフトで遊んでいました。16/11/06のblogでも触れていますが緑系は発色が強いように感じます。
アルバム集の表紙です。その中から私が過ごした子どもの時代のものをピックアップします。まず表紙をカラーに。▼
b0036638_20135500.jpg
同窓会報に川端銀座世界館という映画館に触れた随筆があり文章に入れるカットを探していました。▼
b0036638_20135546.jpg
左は市内唯一の駅前の鳥取大丸。右は智頭街道西町から見た裁判所と久松山です。鳥取大火で自宅が焼けた後、この通りにある伯父の家でしばらく避難生活をしていました。懐かしい通りです。▼
b0036638_20135585.jpg
同じ時間と場所を共有している友人達にこれらの画像を送りセピア色の時代に浸っていました。
雨のため自宅に籠もり歩数は、3,500歩。

【追記】
カラー化ソフトで元の色の再現性を確かめて見ました。
左にあるのはネットから得たもの。それをモノクロ化したものをソフトで色づけしました。赤と黄色の再現性は高いですが、点在した青色や面積の小さな色は認識が厳しいようです。▼
b0036638_14140282.jpg

[PR]
by okadatoshi | 2018-03-05 20:16 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(8)
「イルカ」の歌が流れた時代
朝のBSプレミアムの7:30~7:45はつれあいの影響で連続ドラマを見る習慣がついています。
その後、”世界の街角の猫”や”自転車男”の画面になるとスイッチを切りますが、鉄道ものが出るとそのまま見入ってしまいます。
昨日から”歌のあとさき”になりました。
一人のアーティストの歌人生を曲でたどるもので4日続きます。

昨日はイルカの1回目で「歌を始めたきっかけ」に触れていました。
2回目の今日は、「歌手生活の2年間の休止期間に出版した絵本について」触れていました。▼
b0036638_20461051.jpg
この人は、デビュー当時から体型と語り口がかわりませんね。
やはりイルカの代表曲は、なごり雪です。▼



1970年代によく聴いた(聴かされた)のは日本のフォークです。当時は私も担任をしていて、阪神間の土地柄からか、生徒との距離も近く、しょっちゅう自宅へ誰かが遊びにやってきました。そのとき持ち込まれるカセットテープの中にイルカの歌がありました。当時の歌を聴くと彼らと共有した時代の空気感が思い浮かびます。

今の若い人が大人になったとき、高校時代を思い出させる歌は何でしょうか。
個性の尊重、多様な価値観が言われる時代ですが、若い世代を表す歌が霧散しているように思います。

今日は粉雪が舞い電機量販店2箇所を巡るコースで9,800歩。

[PR]
by okadatoshi | 2018-02-13 20:50 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(2)
38豪雪を思い出す
月初めの絵葉書に対して必ず返事をされるのが、学生時代の下宿先の若奥さんだったJさんです。
今日は冬の石川門の絵葉書が届きました。学生時代は大学はまだ城内にあり兼六園も無料で、4年間下宿先から歩いて登城しました。▼
b0036638_16225083.jpg
葉書には「1月中旬に70cmほど雪が積もり家の前の除雪に一世帯五千円出して業者にブルドーザーを頼みました。38豪雪の時を思うと屋根雪を下ろさずに良かったです。県では補正予算を組み除雪費用が例年の2倍になります・・・。」とありました。

当時の積雪の状態を気象庁のデータで調べてみました。私が大学1年生から最近までの、積雪の深さと降雪の深さを調べました。▼
b0036638_16225005.jpg
最深積雪を棒グラフで右軸に、降雪の深さを折れ線グラフで左軸にしてみました。1月27日が最も積雪が多く市内で181cmであることが分ります。▼
b0036638_16225027.jpg
1963年(昭和38年)の日記。
1月23日(水) 本日正午で金沢市内の積雪160cm。大正7年180cm以来の2番目の積雪らしい。戸も開け閉しめがしにくく部屋も薄暗い。部屋の温度は氷点下2度。市電は1週間前からストップ。表通りは背の高さを超す雪が連なっている。先ほどのニュースでは北陸線の列車は今夜から全て中止するとのこと。物価も上がり、小魚90円、ネギ1本5円だと奥さんが言っていた。中学も休みになり塾も自然休校。
(この家で塾を開き勉強を教えていました。このとき若奥さんは出産前で二日後出産。名前は雪子。)
1月27日(日) 昼の1時から夜7時まで3回雪下ろしをした。疲れた。周りに積もった雪があるので、雪下ろしではなく雪あげだ。市内は気象庁発表で181cmで史上最大の豪雪。金鉄調べでは230cm、県の土木局調べでは、225cm。これで雪の峠は越したらしい。石川スポーツセンターが(雪で)潰れた。

石川門は懐かしく金大生のシンボルでした。今は落城し郊外に移転で残念。当時、大学受験案内や大学生協広報紙の表紙を引き受けたときの下絵です。▼
b0036638_16225038.jpg
今日の歩数は、7,000歩。

[PR]
by okadatoshi | 2018-02-05 16:25 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(0)
以前住んでた公団の分譲住宅
”ブルメール舞多聞で”買い出し。つれあいがショッピングの時間が欲しいとのことなのでその間ウォーキング。時間的な余裕があるので、戸建ての前に住んでいた集合住宅まで歩きました。▼
b0036638_21052535.jpg
105号棟の104。一階ですが裏手は斜面になっており、長女が通っていた小学校が見下ろせます。▼
b0036638_21052400.jpg
当時は32才で尼崎市内に住居も勤務校もありました。
日記を読み返すと、子どもが二人になり、文化住宅と称された民間アパートではさすがに手狭になってきました。川西の能勢とか千里の分譲マンションなど手当たり次第に申し込み落選している記述があります。その中で神戸の舞子の公団があたりました。

前後の日記を読み返すと、母校から「数学教員の空きがあるから戻らないか」と、公団の頭金の準備をしている最中に電話がかかり悩んでいます。欠員予定の教員が退職ではなく休職なので3月までは講師という待遇ということが分かり、神戸への転居を決めました。そうなると物理的に尼崎市へは通えなくなり、校長に神戸地区への異動の相談に行きました。学校は教育問題で揺れ続け、若いときの日記帳には長い文章が続いています。

1974/9/13に鍵の引き渡しがあり、9/22に初めての持ち家に住むことになりました。大阪方面の公団があたればそのまま阪神間の学校に勤務をしていたでしょうし、あるいは神戸の分譲が当たらなければ、故郷へ戻っていたかも分りません。人生は後戻りのできない阿弥陀籤。
何かのきっかけで日記を読み出すと40年前に簡単にワープをしてしまいます。

それまでの風呂もなくトイレも水洗でなかった生活から、新しいコミュニティに移り活気に溢れた当時のことを改めて思い出しました。団地内にコープがあり買い物も簡単でつれあいは新しい家のレイアウトを喜んでいたようです。▼
b0036638_21062416.jpg
今日の歩数は9,000歩。

[PR]
by okadatoshi | 2017-11-27 21:09 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(2)