この日関西のマスコミは、終日「事故から一年」特集でした。
所要があって県庁前の地下鉄に乗るとき目の前の県境庁舎屋上のに半旗が掲げられていました。
中央は朝の毎日新聞。右はJR東日本の新大久保駅の24日の山手線不通の報道。会社が別組織になったとはいえ大量輸送機関のトラブルが、事故防止を誓ったはずの脱線事故1年目のこの日に起きたということは象徴的です。
網の目のように広がり主要ターミナルの地下鉄の乗り入れが立体的に交差している危うさの上に成立している「生活の便利さ」。見直しが言われながら、抜本的な解決がなされないままに次のショッキングな事件の報道にいつもかき消されていきます。
機能の集中化、各ポジションのトラブル情報と改善策の欠落など高度な情報化社会の情報が血流のように流れなくなったとすれば、同じような大事故の可能性は常に内包しています。 組織の情報共有にあり方がほんとうに問われています。