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”NEW教育とコンピュータ”の執筆記事
2007/11/16のblogで、”学研「NEW教育とコンピュータ」の休刊”という表題で”NEW教育とコンピュータ”のことを書き残してします。
1985年に創刊し23年間発行され、当時のパソコン教育を情報面で牽引した雑誌でした。執筆者のおひとりから当時の掲載紙探しを依頼されました。私自身も執筆した雑誌が手元になく、当時のパソコン仲間のTさんに持っていないか問い合わせました。
するとなんと私からNEWのバックナンバーを預かっているとのことです。
Tさん宅は農家でものを収納する十分な倉庫スペースがあり、手狭になった私の書斎から彼の倉庫に預けたとのことです。
”NEW”を創刊するときに企画委員として雑誌つくりに協力し以来、発行された雑誌が献本されました。
私の記事も見たくなり、本日は午後からTさん宅へ。

段ボール箱の冊子から私の執筆した号を抜き出すしました。我ながらこんなに執筆していたのかとびっくり。▼
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とても持ち帰れる量ではないし一部欠番があるにせよ一か所に置いた方が資料的にも使えるので、執筆部分だけ後程PDFで取り込んで頂くことにしました。
当時の執筆の方で今なお大学や関連業界の第一線で活躍をされている懐かしい顔があります。
気になったページをいくつかデジカメで撮りました。

創刊号の座談会です。▼
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当時マークカードによる成績処理のプログラムの開発をしていました。SHARPやSEKONICのカードリーダを使いカードや処理ソフトをつくりました。多くの学校で使われていました。▼
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これは学校の廊下などにパソコンを置いて生徒が単体のパソコンに自由に掲示板に書き込みをして擬似的なコミュニケーションができるソフトの紹介です。編集部からそのような機能のソフトがないか依頼を受け、私が作ったものです。▼
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当時はexcelなどなく正規分布表をbasic言語の中で計算し偏差値処理をするソフトです。正規分布の補間点を内部に抱えシンプソンの公式を使ってZ点を求めるもので、学校の進路指導で使われていたと思います。▼
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パソコンン通信時代の教育用フォーラムのシスオペをやっていました。全国の教師が開発し善意で提供されたフリーソフトのライブラリー一覧の紹介です。▼
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ページを開くうちに当時のパソコンを教科で有効活用し他の学校にも広めたいという熱気を思い出しました。
by okadatoshi | 2016-07-01 20:26 | 情報/数学/授業 | Comments(17)
Commented by TanMatsui at 2016-07-01 22:28
良いヒントを頂きました。 私も実家の書庫に 日本化学会の雑誌に執筆した雑誌がありますが、
私の場合は 製本していますので、次回の帰省時にこれを撮って、ドラえもんに保存しておきましょう。
何かの時に ブログのタネに使えますね。
 
Commented by okadatoshi at 2016-07-01 22:33
Hiroさま
現職時代の事でも時間を置くと新鮮に当時の事を見返すことができます。
私の場合は、次の教材をどうするのか、そのネタ探し的な動機もあり、そのことが最近のややコメントのつきにくいblog内容になっています。
Commented by 和田 伸也 at 2016-07-01 22:54 x
 Newへの執筆ものすごいですね。流石です。
 当時は、座談会に参加されていた方々を羨望の眼差しで見ていた私。何とか、当ブログにたどり着き、「New教育とマイコン」執筆がらみで、メールのやりとりができるなんて夢のようです。
 譲っていただいた、自分の執筆記事が掲載されている「New教育とマイコン」3号分、大切に保管いたします。
 本当にありがとうございました。
Commented by 和田 伸也 at 2016-07-01 23:02 x
 まだインターネットが普及する前の時代。パケット通信をするために、アマチュア無線の免許を取得しました。近場の先生方を誘って、TNCを使ってのパケット通信をしたことが思い出されます。「草の根BBS=ボランティア」中継地(430Mhz帯レピーター)のために、パンザマストを建て、ローテーターまでつけてしまいました。
 もちろん、インターネットの普及で、廃れてしまい、無線機&TNCは押し入れの中で眠っています。無線だけは、たまに使っていますが。
Commented by okadatoshi at 2016-07-01 23:11
和田さま
団塊世代の、プログラム開発の時代は、いまの若い方には理解できないでしょうが、恐るべしと思っています。
rbbsは、私も少し、やりました。
Hiroさまとお話が合いそうな。(笑
Commented by 和田 伸也 at 2016-07-01 23:44 x
とし様
本当に懐かしいです。
プログラミングにはまっていたときは、それこそ、家内は、パソコン未亡人状態でした。
よく、捨てられなかった(笑)と思ってます。
現代社会では、もう通用しないんでしょうかね。そんな無茶苦茶!
Commented by okadatoshi at 2016-07-02 08:04
和田さま
パソコンウィドー状態にさせたのは私も同じでした。
今でも「仕事と称して好きなことばかりやっている」と言われます。
つれあいは山歩きが好きで、少しは共通部分もあり適度に一緒の時間があってバランスが取れているのかもしれません。
ご褒美の時間にかつての教え子とSNSでも突然につながりいい時代を過ごしていると感謝をしています。
Commented by TanMatsui at 2016-07-02 10:07
2012年に こんなブログを載せていました。 
次回帰省したら、とし様が載せられたような
未製本の棚を撮って、ドラえもん保存をしておきます。
http://tanmatsui.exblog.jp/14829599/
Commented by okadatoshi at 2016-07-02 19:41
Hiroさま
現職時代に毎年の数学の入試問題と解答の冊子を購入し保存をしていました。
最初は旺文社、途中から聖文社。
退職時に現職の数学の教師に譲りました。
こういうバックナンバーはいざ見ようと思う時には手に入らない貴重なものですね。
Commented by 和田 伸也 at 2016-07-02 22:57 x
New教育とマイコン1990年1月号~3月号、ついに自分の手元に届きました。
とし様、本当にありがとうございました。
ぼちぼちとスキャンしてPDFにして保存しておきます。
当時受け持っていた子どもたちと、LINEでがっちり繋がっています。
先日は、教え子とその子どもたち合計40名余で、我が畑のジャガイモ掘り&カレーパーティ楽しみました。
今考えると、6年生の担任しながら、夜な夜なプログラミングしてたんですね。よくできたもんだと、自分を
褒めたい気分です。
Commented by okadatoshi at 2016-07-03 06:00
和田さま
当時は学校に数台入り始め個人で購入するにはまだまだ高価でした。
24ピンのドットプリンターが30万円もしました。
貴重品のようにパソコンを扱っていましたが、活用する教育での活用情報は、パソコン通信のNEC系のpc-van内のSTSか富士通系のNiftyのFCAIでした。

私も久々に、熱気に包まれたソフト開発の時代を思い出しました。
そういうものの延長線上に今のICT時代が繋がっているという思いもあり案す。
Commented by 和田 伸也 at 2016-07-03 10:46 x
とし様
24ドットプリンタ含めると、軽乗用車1台購入できる金額でしたものね。
記憶メディアもカセットテープ(SharpX1ターボ)→8インチFD→5インチFDと推移、それまで、一太郎などはフロッピーディスクを数回差し替える手間があったので、HDDを始めて購入して使用したときの感動は忘れられませんね。20MGで20万円くらいだっと思います。
とし様も、私同様、PCにどっぷりはまった一人なんですね。
Commented by okadatoshi at 2016-07-03 12:10
和田さま
HDディスクは1メガ1万円の時代でしたね。
私の場合は、パソコンが手に入る少し前のまだ電子式卓上計算機と言われた時代から係わりました。
「プログラム電卓発売時のパンフレット」に当時のパンフレットについて触れています。
http://okadatoshi.exblog.jp/18276290/
メーカーから数か月機器を借りて、成績処理プログラムを作っていました。
sharpやolivettiの教育用ライブラリの冊子を作りました。

当時は高校全共闘運動も盛んで、疾風怒濤の時代をよくくぐり抜けて生き残ったと思います。
今の仕事が外れたら、当時のことをまとめてみたと思っています。
Commented by 和田 伸也 at 2016-07-03 15:06 x
新採当時カシオの電卓が9800円でしたね。
それにしても、すごいですね。そんなころからプログラミングしてたなんて驚きです。
シャープ製のマイコンは使用してましたから、知ってましたが、オリベッティ製があったなんて初耳です。
すごいなあ!
Commented by okadatoshi at 2016-07-03 15:57
和田さま
olivettiはP6040という今のパソコンの原型です。
http://okadatoshi.exblog.jp/18276290/
の末尾にパンフが出ています。
当時文部省の理振法の1型の基準が内部演算メモリが1メガでした。
この製品は輸入時に4メガの容量があったのですが、文部省の仕様にあわせるために内部の配線を切って1メガにダウンさせて審査を通っていたものです。
カシオとシャープの電卓競争は激しかったですね。
大和郡山市のシャープの工場には何度か行きました。
当時は発表前のパソコン(PC5100=言語はミニフォートラン)の発表直前のマニュアルコピーを渡されて成績処理のプログラミングをしていました。
当時私が作って渡したバイオリズムの出力プログラムが東京晴美の見本市で使われたり、万年カレンダーの打ち出しソフトが工場の受付のデモ機にも使われてました。
当時は著作権など意識されることはなくアバウトな時代でした。
Commented by 和田 伸也 at 2016-07-03 19:15 x
とし様

パンフレット確認しました。
まさにPCの初期時代から関わっていらっしゃったんですね。流石です。

プログラム開発時、これで大丈夫だろうと RUN → syntax error
気を取り直して修正 → RUN → syntax error ・・・この繰り返し!
バグが直って成功すると 「やったあ!」と真夜中にも関わらず、大声を
出して飛び上がってしまう。・・・・ まさに至福の瞬間です。
こればかりは、経験者のみが理解できるんでしょうね。

次回の指導要領改定で、小学生にもプログラミング学習が必修になりそうで
すが、どうなんでしょうかね。失敗を成功に導く努力と成功したときの充足
感、是非とも味わってほしいのですが。 
Commented by okadatoshi at 2016-07-03 21:13
和田さま
小学生のプログラミングでは、プログラム的な考え方という表現で
プログラミングという言葉は避けています。

指導者の問題をどうするのでしょうか。
小学校は畑違いですが、大丈夫なのかと懐疑的な気持ちの方が私には強いです。
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