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降雪量に見る暖冬化
某所の講義で気象庁のサイトから入手できるデータをもとに温暖化傾向の確認演習をしました。昨日は、全国的に強風と雪がゲリラ的に襲ったと報じています。

講義の延長として降雪量をグラフ化してみました。
4年間学生時代を過ごした金沢の60年間のものです。これで、見ると1986年が突出しています。
その中で1月だけについて取り出したものが下段です。1963年の1月が50センチ近い降雪であることが解ります。当時除雪機能も低く融雪設備のない時代で都市機能が麻痺し深刻な状態でした。
累積されて市街地は2メートル近い雪の量でした。いわゆる“38豪雪”です。▼
b0036638_12455223.jpg
塾経営の家に住み込みで下宿していました。昭和38年当時の日記から雪の部分の抜粋です。

1月16日(火) 二日前から市電がストップ。今日も兼六園を歩いて大学に行ったが大通りは屋根から降ろした雪と道の両側に押しのけられた雪が一緒になって延々と背の高さ以上軒端を連ねている。
夜は氷点下マイナス1度から0度の室温。
1月23日(水) 正午で市内の積雪が160cm。大正7年の180cmの積雪に次ぐ史上2位の積雪だそうで、戸の開け閉めがしにくい。雪かきが続き腰が痛い。室温は氷点下2度。市電はストップのまま。
先ほどのニュースで北陸本線の鉄道はすべてストップ。物価は高くなり、小魚90円、ネギ1本5円だと奥さんが言っていた。この家の若奥さん、明日かその次お産をする。
1月25日(金)pm10時のニュース。野菜、プロパンガスの不足、引き続き大雪注意報、まだ2~3日続くそう。86の部落が石川県内で孤立化。
Gから電話があり北小路(トリスバー)に行く。2~3時間で帰り10センチ積もる。道は軒と同じ高さの雪が積もり背の高さの2倍以上。雪の高さは2mは越すだろうとのこと。
1月31日(木) 昨日に続いて今日も学部の除雪作業。無料奉仕。法文・教養部では一人700円でバイト公募。

久々にまた“パンドラの箱”を開いてしまいました。
by okadatoshi | 2014-12-19 10:35 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(6)
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Commented by kazewokiru at 2014-12-19 13:56
okadatoshi様

貴兄は凄いね・・同い年とは思えないわ。
僕なんぞ、定年退職してからはね、、、
ずっとお上のお世話になってる。その日暮らしね。
悔しかったら 真似してみなはれ。
怠惰な暮らしは辞められないわ。毎日幸せ。楽で良いでごわす。 
       By.偽小肥り
Commented by okadatoshi at 2014-12-19 15:18
kzewokiruさま
なんとコメントをしたらいいのか。
本物の小肥師匠にお任せしたいところです。
Commented by TanMatsui at 2014-12-19 16:11
私も半世紀ばかり前から、当日の天候、気温添付で、欠かさずにほぼ同じ記録をしています (アナログ日記へ)
昭和31年から38年までは境港で勤務し、38豪雪の年に広島に転勤して現在に至っています。
この間 半世紀の間に境港で大雪が降ったのは2011年、 この時はブログに載せています。
http://tanmatsui.exblog.jp/11887853/

とし様のこのブログに積雪と対比した気温グラフが欲しいですね。
なお、私のアナログ日記 (パンドラの箱) は公開する気になりません。 
Commented by shinmama at 2014-12-19 22:37 x

パンドラの箱を開けていただいたおかげで
学生時代のokadatoshi様を取り巻いていた環境がわかり 
面白く拝見しました。
何より、雪の深さや気温、また物価などが 数値で残されているので
今と比較しやすく 情景も良くわかります。

>この家の若奥さん、明日かその次お産をする
大きなおなかをした奥さんのことも 心配だったのでしょうね。
Commented by okadatoshi at 2014-12-19 23:17
Hiroさま
出先から10時過ぎに帰宅。
遠い昔、雪で一面真っ白になった風景を懐かしく思い出します。
しかしそこに生活をする方にとっては難儀な風景ですね。
今の金沢は雪が降っても、水が道路わきから噴射され幹線道路は
積もらないようです。
Commented by okadatoshi at 2014-12-19 23:17
shinmamaさま
その時生まれた女の子の名前は、「ゆき」です。
雪が多い年に生まれたからといたってシンプル。
当時の大手新聞が空輸されて配達。
一面大見出しで「死の街金沢」という題字が踊っていたような記憶があります。
大学も十日間休講でした。片町という繁華街があり道路が狭く積もった雪のために
電線をまたいで通りました。
それでも停電はなかったです。
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