母校の分厚い同窓会名簿が宅急便で届きました。
最初のページに歴代の行事や建物が掲載されています。▼
懐かしくなって見開きにある現在の母校周辺と、1961年3月に卒業したアルバム写真と場所を比較して見ました。
現在は山陰本線は高架にされかつてあった田んぼも宅地で覆われています。▼
正門です。鉄筋校舎に建て替わり道路も舗装されています。当時は木造校舎で男子は全員制帽を被っています。雨の日でレインコートは学校指定のものです。
ここで写っている級友の名前は今でも言えます。▼
京阪神支部の支部長職のバトンタッチを失してしまい名簿に掲載されています。
高校には教師としても関わったので、同窓生名簿を見ると他校のケースと習い性で比較してしまいます。
掲載を希望しない同窓生については、空欄とあります。卒業生の進学先は年度が現代に近づくと空欄が目立ちます。ほとんどが進学ですから掲載拒否が増えたのだろうと思います。名簿は最初が男子、次が女子です。名簿が男女混合名簿かどうかはわかりませんが、3万人近い過去のデータの組み替えが煩雑すぎることもあるのでしょう。
旧中学時代の1期生の名簿では生存者は1名。今年100歳です。その後は95歳あたりからご存命の方が少しずつ散見します。
現職時代の勤務校の名簿もついでに見直して見ました。
こちらでは、掲載拒否の方hは、“*”マークをつけてあります。
職員の中にも、結構教科名以外は、名前も含めすべて“*”という方が結構います。
住所の削除はかなりあり、これでは名簿で同窓生と連絡を取り合うという本来の用途をなしません。
今の時代と地方と都心の学校という差もありますが、最も大きな理由は名簿業者に利用されるのではないかという個人情報拡散への恐れと、母校への思いが希薄になったということがあげられます。
現職時代走り続けて、やっと迎えたご褒美の時間に故郷や母校へ回帰という心境になる方が多いです。同窓会へ出席できる方は精神的・物質的に安定しゆとりのある生活を送っている方が多いのだろうと思います。
母校と関わり続けることは最終のボランティアといえるかも知れません。