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従軍作家たちの戦争
昨晩のNHKスペシャル「従軍作家たちの戦争」は、68年前の太平洋戦争の中で、すすめられた陸軍のメディア戦略を映像をもとに報じた興味深い内容でした。
当時の作家が国策に協力をしていかざるを得ない状況と時代を改めて描いています。

『放浪記』で著名な林芙美子も、内閣情報部の『ペン部隊』の紅一点として従軍し国威掲揚の報道と講演をしています。▼
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陸軍が注目したのは『糞尿譚』で芥川賞を受賞した兵隊で作家だった火野葦平で、彼の体験と生き様がこの番組の主軸になっています。
火野の執筆した『麦と兵隊』、『土と兵隊』、『花と兵隊』を合わせた「兵隊3部作」は300万部を超えるベストセラーになりましたが、父親に送った手紙には、「・・・傷ついた捕虜が僕を見て打ってくれ・・・」と目と手振りで訴え打ったことを伝えています。また、軍からの『制限はおおきいなもの』と戦後に述べています。▼
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当時の作家は、陸軍下に協力をし、フィリピンには、火野葦平、石坂洋二郎、尾崎士郎が配置されています。▼
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火野は占領下のオードネルで積極的に大東亜圏の建設にペンを振います。▼
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菊池寛は、日本文学報国会が軍主導で結成され、大東亜文学者大会の菊池寛は議長を務めています。▼
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戦後、火野葦平は戦争協力者として公職追放されますが、その後自らの戦争責任をを問うた『革命前後』を執筆。遺品の中で『麦と兵隊』に父親の書き送った捕虜殺傷部分を加筆し「これを最終稿とする」としています。
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『革命前後』 を執筆した火野の心情や読者からの戦争責任の問いかけは、「原爆文学」探査⑩で坂口博氏が述べていて参考になります。

火野は、1960年(昭和35年)1月24日、自宅の書斎で死去。享年53。
最初は心臓発作と発表されましたが実は、遺書があり睡眠薬自殺と発表されたのは、13回忌の時です。
背を向けていた私という表題で、鶴島氏(火野葦平資料室)の対談を読むと火野氏の執筆活動の心の動きがよくまとまって描写されています。
by okadatoshi | 2013-08-15 20:44 | メディア | Comments(0)
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