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2年後には戦後70年
8月15日は、ポツダム宣言受諾による日本が敗戦国となって日です。
アメリカの占領軍を進駐軍と言い換えたように、敗戦ではなく終戦という言葉を使っていますが、日本の歴史の中で国が敗れた日で、敗戦にいたった原因と責任を考える日でもあります。
“終戦という表現”は静的で暦をめくるような時間の経緯と、日本人の歴史観に見る諦観を感じます。

今朝の社会面の毎日新聞のトップ記事です。
日本軍の作戦や捕虜の扱いについては写真や資料が多くあるなか、場所や史実との合う具体的な資料としては、中国側の「銭家草惨案」の記録と一致する第一級の資料-と笠原一九司(都留文科大名誉教授)のコメントにあります。▼
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南京虐殺、日本軍の慰安婦への関与を巡っては、その真偽や事実判断で多くの報道があります。
最近の論調は、これらの問題が中国・韓国の外交カード化する中で、事実に基づく論議を装いながら“ためにする”フィルターがついた論議になっているように思います。
徐々に戦争に関わった世代の体験や言葉が聴かれなくなる時の流れがあります。
敗戦から何を学び次世代へどのような国の仕組みを渡しておくのか、それぞれの立場の“一生懸命”がぶつかり合っているように思います。
敗戦を終戦、占領軍を進駐軍と教えられ、学校では現代史の部分は抜け落ち、自国の政治のありようを教師や親から話されることもなかった世代が、もう大部分を占める人口構成になっています。

今回の記事を見て、久々に本棚の“毎日グラフ”別冊 日本の戦歴(8/1 1965)、臨時増刊 続日本の戦歴(11/25 1965)を開いてみました。
これらは、戦後20年の節目として1965年に出版されたものです。▼
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巻頭から抜粋します。
ここに掲載されたものは毎日新聞特派員の撮影による二万四千三十八枚のネガから選んだものだが、そのほとんどが当時検閲局から報道「不許可」となったものである。毎日新聞社が後世に伝えんとして、空襲からの焼失、また進駐軍当局の追及の手から守らんために転々とその場所をかえ、最後には毎日新聞の大阪本社の地下倉庫におさめられたもので、梱包のナワはなえ、その形はくずれ色あせたものになっていた。
殺すか殺されるか、船上という以上に場に立たされた兵士の姿。あなたご自身。あなたの夫、あなたの父、兄弟が無名の戦士として立たされた姿がここにある。(中略)
この『日本の戦歴』には英雄は登場しない。ここに戦争の悲劇がある。戦争はくり返してはならない。これが『日本の戦歴』を世におくる趣旨である。


あと、2年すると戦後70年となります。この写真集が出てからさらに50年経過します。
70年の節目に、あの戦争をどのように伝える出版物が出るでしょうか。
史実の報道ではなく、マスコミが自己規制した時の政権が醸し出した“雰囲気”に沿った報道がされるようになってはいないでしょうか。
そうなれば、“戦後70年”ではなく、“戦争 直前”となっています。

写真は陸戦隊竹下部隊に捕虜となった中国正規兵 戦争の残虐さをあまりにムキだしたゆえに 不許可となった写真だった(1937年=昭和12年8月23日)▼
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出撃を前に“けつ別の写真”彼らは輸送機に分乗し沖縄本島に強行着陸 きりこんでいった 一人も帰らなかった 昭和15年3月▼
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知覧特攻隊 出撃前夜 あす死ぬとわかっている若者が安らかな寝息をたてていた 中には眠れぬまま目だけを必死に閉じている者もいたかもしれぬ しかし板張りの三角兵舎の中は静かに「あす」のくるのを待っていた 時計だけがコチコチと動いていた▼
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南昌飛行場への強行着陸(藤田 画) 戦後はフランスに住み着いた藤田嗣冶画伯も、従軍のため徴用された。▼
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終戦日に平和を考える企画がこの時期にあります。

2013年8月15日(木)午後7時30分~8時43分に、シリーズ日本新生 戦後68年「いま、"ニッポンの平和"を考える」が放映されます。
by okadatoshi | 2013-08-14 12:35 | メディア | Comments(2)
Commented by shinmama at 2013-08-14 20:19 x

1965年は妹が生まれた年ですが、
その時に 発行された毎日グラフを 見る機会は 私には無かったので拝見させていただき 大変ありがたく思っています。

1965年に 戦争の生々しさを 資料をもとに伝えたとき、 20年前のことを思い出し、理解できる国民が大勢いた時代だったのでしょうね。

先日 嫁が平成生まれであることを知り ビックリしました。
信じられないくらい 時が速く過ぎ去り、昭和が 遠くなってしまった気がしました。
Commented by okadatoshi at 2013-08-14 23:04
shinmamaさま
ほんの少し前に、明治百年の行事が行われたように思いますが
昭和百年の行事もされるのでしょうね。

12月8日が真珠湾攻撃の日として記憶してない、ジョンレノンが
暗殺されて日が頭に浮かぶと職員室で話題になったことも記憶の彼方。
今の若い人には、何の日かわかっていません。

平成生まれの人にとって、昭和は歴史の中でしょう。
というか、もう年号より、西暦にすっかりなじんでいます。

このグラフ雑誌には広島の惨状も写っていますが
あまりに悲惨で掲載はやめました。
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