絵とのかかわり>(2)小学校4年まではクレパス
タイトル(1)に引き続き2回目です。

通っていた“小さき花園幼稚園”はカトリックの教会内に併設されており、アメリカ占領軍(当時は進駐軍と言い換えていた)の兵士が教会の礼拝にも来ていました。
教会の前の道路を使って兵士らがキャッチボールをしていました。
よく描いたのは、アメリカ軍のジープです。車の後ろにはガソリンタンクのような長方形の入れモノを次のようなイメージで描いた記憶があります。▼
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絵が好きで、小学校に入ってサクラクレパス主催の全国絵画展に応募し、毎年佳作か入選の賞状を集めていました。
しかし、1952年(昭和27年)4月の鳥取大火で家は全焼し、小学校3年までの作品は残っていません。
どういう経緯で、池本先生の画塾に行きだしたのか記憶の彼方です。
池本先生の絵画教室は、庭に面した大広間の中央に静物が置かれ、描き上げると先生が見て寸評と必要に応じて手を加えられることもありました。大人の人も一緒でした。

小学校4年生までは、クレパスを使った作品ばかりです。
この壺と水差しは、よく登場しました。壺の黄緑の塗り方が平板です。▼
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かぼちゃの陰影に工夫が見られます。▼
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この作品には学年や描いた年に係るものがないので、年代は不明ですが、クレパスを使っていることと、鳥取大火の様子なので小学校4年生の4月頃と思います。
橋が焼け落ちているところ記録しています。
焼け跡に残った金庫が印象的だったのでしょう。▼
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by okadatoshi | 2013-03-25 12:10 | 絵ごころ | Trackback | Comments(4)
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Commented by kazewokiru at 2013-03-25 13:39
okadatoshi 様
お母さんが大切な絵を残しておられたのか、toshi少年が残していたのか?
当時としては絵画教室に通っておられるのは、特異なご家庭ではなかったのでしょうか?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%8F%96%E5%A4%A7%E7%81%AB
恥ずかしながら初耳でした。
Commented by maruyamakazuyo206 at 2013-03-25 14:14
toshi様
残ってはいませんが、自分の,小学校のころの絵を 思い出しました。小さな丸いテーブルに、林檎がのせられている絵、そしてその絵が、学校の中央廊下に展示されました。でも一回きり(絵ごころはなかった)かぼちゃのブルーがすきです。
Commented by okadatoshi at 2013-03-25 14:50
kazewokiruさん
鳥取大震災の時は、京城(現ソウル)でしたから被害にあってませんが
敗戦と共に故郷に戻り、生活が安定しかかったころに、焼失。
しかし、身は大丈夫でしたから生きていくには支障はありません。
確かに習い事などという習慣は当時は一般的ではなく
好きだから母親がいかせたのでしょう。
短歌の世界で池本さんと繋がっていたのかもしれません。
Commented by okadatoshi at 2013-03-25 14:50
maruyamakazuyo206さん
何かのきっかけで絵を褒められて、きをよくした延長線上に
今があるのかもしれません。
孫や子供には注意ではなく、褒める方がいいかも。
#子供には効果はもう遅いけど。
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