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私の小学生日記(2)
昨日と同じタイトルです。
小学校時代の5年と6年の日記を比較してみると、行動の記録であった5年当初のものから、興味のあったことや自分の気持ちを織り交ぜた副詞も使われ変化をしています。
また、文字も書き馴れた文字に大きく変化し、その後の書体に繋がっています。

(1954年)九月五日(日)
内村鑑三をいっきによみきりました。
昼から中村まさちゃんのアパートにあそびに行きました。中村さんのしんせいのあけみちゃんも、きのうから、とまりがけできていました。
なしやアイスボンボンをもらいました。
しょうぎなどもしました。おじさんとほんしょうぎを、しました。
おじさんはひしゃとかくをとってです。約三十分~一時間しました。
ぼくがまけました。五時ごろ中村さんの家から帰りました。
私の小学生日記(2)_b0036638_20103054.jpg
文中に登場する中村さんとは親しくしているようですが、記憶からは抜け落ちています。
しんせいも親せきの誤記かもしれません。
かすかに“まさぁちゃん”という名前を憶えています。
この時期は周りからの刺激をひたすら取り込む時期のような気がします。
それらの中の一つの因子が沈着し核にり興味関心が育っていくのでしょうか。
私の場合には、習い事で絵の先生についており、紙面構成への興味が育ったように思います。
何があったのか見られたくないことがあったのか、6年の日記の一部のページが切り取られています。親しかった児童の事故死があったので、それに関係のあったページなのかもしれません。

ほぼ毎日日記を書き続けており、このあとは中学に入ります。
さすがに自我に目覚め、日々の行動記録が主だった小学校時代から、自分の気持ちや友人の好き嫌いなど内面に触れた内容が出てきます。
小学校時代と異なりそれらをblogに公開するのは躊躇する内容です。(笑)
自分の書いたものを見ると、年ごとの精神の変化が小中高時代には読み取れます。
by okadatoshi | 2013-02-21 20:15 | セピア色/若い時代 | Comments(2)
Commented by kazewokiru at 2013-02-22 09:49
okadatoshi 様
お仕事柄、とうとうご自身の分析が始まりました(^^ゞ

僕も生まれ育った頃(生家)が、急に懐かしくなり友人(今は故人)の
お姉さんを探し、ようやく一昨年居場所を見つけ話をする事が出来ました。
40年ぶりでした。
こちらは大そうな興奮でしたので、それを察した先方さんは
同調して下さったのが分りました。

新シリーズ、今後の展開を楽しみにしています。
Commented by okadatoshi at 2013-02-22 11:57
ここ数日、狭い書斎兼納戸は書類で散乱しています。
限られたスペースに溜め込まれたものを見て、
1)捨てるもの
2)blogに記載してから捨てるもの
3)手を付けると大変なのでそのまま中身を記憶してしまうもの
4)今読んだり手をつけるもの
に分類していいます。
「こんなものが置いてあったか」という新たな発見の衝撃がけっこうあります。
5半世紀前の古文書にはされがよくあります。
断捨離が言われてますが、袋の中身を見ないでバッサリ捨てるということ私にはできません。何らかの引っかかりがあって残しているわかです。その引っかかりが思い出せない場合は捨てます。
そのためのindexづくりを、1~3月にはします。
今年は、某校の非常勤をやめたので例年よりも少し大がかりです。
古い教材を処分してます。

日記は“パンドラの箱”なのです。
小学校までは、自分の知らない少年の生活を覗くような新鮮さがあります。
ですから、公開ができます。
中学以後、特に高校時代は外部公開のblogには出しません。(出せません)
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