昨日と同じタイトルです。
小学校時代の5年と6年の日記を比較してみると、行動の記録であった5年当初のものから、興味のあったことや自分の気持ちを織り交ぜた副詞も使われ変化をしています。
また、文字も書き馴れた文字に大きく変化し、その後の書体に繋がっています。
(1954年)九月五日(日)
内村鑑三をいっきによみきりました。
昼から中村まさちゃんのアパートにあそびに行きました。中村さんのしんせいのあけみちゃんも、きのうから、とまりがけできていました。
なしやアイスボンボンをもらいました。
しょうぎなどもしました。おじさんとほんしょうぎを、しました。
おじさんはひしゃとかくをとってです。約三十分~一時間しました。
ぼくがまけました。五時ごろ中村さんの家から帰りました。▼
文中に登場する中村さんとは親しくしているようですが、記憶からは抜け落ちています。
しんせいも親せきの誤記かもしれません。
かすかに“まさぁちゃん”という名前を憶えています。
この時期は周りからの刺激をひたすら取り込む時期のような気がします。
それらの中の一つの因子が沈着し核にり興味関心が育っていくのでしょうか。
私の場合には、習い事で絵の先生についており、紙面構成への興味が育ったように思います。
何があったのか見られたくないことがあったのか、6年の日記の一部のページが切り取られています。親しかった児童の事故死があったので、それに関係のあったページなのかもしれません。
ほぼ毎日日記を書き続けており、このあとは中学に入ります。
さすがに自我に目覚め、日々の行動記録が主だった小学校時代から、自分の気持ちや友人の好き嫌いなど内面に触れた内容が出てきます。
小学校時代と異なりそれらをblogに公開するのは躊躇する内容です。(笑)
自分の書いたものを見ると、年ごとの精神の変化が小中高時代には読み取れます。