チベットと日本、異文化を超えて
b0036638_11412383.jpg11月以来の久々の懇談会を聴きに行きました。講師は、バイマーヤンジン(チベット人声楽家)さんホームページを通じて情報発信をしています。
チベットの貧しいけど心優しい家族に支えられ四川で今のご主人と出会いました。
結婚し日本に来て18年。チベット人から見た日本を率直に語られました。
講演中にも涙ぐまれ率直に感情表現を豊かにされる方でした。
最後は大きな拍手があり、聴き手に気持ちが伝わる内容でした。

★プロフィール

チベット出身。中国国立四川音楽大学声楽学部で西洋オペラを専攻。卒業後同校専任講師に就任。中国各地でコンサートに出演。
1994年来日後、広島アジア大会を始め、韓国での音楽祭、APEC大阪大会、阪神・淡路大震災救援演奏会、等に参加。また、日本でただ一人のチベット人歌手としてチベットの文化、習慣を紹介するため、積極的に小中高校やいろいろな国際交流イベント、シンポジウムでも講演を行う。
現在は教育を受ける機会が少ないチベットの遊牧民の為、小学校を建てようと講演会、コンサート活動を行っている。
以下、要旨を私のメモでまとめました。

●チベットへのイメージ

チベットのアムド地方出身のバイマーヤンジンと申します。
チベットの正装できました。成人式などで呼ばれることもありますがあまりこちらの話が聞かれていない場合があります。
今日は、今年初めての講演なので闘うつもりで来ました。(笑)
私がチベット人と分かると決まって「留学生?」、次は「出稼ぎ?」と聞かれます。
私の大好きな主人が日本人だったので一緒について来ただけです。y
大阪の吹田に4世代で住んでいます。
13年前に義父、3年前に93歳のおばあさんを亡くしました。
日本の田舎へコンサートに行くと「ヤンジンさん、ここは冬は寒く日本のチベットと言われています」と言われます。話している方は悪気はない方ですが。
ある学校で私が「ここは日本のチベットと呼ばれてますか?」と試しに聞いてみると、相手は「いやそこまではひどくない」と言われました。
今のチベットはずいぶんと変わっています。

●交通手段

交通の便も良くなりました。
私が故郷に帰るには時間と経済性と二つの方法があります。
日本からチベットへ行く方法を紹介します。
関空→上海(空路2時間、ここで3~5時間待ち時間後)→成都(空路2時間)
ここで次の便を待つために宿泊し、翌日→ラサ(空路2時間)

私はラサではなくガワで生まれました。そこは中国の圧政に抗議して最初に抗議の僧侶の焼身自殺が起きた場所です。チベットは日本の6倍の面積です。
ラサよりも四川寄りにあり成都からガワまで行くバスがあります。地理的にこの方が近いです。順調に行って2日かかります。親の世代は移動は牛か馬でした。
今ではバスで行けます。これは私たちチベット人の感覚では、「すぐそこ」なのです。
しかし、主人の感覚は違いました。一緒に乗っていると、バスの窓が壊れていることに文句を言います。
険しい山岳路のなので主人はシートベルトを探していました。
しかし、道から落ちれば皆一緒、シートベルトをしていても一人助かりません。
冬に運転席のフロントガラスがないときがありました。
でも、私たちは毛布にくるまって座席に座れます。運転手さんは一人で丸二日間私たちのために最前列で運転されています。とても文句などいえません。
主人は、チベットに到着すると顔が紫色になり苦しくなりました。
チベット全体の平均高度は4200mです。冬は酸素が3分の2になります。
そんな中主人は、18年毎年故郷へ行ってくれています。とても感謝しています。
3日入院すれば、高山病は治ります。私たちは普段の生活では天気予報(気象情報)など考えません。主人が調べると滞在中の温度は、-26℃。ラサは中国の管理下で不便ですが、ホテルの酸素ボンベ室があり医者が待機しています。
昨年の8月に徳島大の方々とチベットの小学校を訪問し、この今月にはツアーの同窓会もしました。
ぜひ、ここにおられる社長さん、会社の慰安旅行にチベットに来てください。

●私の家族

私のことも、最近ネットで取り上げられるようになり、講演会などで次のように聞かれます。「ヤンジンさんの両親はお金持ちですか?」
私は裕福で地位のある家庭には生まれていません。
私の子供のころの思い出は、“空腹”の記憶です。
私の家庭は遊牧民です。現金収入がないので、放牧の家畜のチーズやバターで物々交換でした。兄弟は11人でそのうち8人が生きています。本当に親は子供たちを育ててくれたと思います。
田舎では子供は労働力です。学校にはとても行かせられない。
そんな中で、親は長兄を除いて7人に教育を受けさせてくれました。
今他の兄弟は、警察官や教師をしています。
そして田舎にいた私を外に出してくれました。
長兄は親代わりに一家を支えるために、一人で遊牧をしています。
母は、字が読めません。
そのために男女のトイレがわからなくて、お腹は痛くなるし飛び込んだのが男のトイレでした。そこで酷いことを言われ悔しい思いをしたといいます。
この体験から、子供たちを学校に行かせて字を学ばせたいという強い思いが生まれました。
字が読めないととても不便です。従兄弟は風邪薬と殺虫剤の袋の文字が読めず殺虫剤を飲みました。

中国政府は、遊牧を辞めさせて土地に定住し農業をさせる政策を打ち出したことがありました。私のおじいちゃんは絶対反対と拒否をしました。
でも、あるときとても笑顔で優しそうな人がきて「何も心配ないよ。うまくいくよ。」と書類にサインを勧め内容がわからないままにサインをして、土地を騙し取られました。
反対したおじいちゃんは刑務所で亡くなりました。
私たちの生活は牛馬と同じです。鞭で打たれるままに右や左へ行かされたのです。

●高校、大学へ進学

私は8番目に生まれた子供です。中学の校長先生が親を説得して私の高校への進学を勧めてくれました。高校は家から300キロ離れたところにありました。
家族と別れて本当にこの時には寂しい思いをしました。
それまでは、兄や姉に囲まれていて「お腹がすいた」というと兄たちはポケットからチーズのカケラを出して妹たちに与えてくれるのです。
そして寂しい気持ちになってみて突然に、初めて草原でたった一人で家族のために放牧生活をしている長兄の気持ちを考えることができました。
兄がかわいそう。そのためには兄を喜ばせようと考えました。
絶対に「高校を出たら大学へ行こう」と思いました。
高校3年間は、命がけで頑張りました。
当時は午後10時に消灯でした。そのために勉強する灯りがあるトイレに行き深夜2~3時ごろまで勉強をしました。
当時のチベットのトイレは、深い穴を掘り両側に板を渡しただけのもので暗いと危険だったので、豆電球が点いていました。冬はとても寒く手が凍りましたが、すぐに凍るので臭いはしませんでした。
辛いのは夏です。鼻から頭が痛くなる悪臭がします。1時間もすると頭痛になりました。
このように自分が弱気になっているときに、兄は人にことづけてチーズやバターを届けてくれました。そしてまたトイレに行って勉強を繰り返しました。
卒業の年、30代の男性教師が泣きながら「合格よー」と四川の音楽大学の合格通知を知らせてくれました。そのとき、私は教師と話す時間よりも、一刻も早く親と兄に知らせたくてたまらなかった。
合格通知を持って家に帰ると田舎では「えらいさんが出た」と噂になっていました。
それまで大学に行く人はありませんでしたから。
合格通知を渡しても父母は字が読めません。母は通知書を上下反対にして眺めていて喜んでくれました。
長兄は無口でただただ私の頭の後ろを撫で続けてくれました。
しかし、これからが家では大変でした。私の大学での学費です。
次の日から、村のおじいさんやおまあさんが私の家に物を持ち寄ってくれました。シーツや洗面器、中には使ったものもありました。
母親からは大学に行けるからと言われました。
四川省までヒッチハイクです。

四川省での4年間が実はもっとも辛い思いでした。
当時の私は顔が真っ黒でほっぺが真っ赤。髪も長く紐でくくったので牛の尻尾といわれました。クラスでは初めて入学したチベット人の私を“野蛮人”(中国語でマンズマンズ)と呼び、黴菌が付いているといわれ、黒板にもマンズマンズと書かれました。
いじめられていくと人は弱くなります。コンプレックス、劣等感に襲われ何度も辞めたいと思いました。
でも帰ったら荷物をくれたおじちゃんに叱られる。
兄は私を叱らないだろうけど悔しさに泣くだろう。
そう考えると兄のために卒業しなくてはいけない。何をされようともこの大学を失業したい-と思うようになりました。負けて帰りたくない、成績だけは負けたくないと頑張りました。

●主人との出会い

卒業の日に部屋に戻ると人が訪ねてきました。
その人から「あなたはチベット人ですか?」と訊かれました。
また変な人がきたと思いました。
私は「はい、チベット人です」と応えました。
相手は、「チベットは素晴らしいところですね」と言いました。
今までこのようなチベットを評価する言葉は聞かなかったので、「え?え?」とびっくりしました。
中国語でしたが変な訛りがありました。中国には56あるといわれるどこかの少数民族の出身を聞くと「私は日本からきました」初めて会った外国人で今の主人です。
さっそく日本について知りたいと思い、すぐに図書館へ行きました。
そこには、日本は仏教の国とありました。
その次に会ったときに宗教を聞くと「仏教です」と言われました。
チベットは仏教の国です。私は日本人全員が仏教徒と思い、親戚のように感じました。
当時、私は音大の講師の試験に合格していました。
その後主人と結婚。帰国する時に未知の日本へ行くことが不安でした。
しかし、主人は私の両肩に手を置いて「大丈夫、守ってあげる」と言ってくれました。
それまでの私の生活は、排除され続けていると思ってました。

一緒に大阪についてきました。でもこの人はサラリーマン、毎晩仕事で遅くぜんぜん私を守り切ってくれません。(笑)日本人がそこまで働くとは思っていませんでした。
チベットは朝は早いですが、日没とともに休みます。
主人は、夜10時まで働いています。帰宅の「ただいま~」は」精一杯の声で自分さえ守り切っていないように見えます。

●日本の家族

「ヤンジンさんはご主人の親と同居して偉いですね」とよく言われます。核家族化が進んでいるからでしょうが、私は主人の両親にとても感謝をしています。
日本に来たとき、日本語はしゃべれませんでした。職業もありません。
何もできない、何もない私を、両親はよく家に入れてくれました。
北京から伊丹へ来る3時間、とても不安でしたが、両親の笑顔を見てホッとしました。

日本の家庭に入って不思議に思うことがたくさんありましす。
私の田舎へは、バスで二日で行けるということが当時の私には自慢でした。
しかし、日本は、電車・バス・モノレール・高層ビルがあります。
当時の四川では最も高いものは毛沢東の銅像でした。
日本の家では機械に溢れ、いろんな音がピーピーします。
洗濯機、食器洗い機、炊飯器、お風呂など。義母は、居間に座っていてその音を聞き分けるだけです。外でも機械がしゃべります。
牛の搾乳も機械でしますね。これにはほんとうにびっくりです。
また日本の四季は素晴らしいです。
桜や桃の花はチベットにはありません。チベットには海がありませんが日本には“海開き”もあります。
大阪では零度以下にはなかなか下がりません。この前、義母がマイナスになったとき「寒波到来」と言ってまっしたが、一度チベットの1月を紹介したいです。
11月になると床暖房、背中にはカイロを貼ってなんという世界だろうと思います。
日本にいると精神的な安らぎを感じます。
今のチベットでは、“ダライラマ”という一言も言えません。
私が海外にいるので私の家族も監視されています。

前回の選挙で現役の首相が交代するなんて本当にびっくりです。
日本に18年間住んでみて、日本は天国だと思います。
チベットでジーンズを洗おうとすれば、」電気がないので手で洗います。手に血が出ます。
私がこうして日本に暮らすことができたのは、家族の支えによってです。
私が大学に行っている期間は、弟や妹へのバターも節約したと後で知りました。
私には罪悪感があります。
日本のお米を食べさせたいと、ジャスコの米を土産にしましたが芯が残りました。
沸点が85℃なのです。次は、“揖保の糸ソーメン”を持ち帰りました。甥や姪も16人おり、私が帰ると田舎はお祭り状態になります。

私はこうして民族衣装を着ていなければ日本人とそっくりです。
どうして日本とチベットはこんな違いがあるのか調べてみました。
日本の国土の広さは世界の0.25%、人口は2%。
15~16年間は、GDPは世界2位。
中国が2位といっても人口で割ればまだまだ低いです。
「どうして日本は発展したのか?」と訊くと、「日本は教育だよ」と言われました。
そして腕を磨いた(=技術を身に着けた)とも。
日本の義母は70歳になっても化粧をして、トヨタに乗って外出します。
人生が輝いています。

義母に「日本に生まれてよかったですね」とある日いったら、机をドンと叩いて、ハルピンにいて、敗戦後1年がかりで日本に生きて帰ったこと、終戦後の日本でサツマイモの葉を食べながら苦労したことを話してくれました。
「湯川秀樹さんを知ってるか?」と訊かれ「人に希望を与える人になってほしくって息子に秀樹という名前を付けたんだよ」と教えてくれました。
この話を聞いた日が、日本での私が変った日です。
「あんたも頑張れ!チベットも何とかなるわ」と言われました。

私の家族は36人います。ロッテリアハンバーガーで自給800円のバイトをしながらチベットに学校を作ろうと思いました。
現在、10個の学校を建設しています。
幸せな日本の家族があるから、私もこうして頑張れます。

●日本はアジアのお兄さんの国

こういう集まりに出ると、社長さんたち偉い人が中国のGDPの話や韓国の躍進の話をされます。
中国で反日運動をしている人も本音では、日本製品をほしがっています。
日本は素晴らしい国です。
もっと、自信を持ってほしい。
アジアの弱い国々の目標となってこの60年間を引っ張ってきました。
アジアのお兄さんとして元気でいて欲しいと願っています。
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by okadatoshi | 2013-01-16 11:47 | 講演会記録 | Trackback | Comments(0)
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