昨晩は、街角のTVの前には人が群がりほとんどの日本人が北朝鮮とのサッカー戦に釘付けになりました。日本が戦力的には優勢という下馬評にもかかわらず薄氷を踏む思いの試合展開の結果、2-1の勝利になりました。
拉致問題など政府間の関係が冷え込む中での代償戦のような雰囲気がかもし出されるなか適度に燃えてながらも節度ある観客の反応でした。ごく最近もあった中国の排日的なファナティックで過激な反応まではいかない控えめな国民性を感じました。
一方の北朝鮮は、自国の対外試合をライブで伝えられることは決してない。勝てば政府をあげて国威掲揚のために報じられるが、負ければその事実は隠され、負けたスポーツ団へのペナルティが持っていると報じられています。
今回もし日本が負けたとしても、ジーコ監督の更迭はあるかも知れませんが、それは契約上の問題であって、彼は国から非難される恐怖を感じることはありません。
民主主義とは手間・暇・手順が多いのですが、それは自由に意見の言える体制の証左といえるでしょう。
かつては、わが国も「鬼畜米英、大和魂」を国を挙げて唱え、路上に「敵国の国旗」を描いて踏みつけた時代がありました。
好きなことのいえる微温的な社会の中で、平和に慣らされた若者が増えています。今回のサッカー戦の相手国と似た環境にかつてはあったのだという事実をどこかできちんと伝えるのは我々の世代の責任だと思います。