未来のための江戸学 -エドロジーの構築へ-
b0036638_20315280.jpg先週16日に続き、昨晩は時事懇談会を聴きに行きました。
春休みなので、今月はこのような機会が多くあります。
講師は、サンデーモーニングで美しい和服の着こなしを拝見する田中優子氏(江戸文化研究者、エッセイスト)です。
事前にレジメも用意されスライドもあったので、今回はメモ用紙と資料への書き込みで記録したものをまとめました。限られた時間で順を追った講師形式のわかりやすい講演内容でした。


この会の方々に信用金庫が入っているとお聞きしている。信用金庫は地域を育てることを中心に運営されている。
東日本の震災で資金を信用金庫から借りたいいと考えた地元企業があった。これに対しシティバンクは融資先を他に切り替えるならそれまでの貸付金の返済を求めた。
信用金庫側はその返済金も含め貸付を考えている。大手銀行とは何なのかと思った。
江戸時代には、270~300の国(藩)があった、江戸時代の国とは藩のことである。
藩は経済、法律、貨幣さえも扱った。つまり自立した地域が日本という国を形作っていた。
藩主は産業を起こし改革を進めた。藩主は江戸幕府と地方のパイプ役であった。金の工面=武士の役割といえる。
江戸幕府の当初は内戦状態の停止をするために参勤交代を行った。
今日は、どのようにして江戸が生まれてのかを話したい。

●ブータンの4つの政策

3月初めに8日間ブータンへ行った。知りたかったのは、GNHが一位というのはそういう根拠で測れるのか、政策にどのような意味があるのか-を知りたかった。今回、ブータンと江戸時代の共通点を見つけた。
GNH(=国民総幸福量Gross National Happiness)がブータンは第一と言われる。

ブータン政府が次の4つの柱を立て、その下にさらに細かく分けた項目を定期的に調べ評価し目標を国の政策として実行している。
①持続可能で公正な社会的経済的発展→教育、農地分配、遠隔地のインフラ整備
②文化の保全と促進→価値観の伝達、家族の絆
③環境保全 国土の60%は自然林でなければならないと法律で定めた
④good governance→民主的な文化を作り出す。地域と国の関係をよくする。
これらのGNHのもとに9つの分野(心の安寧、生活水準、good governance、健康、教育、コミュニティの活力、文化の多様性と弾力性、時間の配分、エコロジーの弾力性)を設けた。
GNHは40年間の歴史があるが当初はスローガンにとどまっていた。2008年民主制度の始まりとともに、GNH委員会が2年ごとに120の指標を作り実体調査をして数値化し必要な政策を立てている。

ブータンは人口の75%が農民である。(日本の江戸時代は80%が農民)
九州の9割の広さの国土で、インドとチベット(中国)という大国に挟まれるこの国は自立しようとしている。
当初インドから開発援助がされものの輸入をしていた、大国に挟まれた小さな山の中でグローバリズムの中でどう生きていくかを考えた。
事前の訪問目的を伝えるとGNH委員会のメンバーが対応をしてくれた。質問をするときれいな英語で応えてくれた。
外国人に自分たちのメッセージwp発信したいという気持ちが伝わってきた。
この小さな国に山で隔てられているために7つの言語がある。したがって英語が共通語の役割をはたしており指導層は海外留学もあって外国の情報にも精通している。
今のグローバリズムに呑みこまれると外国から日本で見られるマクドナルドやコンビニが入ってくる。
ブータンでは民族衣装がスーツとなっており喜んで着ている。盛装は民族衣装になってくる。グローバリズムに門戸を開くと伝統文化・食物への気持ちが変わる。
ブータンでは60年代にインドからの開発援助の時に他の先進国の変化を見ていた。
同じ轍を踏まないようにコミュニティ(伝統文化)が亡くなった時に自国が幸福なのかを考えた。
そして4つの柱→9つの政策→120項目の点検へと繋がった。
5か年計画で現状分析で綿密に評価を繰り返している。
電柱などの送電のインフラが整備されていないためにブータンでは余った電力をインドに輸出している。電力は国土の形状を利用した小水力発電で得ている。

●江戸時代は自給自足

江戸時代は木綿産業が盛んで100%の自給自足体制が整っていた。
その後、輸出産業として絹の生産のために養蚕が盛んになった。これは、アメリカのナイロンの生産でダメになり今は安い衣類が輸入されるようになった。着るものは文化であり産業でもある。
5月刊行予定の『グローバルリズムの中の江戸』(岩波ジュニア新書)で触れているが、言語学者のヘレナ・ノーバーグ=ホッジは研究のためにラダックに通いそこで西欧とまったく異なる価値観に出会った。人々は貧しいけれど幸福そうだった。しかし、ラダックはグローバル化の中で大きく変質する。
なぜグローバル化は人を不幸にするのか?まず多くの商品が流れ込み自分たちの暮らしを「時代遅れで不便」だと感じるからである。
そこから抜け出すために都会にデテ現金収入を得ようとする。結局格差が生まれ孤立感が広がる。
みじめさから抜け出すためにお金が必要になり過酷な労働に組み込まれる。
得られた金で買いものをするが単に「気がする」だけで、買い物を続けなければ不幸に戻る。その際限のない行動が不安を生み出す。
この不幸の再生産こそグローバル企業の利益につながる。
お金そのものへの渇望が広がりお金が無いこと不幸を感じるようになる。

同じことは、戦後の日本にも起こったし、遡れば明治維新そのものも一つだった。
『逝きし世の面影』という本がある。幕末明治の日本人の様子を欧米人が扱った記録で、当時の日本人は貧しかったが、物事をあまり気にせず自分たちを貧しいとも思わず明るい人たちであったことが分かる。

日本では育林を1700年代に確立をした。江戸時代に伐採と洪水が続きが続き、幕府は川を守るように指示し各藩が応じた。
留山、留木などを定め、当初は禁を犯した伐採者じゃ死刑にした。育林へ転換しその土地にあった気を植えた。
この考え方は、戦前・戦後を通じて変わってしまった。
成長の速い杉をブナ林に変えて植えた。地元の人には育たないことはわかっていたが、これらは戦後の林野庁の山林行政の失敗である。
これらは我が国の森林崩壊へと繋がった。森林が二次林になる手入れをしないといけない。
以前は森林の材木の売り上げを公と農村で5:5のちには3:7で農村へ与えた。この売却利益により、利益が上がり日本の森林が守られていた。
今はコストが安ければいいという利益優先の考えが優先し、国内の森林は崩壊をしてしまった。
ブータンではそうならないように国土の60%の森林を維持している。
コミュニティ(生産共同体)については江戸時代には寄り合いという“議会”があった。これは、100%の出席がないと始まらない。
寄り合いの中で、村方三役は調整役となった。当時は、きわめて平等主義が強い。不合理なことには一揆をおこした。
無tらが持っている技術力は高く農業の方法の出版、寺子屋制度など進んでいる。
江戸時代には鎖国という考え方はなかった。
“鎖国”の考えは江戸末期から明治にかけて意図的に作られた概念だ。

ブータンの画像をお見せしたい。
寺院に行くときの衣装。男性が巻いている布がないと入れない。▼
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急な斜面と利用した棚田。▼
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病院です。医療費・教育費は無料。右は中庭で生薬の薬を待っている画像。
マニ車もあり祈りの場でもある。▼
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牛馬を使い糞とワラを混ぜて発酵させて肥料にする。化学肥料は使わない。▼
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江戸時代は人糞も肥料に使い下肥問屋があった。汲み取り料とした野菜で支払う。問屋は儲かり下肥料金の値上げに対して一揆がおきた記録もある。
江戸時代も100%の完全循環社会で、衣服や紙も最後には灰にして使い切った。
江戸時代も当時のグローバリズムの影響を受けていた。
当時は中国製品を入れるために銀で物が交換された。

コロンブスはアメリカ大陸を発見そこから鉱石の採掘を始めた。過酷な労働で現地人を酷使し、やがてアフリカの黒人を奴隷として連れてきて差別社会が始まる。
1533年に神谷寿禎は石見銀山で朝鮮の灰吹き法による精練に成功。日本の銀の輸出が始まる。当時の世界の生産量の30~40%を供給していた。そこへ南米が入り始め国際競争に負けてくる。
このころからそれぞれの国の経済がグローバル化の影響を受けるようになる。
マニラの港で南米の金と中国の銀が交換をされるようになった。

種子島に鉄砲が入ったのは、倭寇が日本へ鉄砲の売り込みに来て難破し種子島に漂着をしたことによる。
当時の倭寇は後期倭寇と言われその中心は中国人であった。今でいう商社マンのような存在で、当時マラッカ製の銃を売り込むつもりがうまくいかなかった。これは1592年から国内で鉄砲の生産を始めたからである。
こうして国力を充実させ、豊臣秀吉は朝鮮から北京へ攻め入りそこへ天皇を移し、フィリピンを落としインドまで攻め入ることを考えた。このように16世紀以後、日本もグローバリズムの影響を受けるようになった。

江戸時代に入り、幕府は外国を攻めることをやめさせた。猟師のみ鉄砲を持つことを許可し、火薬は花火産業に向けた。
このようなグローバルな動きが江戸時代の方向性へ影響を与えた。
当時の経済のどん底状態から立ち上がったのが江戸時代だった。
そのためには自立すること→自給する→大量の職人が江戸時代に出現した。
養蚕を盛んにして中国に対抗、それまでベトナムから生糸を調達し木綿を中国から購入したのを国内で行うようにした。
このように国内生産が本格化したのが江戸時代で、その結果として財閥が出現する。

今日来ている和服は、沖縄の花織です。沖縄ではブータンから伝わったといっている。着物の縦縞はインドが起源だ。
幕府の医者には、ポルトガル、オランダ、漢方と3通りいた。当時、ガラスの生産やレンズ(眼鏡)もつくった、男性は作業着にズボンも穿いた。外国の文化も入っており、海外渡航はできなかったが鎖国ということはなかった。
鰯を土に混ぜた堆肥も考案された。
自立をしなくては」国(藩)がだめになるという意識が江戸時代にはあった。

このような江戸時代を明治に入り恥ずかしいと思い捨て去ってしまった。
明治天皇は軍服を着て、公式の場では皇室は洋服を着るようになった。皇室が着物を着るのは私的会合にしか着ない。

ラダックでホッジさんがラダックの変貌から指摘したことが明治期に起きてしまった。
ブータンでは自分たちのことは自分たちで決めた。これからのアジアはそうしないと不幸になる。
インドのラダックの時代と違うのは、グローバル企業の影響が強いことである。
これらの国際企業から見ると一国がつぶれようがどうしようが関係なく利潤の追求ができればいい。
このあたりのことは『ショックドクトリン』(上下)ナオミ・クライン著がとても」参考になるのでお勧めする。民営化ということは私企業化と言い換えてもいい。

今回の福島原発災害について明らかに高リスクなものなのに検討すべきところをすぐに再稼働を考える男性社会に驚く。
原発54基に代わる自然エネルギーに目を向ける代替えエネルギーを考えるビジネスチャンスとは考えないのか。

●行燈下の江戸時代は不自由か

電気の無い江戸時代は不自由だったのか?
江戸時代の行燈は菜種油でこよりに灯を灯すだけでとても暗い。
NHKで実際に本屋読めるか当時の灯りを再現して実験をしたみたことがある。活字の本を読もうとしたが読めなかった。
ところが江戸時代の和書の文字の大きさは読めた。▼
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これは、我々のシステムの問題なのではないか。江戸時代には行燈で読める本があった。仕事は太陽が出るときやり、夜になれば休めばいい。
電気がなければ、生活の仕組みを変えることで不便とは思わない方法がある。

グローバル時代の中での自立、循環型社会を考える、使わないで済むものを決める、民族文化とは何か、以上の4点を考えて江戸時代を参考に現代をより自然に生きやすく考えて欲しい。
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by okadatoshi | 2012-03-20 20:38 | 講演会記録 | Trackback | Comments(4)
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Commented by kazewokiru at 2012-03-20 20:40
okadatoshi 様
日本は科学技術を駆使し便利な国へと目覚しく進歩しました。
先生のよく言われる「到達地点」これが望んだ幸せとは限りませんね。
Commented by okadatoshi at 2012-03-20 21:00
kazewokiruさん
孫とトランプで大富豪や51、将棋をやりつつ、まとめるのにほぼ終日かかりきりでした。
鉄砲伝来から江戸時代の背負った存在意義、明治維新まで、日本史のダイナミックな流れの一面の講義を聞いた感覚が残りました。
高校時代の年号を覚え、出来事を記憶した日本史とはなんだったのかと思います。
この人の講義も人気があるのでしょうね。
Commented by shinmama at 2012-03-20 21:57 x
ブータン国王が来日して以来、「幸せの国 ブータン」は注目の的になりましたが、一時期のブームだろうと 深く知ろうともせずに今日まで来てしまったことを反省しています。
これを機会に 本を読んでみようと思います。

テレビで拝見していて、着物に関する仕事をしている女性だろうくらいに思っていましたが、なんと江戸時代までさかのぼって 今の日本のことを考えることができる人であったとは、、、。

おっしゃるように 私も歴史の授業では 年代と大きな出来事を丸暗記しておりましたが、そんなものは役に立つはずがありませんよね。
「未来のための江戸学」エドロジーですか、、、確かに。
歴史に疎い私ですが、聞いてみたい講演者のお一人です。

ありがとうございました。
Commented by okadatoshi at 2012-03-20 23:01
shinmamaさま
週刊金曜日の編集委員もやり、方向性としては学生時代からぶれない姿勢を貫いています。
今週のサンデーモーニングで吉本隆明氏の死亡に際し晩年の「反原発運動者は反文明」という彼の言動に関するコメントが頭にあり、その件について閉会後話しかけました。
たまたま、閉会後同じタイミングで会場を出て並んだのです。
ボードですので内容は控えますが予想通りの内容で丁重に答えられました。
江戸時代の長屋であれば、最近報じられる高齢者の孤独死などは決してあり得ないでしょうね。
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