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ときめきインタビュー
散策中やドライブ中はラジオ環境にありますが、最近は自宅の母艦でパソコン作業をしているときにも、radiko.jpらじる・らじるなどを聞く機会が増えました。▼
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よく聞くのは、NHKで午前中はラジオビタミンです。
その中にときめきインタビューがあります。

今日は、元大関魁皇の浅香山親方で「私の相撲人生」でした。
もともと相撲が好きでなかった自分がどうして相撲に打ち込むようになったのかなど話していました。

年末になると今まで放映された内容の人気の高かったゲストのインタビューの再放送があります。
東日本大震災関係も多く12/26は、片田 敏孝氏(群馬大学大学院教授)でした。
この他、12/22は、渡辺 憲司氏(立教新座中学校高等学校校長)で、これは3度目の再々放送でした。
東日本大震災のために卒業式ができず、立教新座高校3年生の卒業生にあてたメッセージにまつわる話と渡辺氏自身の教育観が放送されました。間に教え子からのメール、FAXがこの方の教師生活が浮き彫りにされ興味深い。
このホームページへ掲載された文章は大きな反響を呼び、翌日には30万回のアクセス数がありました。
twitterやfacebookでも話題になり、春学期の最初に教科法の学生へ対して、紹介したものです。

この再放送を聞いて今月の授業で再度触れ、教職という教科以外の生徒との関わりについての私見に触れました。
現在の大学生がいかに貴重な時間を持っているのかを再認識をして欲しかったからです。ラジオでもアナウンサーが下記の文章を冒頭朗読して途中で感極まっていました。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。
 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。
 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。
 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。
 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。
 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。
 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。
 「今日ひとりで海を見てきたよ。」
 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。
 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

やはり当時、SNSで話題を呼んだ、鷲田清氏(大阪大学総長)の平成22年度卒業式・学位記授与式 総長式辞も学生へ紹介しました。

この文章で紹介されている阪神淡路大震災の折に医療スタッフの指揮を執った中井さんは、私の団地で副会長をされたこともある方で、より身近に感じました。

就活をしている4年生へ向けて、「請われれば一差し舞える人物になれ」という意味を考えて欲しかったからです。
by okadatoshi | 2011-12-29 20:17 | デジの目 | Comments(2)
Commented by kazewokiru at 2011-12-30 09:31
okadatoshi様
 与えられた仕事を時間内に仕上げる事は出来ても、
無形のモノを時間無制限で仕上げる時、、困難を極めます。
人生という時間。思えば殆どがある種の制約事に縛られています。
自由になる貴重な時間を与えられ自分と対峙できる
「海が見れる時間」の過ごし方で岐路の選択が和らげるように思えます。

今朝は9時までにお泊りしていた孫を親の元に届けまして、
10時に所用の為に家を出ます。
Commented by okadatoshi at 2011-12-30 11:01
kazewokiruさん
子育てや社会人としての働きを遂げた第二ステージは
家族や配偶者地域などの関わりで助けられる立場ですが
毎日でも「海を見れる」自由や時間もあります。

青年期の高揚した気持ちで読むこのような文章に
対応した円熟期の文章もあるのでっしょうが。
古典かなぁ。
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