北の出講校の授業も今日を入れて2回になりました。
先のゲストスピーカーの感想文に学校現場では、教科指導以外の担任とか専門部の校務分掌について知らないあるいはそんなにウエイトがあるとは思わなかったという意見がかなりありました。
で残る2時間は、教科以外の話で締めくくることにしました。
最初に担任の大切さと生徒と関わることについて私の経験の中からいくつか話しました。
そのあと、教師になってからスクラップ帳に保存したファイルの中から、昨日選んだ3冊(#2、#18、#24)を持っていき、現職時代のそれぞれの時代のエポックというべき記事について三冊の中から代表的な記事について話しました。現職時代のスクラップは60冊ほどあります。
いずれ今の仕事が一段落したら、これらの資料を使って、私の過ごした教職時代を振り返り文章化をしたいと思っています。
#2(1969.11~1970.6)
70年安保が60年安保反対闘争から変化してヘルメットと“ゲバ棒”で武装化され全共闘運動が高校現場にも大きく影響を与えた時期です。政治活動の自由を巡り学校封鎖が続く中、授業時数の確保のために学校再開へ向けて大きく揺れた記事が続きます。
今の学生には、アンポとか、ゼンキョウトウなどと言われても生まれていない遠い過去の歴史の一部です。単語として知っていない世代です。(クリックすると拡大します)▼

#18(1982.4~1983.2)
中学全共闘の活動をしたと内申書に記入され全日制高校の入試で不合格にされた保坂展人氏の裁判結果です。この方のその後の生き方について話しましたが、名前を知っている学生はいませんでした。衆議院議員の後現在、世田谷区長をしている
同氏のホームページを紹介。▼

#24(1988.3~1990.9)
神戸高塚高校の校門圧死事件については、兵庫県出身の二人が大人から聞いたことがあるといいました。高校時代に校則が厳しくスカートの長さを測られてという経験がある学生は私学出身が1人いました
。しかし、今の学生にはこういう時代があったということは驚きのようです。▼

私は6校の学校異動を経験しました。(そのうち1校は2度経験)その先々で職員や生徒向けに情報紙を発行しています。事実を集め整理し発信する例として話し出しました。それぞれの学校に思いれがあり、話し出したら止まらなくなって、途中で時間切れ。▼

3レンチャンの授業が済み帰途につくときのキャンパス風景です。
今日は冬至。この風景は好きです。▼