大震災10年目
b0036638_23415161.jpg10年目の節目ということと、新潟やスマトラの地震・津波の報道もあって阪神淡路大震災の教訓をどう生かすかという趣旨に沿った報道番組が、ここ数日流れています。
季節モノとして1/18から忘れ去れることなくしっかりこれからの広がりを見据えた運動になって欲しいと思います。
淡路に移設された、「震災の防火壁」をTVでみました。この画像は、長田駅を通り過ぎると見えた壁で、その年の8月ごろの車窓風景と思います。当時はまだ珍しかった初代デジカメカシオのQV10で撮ったものです。
当時の勤務校が最大時、2500人の被災者の方々の避難所になりました。そのときの記録をまとめたものが、阪神大震災と学校の周辺です。

当時は、情報部の生徒を使ってエクセルで避難をしている人の「避難場所、もとの住所、名前」をデータベースにして更新をしたものを日々、玄関においていました。
「避難場所=校庭の車内」などという分類があったのを思いだします。
明日と、明後日は、神戸の震災後10年の事業をこの目でみてこようと思っています。
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# by okadatoshi | 2005-01-15 23:41 | デジの目 | Trackback(1) | Comments(0)
20才にもどれば、、、
ウォーキングをしながら、ラジオをよく聞きます。最近はシリーズで、「あなたが20歳に戻れたら何をしたいですか?」というもの。
もう40年以上前のこと。日記を取り出してみました。

1/15(火) 
一度しかない成人式の日だがここ数日ひどい雪で外に出る気もしない。正午で85cmの積雪と報じている。この調子で明日休講になればと願う。代数の試験はとても優をとれる自信はない。午後5時G氏の誘いでS劇場に。
(以下二本立の邦画の批評がうだうだ・略)

サークルの先輩のG氏が成人式のおごりといって、近くの学生がよくいく“トリスバー”でおごってくれたような記憶があります。数日、市内は雪で市電も止まり、「20だぁ~」と叫びながら雪の壁にぶつかり、大の字をつくりながら、下宿まで戻りました。
成人式などという催しそのものが、今のようになかったのか、式典があったのか定かではありません。成人式への招待は故郷を離れている性か私にはきませんでした。少なくとも、参加者は式典を妨害して憂さ晴らしをするというような「ニュース」は当時は聞いたことがありません。
普段は、授業をサボりサークルとバイトに追われ、試験中だけは徹夜の連続で乗り切っていたごくごく普通の学生生活を、暗い北陸の空の下で送っていました。
60年安保に挫折感の中に入学し、大学管理法反対のデモにバイトの空きを利用をしては参加し、理解できないまま本棚には「存在と無」と「資本論」が並んでおりました。デモもヘルメットなどの防備もなく警官も制帽。女子学生なども結構一緒にデモへ参加していました。とりあえず学生はエリート意識もあり比較的まじめに勉強をしていた時代でした。

当時の20歳に戻ったとしても、「これから何者になるのかわからない将来に対する漠然とした不安の中でとりあえず与えられた環境の中で、周りの似たもの同士を嗅覚でかぎあって議論を吹っかけ群れる生活」をまた繰り返すのではないでしょうか。
年齢が若くなるということは、経験値も財力も年に応じて欠落していくということです。
また、同じ生活の繰り返しをするんだろうなという思いしか浮かびません。
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# by okadatoshi | 2005-01-13 23:51 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(0)
鏡開き
b0036638_18424526.jpg1/11は鏡開きの日です。今朝は、お餅の雑煮でした。
昔は、カチカチに硬くなったお鏡餅を、出刃包丁をあてて切り分けていました。
小学校のころ12/29は、餅を「つく=29」日として餅つき道具一式担いだ人が家々をまわっていました。家族総出で餅を丸めて冬の間お餅を食べていたのを思い出します。やがて、餅にアオカビが生えてくると、それを防ぐのに水かめに入れたりしていました。
最近の鏡餅は、プラスチックの容器の中に二つずつ小分けしたお餅が入っています。さらにその中には乾燥剤のようなものもついています。
簡単に剥がして、必要に応じていつでも使える便利な保存食品に化けています。
ただ、こういう工夫をしても子供の世代は、餅そのものを受けつけなくなったり毎日食べるのには飽きるといいます。「晴れの日」には、餅を食べて祝うということももう通用しない時代になっています。
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# by okadatoshi | 2005-01-11 18:43 | デジの目 | Trackback | Comments(0)
弓引き
b0036638_1712253.jpg散策コースでもある奥畑大歳神社の弓引きに神事(百々手武射式=神前にて二名の成人が弓引きをすること)を見てきました。
成人式で忙しいのか少子化で年代に達した男子が村にいないのか、この日は中学生ぐらいの少年でした。射るたびに正座して盛り土に竹串を刺して伝承されている所作を年配の人が教えています。
周りの人は50名ほどで、関係者も多く、ローカルな村の氏子が集まっているという感じです。私たちは、近くの丘陵地を開いて開発された団地に25年ほど前から住んでいるいわば新住民ですが、周辺の村にはまだ神社や氏子があり、昔からの暦の変わり目に行われる農耕民族の伝承行事のようなものが残っている事に最近気づかされます。
仕事を持っていたころには、平日でこれなかったしそういう余裕も関心もありませんでした。
お袋の味がレストランの味にのっとられてたように、固有な行事がTVに代表されるマスメディアの報道の中に吸収されないようにと思います。しかし、子供たちは「寒い」といってなかなか出てきませんが。
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# by okadatoshi | 2005-01-10 17:14 | デジの目 | Trackback | Comments(0)
青涛館の前
がんばろうKOBEb0036638_1732962.jpgイチローがオリックスにいる時は、球場近くにある雨天練習場および若手選手の独身寮「青涛館」には、何人か追っかけがいたものでした。今日は、それらしき人物が集まっていました。
オリックス『ブレーブス』の部分は、『バッファローズ』になっていました。最初が、同じBだっだので気づかなかったけど、門の青銅版も巧みに修正が終わっています。
来期は、半分近くは神戸の球場でも公式戦が組まれるようですが、その次は球団本部を大阪に移動するらしいので、この建物もどうなるのか。イチローも帰国時の練習場としてここを使うこともなくなるのでしょうか。
今年は震災10年の節目の年。その区切りで、「がんばろう神戸」のワッペンをつけたオリックスの最後の年となるとすれはなんとも、残念。
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# by okadatoshi | 2005-01-09 17:05 | デジの目 | Trackback | Comments(6)
吉本新喜劇に立っていた岡八郎
b0036638_22313635.jpg神戸国際会館こくさいホールで開催された新春吉本「お笑いバラエティショウ」の午前11時の部を観覧してきました。今回、神戸市商店連合会が“復興感謝”のお礼をこめて今までは商店での購入者への景品で発行してたイベント応募券を一切の条件をつけずに誰でも応募できるように広げました。
応募件数は15万通。2000人全席無料招待。ちなみに3時の部では入場料は一人4,600円。
第一部の吉本新喜劇では小気味よいテンポの中で、警官役の岡八郎が出演していました。「奥目の八」といわれる全盛時代以後は不幸が続き、結核・胃がん・急性膵炎・脳挫傷。身内の不幸等の中でとうとうアルコール依存症に。何度も舞台に立とうとしてもできなかった日々。このあたりの彼の葛藤はTVドキュメントを見たことがあります。舞台ではあの「くっさぁ~」のギャグも入れていました。生活は年金と吉本の地方巡業で支えていると報じられていますが、彼にとっては再び舞台に立つことができることが大きな自信につながり、それを観ている観客も拍手するなかで互いの元気のエール交換があるように見えました。
二部は、漫才・落語。桂文珍がやはり上手い。自身も灘に住み震災についての思いを話の枕部分でちらり。大阪のノリより少し控え面のシャイな神戸市民の拍手を受けていました。
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# by okadatoshi | 2005-01-08 22:20 | デジの目 | Trackback | Comments(1)
太山寺の追儺会(ついなえ)
b0036638_2121663.jpg神戸市内にある唯一の国宝の建造物である太山寺本堂で行われる追儺会(ついなえ)を見に行きました。
鎌倉時代に1300年ごろに再建されたといわれる太い梁に支えられた漆塗りの力強い建造物です。
この本堂の中で毎年1月7日には、三匹の鬼が出て1時間あまりにわたり、走り鬼と三鬼の儀式を行い最後には斧で餅割りを行います。その合間に、子鬼が出てきて床を叩ききりあいを行い、回りを200人ほどの参観者が見ていました。最後に餅巻きがあります。いずれも地の人で、鬼役や子鬼の親戚などが声をかけたり拍手をしていました。観光化されていない土着の伝承行事が、地域ぐるみで伝承されている感じがあって好感を持ちました。この日は、普段は300円の入山料も無料です。
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# by okadatoshi | 2005-01-07 21:21 | デジの目 | Trackback | Comments(0)
おおきな大根
b0036638_16273935.jpg冬は草も生えないしほとんどほったらかしの貸し農園ですが、ずいぶん大きい大根が採れました。比較にペットボトルを並べてみました。
普段はほとんどスーパーからしか野菜を購入しない都市生活者にとって、野菜を育てる体験は新鮮です。去年たくさん玉ねぎができたので、この横の畝に今年も植えています。農薬も極力使わないようにしていますが、それでもちゃんと育っています。自宅で育てたものは、おでんにしても味わいながら食べられるのが不思議。
私たちの小さなころは、庭先に野菜を植えたり、残したご飯を天日に干して飴でからめておやつにしたり、見方を考えれば手作りで、今の生活からは難しいか贅沢な自然のままの食材を得る豊かな食生活でした。
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# by okadatoshi | 2005-01-06 16:29 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(0)
興味と学習が結び続けて欲しい
b0036638_22401355.jpg今日も我が家は臨時保育所になり孫を預かりました。
来るたびに新しいことを覚え、今までやっていたことは忘れ去って行きます。しかし、自分の興味を覚えていることは、忘れず執拗にやりたがります。
私がパソコンに向かっていると「ABC、ABC。いちどだけ」とひざの上に乗り、自分でアルファベッドを打ち込み、次にはカナモードで家族の名前をキーボードから打ち込むのが彼の決まった仕事です。色はまだ変えられないので、私に色を指定したものに変えさせます。次は、カレンダーの数字を切り取った紙片を番号順に並べる作業。
幼児の興味からくる遊びは、そのまま学習する力に結びついています。
もともと、学校で学ぶということは、興味のあることを知る喜びであったはずが、上にいくに従って、即物的な動機(大学の入試科目である、落第点をとらないため等)でしか学習をしなくなってきます。
いつから、どういうきっかけで、知りたい喜びが苦役に変質をするのでしょうか。子供を育てるときは、毎日の子育てでそんなことを考える余裕はなかったのですが、家中走り回るようになった孫を見ると、「知りたいことをそのまま伸ばして、その延長線上にある学校や進路を選べたらいいのに」と、そんなことを考えます
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# by okadatoshi | 2005-01-05 22:25 | デジの目 | Trackback | Comments(0)
年賀状のあり方
b0036638_23452082.jpgラジオで視聴者から「もらいたくない年賀状」のアンケートをとっていました。もっとも多いのが「印刷されただけの葉書」。一年に一度の葉書ならば、せめて一言は書くか自分なりのデザインでオリジナルな主張を入れたものを出したいもの。
ことしも、最終的に6センチ7ミリほどの厚さになる年賀を頂きました。年賀の中には、毎年一定の方針で貫き、絵本シリーズ、家族の一年間できごとを新聞形式で、かたくなに木彫りの版画などがあります。そのようなシリーズのものはこちらも待ち遠しく捨てないで保存をしています。
私もスケッチを毎年作成しおり、この作業が結構大変です。返事は必ず出すようにしていますが、この先いつまで続けられるか。
年賀状の発想を変えてみてはと思案しています。
たとえば、一切年賀を廃止し、その代わりに年間を通じて一度、その方に応じた話題のあるときにお出しする。あるいは、年賀から暑中見舞いにシフトする。(年賀を廃止することも宣言する)そのような時期の葉書に対しては、正月に向けて大量出すわけではなく相手も近況など返事を書いていただける時間があるでしょう。
昔は、彫刻刀を使ったゴム版や板版でそれ自体素朴な心の入ったものがあったのですが、最近はデジカメで画像を作成し、住所も専用ソフトで流れ作業で同じシールを発行する感じです。確かに、手軽に面利ですが、住所を手書きで書く間にその方のことをあれこれ思い出して一言添える言葉を育てる時間まで切り捨ててしまいました。
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# by okadatoshi | 2005-01-04 23:47 | デジの目 | Trackback | Comments(2)