<   2014年 06月 ( 30 )   > この月の画像一覧
わが家の雑草園・6月下旬
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同じタイトルのものを04/27にアップしました。
2か月後の庭です。今年はアジサイがよく咲きました。
地植えのもの以外に、プチトマトとすだれ替わりのゴーヤが仲間入りです。▼
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by okadatoshi | 2014-06-30 13:23 | 日々の暮らし | Trackback | Comments(0)
盲ろう大学生の挑戦
今朝の毎日新聞の一面と三面に掲載されていた記事です。
教材に使えそうな新聞記事はスクラップにしていますが、この記事も切り抜きました。
教材提示機能があれば、直接切り抜いた切抜きを見せることができます。▼
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内容は、盲ろうの二重障がいのある学生が社会とコミュニケーションをとるまでになった生き方のルポです。
以下、記事内容からの抜粋です。

 車窓を菜の花が彩った春休み。名鉄線名古屋発岐阜行きの普通電車に、森敦史(あつし)さんの姿があった。東京都三鷹市にあるルーテル学院大社会福祉学科に通う22歳。ドア近くに寄りかかり、揺れに身をゆだねていた。左手にはクリーム色の紙。こう書かれていた。<私は「盲ろう者」です>。敦史さんは生まれたときから全盲で耳も聞こえない。
ひらがなの50音表に点字テープを乗せた手製の「コミュニケーションボード」は手放せない。伝えたいことは、敦史さんが点字を1字ずつ指さして、相手にひらがなを読んでもらう。逆に相手が伝えたい時は、指を握ってひらがなに誘導してもらい、それを点字でよみ取る。

 東京都東大和市にある社会福祉協議会の会議室で、ルーテル学院大社会福祉学科4年の森敦史さん(22)は手話で語り始めた。80人ほどの参加者の耳目が敦史さんに注がれる。
 「僕は目が見えず耳が聞こえない盲ろう者です。光や明るさは感じますが、色の識別はできません。補聴器を着ければ大きな音や大きな声は感じますが、内容の聞き取りはできません」 手話はその場で音訳され、言葉は壇上脇のスクリーンに拡大文字で映し出される。地元で盲ろう者の介助や支援活動を続ける民間ボランティア団体「手・指の会」主催の講演会で、演題は「僕の大学生活」だった。

そして2歳の時に「聞こえない」と診断され、市内の難聴幼児通園施設「みやこ園」に通い始めた。 園長は伊藤泉さん(72)だった。のちに盲ろうの社会福祉家、ヘレン・ケラーを支えた教師になぞらえて「敦史の最初のサリバン先生」と呼ばれた。岐阜県大垣市内で暮らす伊藤さんにとって、敦史さんは思い出深い教え子だった。「あっちゃんの世界は、お母さんを中心に手が届く範囲に限られていました」
 伊藤さんは両親の意識を変えることから始めた。それは通園を重ね、敦史さんが手探りで少しずつ行動範囲を広げ始めたころだった。
 ある日、机や椅子を撤去して、がらんとした教室の真ん中に敦史さんを置いた。そして、駆け寄ろうとする母貞子さんを制止した。

毎日新聞のWebサイトで会員登録をすると紙面を見ることができます。東京と大阪の本社で写真の割り付けが微妙に異なります。▼
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Webの記事は特にニュースの場合は数日たつと検索することが難しくなります。
画面上で保存をするには、画面上で右クリックして“名前を付けて保存”を選びます。保存したいホルダーに記事のイメージがそのまま保存をされます。▼
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この他、ワードにテキストと画像を保存し末尾に引用先を記載してA4の文章にプリントアウトすることもできます。▼
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気になった記事の保存方法を考えない学生がいるので、隙間の時間に入れる教材にします。
かつて勤務校に県内で初めて公立の普通科に全盲の生徒が入学し、数研に入れてパソコンを教えた経験があります。現在その生徒は3児の母親ですが、今年の神戸マラソンに参加したいと便りを寄こしています。

この記事の学生が現在至るまでには、家族や教師や友人など多くの人にポジティブな生き方の刺激を相互に与え続けて今日に至ったのでしょう。
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by okadatoshi | 2014-06-29 17:25 | メディア | Trackback | Comments(0)
同窓会名簿
母校の分厚い同窓会名簿が宅急便で届きました。
最初のページに歴代の行事や建物が掲載されています。▼
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懐かしくなって見開きにある現在の母校周辺と、1961年3月に卒業したアルバム写真と場所を比較して見ました。
現在は山陰本線は高架にされかつてあった田んぼも宅地で覆われています。▼
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正門です。鉄筋校舎に建て替わり道路も舗装されています。当時は木造校舎で男子は全員制帽を被っています。雨の日でレインコートは学校指定のものです。
ここで写っている級友の名前は今でも言えます。▼
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京阪神支部の支部長職のバトンタッチを失してしまい名簿に掲載されています。
高校には教師としても関わったので、同窓生名簿を見ると他校のケースと習い性で比較してしまいます。
掲載を希望しない同窓生については、空欄とあります。卒業生の進学先は年度が現代に近づくと空欄が目立ちます。ほとんどが進学ですから掲載拒否が増えたのだろうと思います。名簿は最初が男子、次が女子です。名簿が男女混合名簿かどうかはわかりませんが、3万人近い過去のデータの組み替えが煩雑すぎることもあるのでしょう。
旧中学時代の1期生の名簿では生存者は1名。今年100歳です。その後は95歳あたりからご存命の方が少しずつ散見します。

現職時代の勤務校の名簿もついでに見直して見ました。
こちらでは、掲載拒否の方hは、“*”マークをつけてあります。
職員の中にも、結構教科名以外は、名前も含めすべて“*”という方が結構います。
住所の削除はかなりあり、これでは名簿で同窓生と連絡を取り合うという本来の用途をなしません。
今の時代と地方と都心の学校という差もありますが、最も大きな理由は名簿業者に利用されるのではないかという個人情報拡散への恐れと、母校への思いが希薄になったということがあげられます。
現職時代走り続けて、やっと迎えたご褒美の時間に故郷や母校へ回帰という心境になる方が多いです。同窓会へ出席できる方は精神的・物質的に安定しゆとりのある生活を送っている方が多いのだろうと思います。
母校と関わり続けることは最終のボランティアといえるかも知れません。
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by okadatoshi | 2014-06-28 17:00 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(2)
心に残る言葉
最近facebookで“いいね!”がついてシェアされている文章です。
某女子大のとある講義では、初老の女性講師が最初の5分か10分ほど世間話をするのが慣例になっているおり、その日は例の野次の件だった-と内容がまとめられています。

東京都議会のある議員が、女性議員に野次を飛ばして問題になっています。その内容は女性蔑視やセクハラであるという意見が大半を占めていますし、私も概ねその通りだと思います。
ところで、みなさんの多くはパソコンやスマートフォンといった、インターネットに繋がる機械をお持ちかと思います。そしてそれらで手軽に全世界に情報発信する手段を心得ていると思います。
思慮深いみなさんの事ですから間違える事は無いと思いますが、念のために助言しておきます。
この件でネット上で当事者を批判するのはおやめなさい。
赤の他人の失言をあげつらって公然と批判するというのは、実は非常に難しい事なのです。私よりも年齢を重ねた人でさえも、きちんと出来ない人は少なくありません。その割に、得るものはあまり多くありません。
批判自体は簡単です。ただし、自身の品位や人間性を損なわずに批判するというのは、これは極めて高度な技術に加えて、強い精神力も求められるのです。
これが無いままに安易に批判する。手軽に正義感を振りかざせるので、やがてそれがクセになっていきます。クセになっていくとどうなるか。他人の失敗が許せない人間になってしまいます。そして失敗を悪い事だと思い込み過ぎて、失敗するくらいならば何もしない方がいいと考え始めるようになってしまいます。
人間とは不完全なものです。肝心な時に大きな失敗をしてしまう事もあります。
何かに挑んで、成功する事もあれば失敗する事もある人と、他人が失敗したときだけ批判し、何もしないが故に何も失敗しない人。みなさんはどちらになりたいですか。

引用先: Hatelabo::AnonymousDiary
講義の最初に、毎回これだけの深い内容を用意し学生に話せる方は講義自体もいいと感じます。

今日のトレーニングジムでおいBGMは、<天野祐吉の隠居大学>アンコール第19回で、ゲスト:脚本家 内館牧子氏。両者の語り口があいもしろい内容でした。
帰途、団地が広がる場所のスケッチ。▼
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by okadatoshi | 2014-06-27 15:54 | 日々の暮らし | Trackback | Comments(2)
北の出講日、教採の勉強会再開
ボディをCMにした市バスの後です。窓枠に手を掛けている姿が面白い。右は北部の田植えが終わった田んぼ。山田錦の契約田の幟。▼
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教育実習もほぼ終わり朝の勉強会再開です。コモンズの学習用フリースペースはまだまばら。午後からは盛況でした。
実習校で作成した教案を提出。参加者は皆実習校での体験が大変良かったと教職へのモチベーションが上がっていました。▼
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キャンパスの剪定作業。▼
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今日のスケッチポイント。ボールペンで輪郭をとり色づけをしてみました。
回廊の先に隣接する高校の鐘楼が見えます。▼
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by okadatoshi | 2014-06-26 23:02 | デジの目 | Trackback | Comments(2)
近場の丹生山周遊登山
昨晩久々の「近場の面白い山に行きませんか?」というKさんご夫婦からお誘いがあり、丹生山へ裏道から登るルートへ午前中出かけました。
Kさんは、100名山をあと一つ残すだけの登山歴があり、神戸森林植物園のボランティアガイドや近くの小学校の自然観察指導員もされています。
今回のルートは迷いやすいというお話なので、旅レコでルートの保存をすることに。単三電池で1日持つ優れものです。サイトを見ると、2014/04/9に生産中止とありました。
ネットで価格を調べると、amazonが安く6680円。
今後プレミア価格になるかも知れません。
歩いたコースです。▼
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軌跡を取りこんだ後で、コンデジの画像ファイルを読み込むと撮影時間でマッチングさせて画像の位置が表示されます。そして位置情報を画像に埋め込むことができます。(左側)尾根道に行くまで急な登りと下りであることが分かります。(右側)▼
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画像位置情報取得ツールを使うと、撮影場所が表示されます。以前にも当blogで紹介しましたが、復習です。▼
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Kさんご夫婦に花の名前を尋ねるとすぐに教えていただけます。マンツーマンのガイド付きです。低山ながら登るにつれて周りが遠望できます。▼
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左からムベの若い実、自生のササユリ、ネコノチチ。▼
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途中に炭焼き窯の跡や遺跡、廃寺跡などあります。
シビレ山(465m)の手前にある“古代祭祈場”▼
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丹生神社・明要寺跡については、ネットで詳しい説明があります。
丹生山(515m)。当時をしのばせる石垣。境内にある相撲の土俵。▼
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今日は家庭菜園で採れたキュウリを金山寺味噌でビールのアテにしました。
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by okadatoshi | 2014-06-25 19:38 | 散策/登山 | Trackback | Comments(4)
西の出講日をすべてスケッチで
新神戸沿線はトンネルだらけです。
大阪方面のトンネルから“さくら”が現れます。▼
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岡山駅は高架のJRの在来線の上に新幹線のプラットホームがあり新神戸駅と異なり在来線への乗り継ぎが便利です。▼
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郊外に出ると水田の風景と共にブドウ畑が見られます。
すでに小さなぶどうの房を付けています。▼
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遅めなので定食は全て売り切れ。日替わり丼で“すき焼き丼”。たっぷり紅ショウガ。
普通の量を盛られご飯を残しました。▼
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帰り外壁を取り除いた姫路城が見られました。▼
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by okadatoshi | 2014-06-24 22:26 | 絵ごころ | Trackback | Comments(2)
神戸森林植物園の6月の花(2)
6/9から2週間経過した神戸森林植物園です。
6月14日(土)~7月13日(日)は、“森の中のあじさい散策”で期間中は無休で朝8時に開園。土日は18時まで延長開園。園内には25種類約5万株の紫陽花が咲いています。
正面には、メタセコイアを始めとする針葉樹が心地よい木陰を作っています。▼
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メインロードの紫陽花の道はこれから開花が進みます。▼
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この時期、北苗畑も開放され珍しい園芸種も見られます。
モモイロアジサイ、ヤマヤエムラサキ、ツルギサンヤエ
フジノタキ、シノノメ、アリランの雨▼
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前回はまだ青かったウスバヒョウタンボクとピンク花だったブラシノキも赤が交代して咲いていました。▼
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今回は朝になって急きょ思い付き、昼食は園内のレストランの名物“ひよこ豆のスパイシーカレー”を頂く。▼
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by okadatoshi | 2014-06-23 19:43 | 散策/登山 | Trackback | Comments(2)
NEW EDUCATION EXPO2014大阪大会
New Education Expo2014大阪大会に昨日は行ってきました。▼
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サイトを見ると今年で19回目です。私も2003年の大阪大会で、“情報をキーワードに学校を考える”という表題で現職時代のことをまとめて発表をしています。

教育機器を使った事例のセミナーと機器展示が開催され、全国的な規模で継続をされているのは、この大会だけになってしまいました。
今回は、“O24: となりの高校の授業ではICT活用どうしてる、何してる ~1学年1000台タブレット導入から電子黒板・電子辞書・デジタル教科書・モラル活用事例まで~”を中心に聞きました。
この中で興味を引いたのは、近畿大学附属高校等学校・中学校 ICT教育推進室 室長補佐 乾 武司 氏のものでした。
同校は、1年と2年全員にipadを個人購入させています。
導入して良かったと目に見えてわかる使い方として、学校で出すプリント類をPDFにしてサーバーに置き紙媒体情報のデータベース化に最初に取り組みました。動画を置いて生徒に事前に見せれば容易に反転授業のコンテンツが蓄積されます。▼
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また一人一台持つことで予想外の使い方が出てきたとの事です。
左は親に感謝するために親のために作る弁当のコンテスト作品。右は学習合宿では、すべてipadで表示できるので従来は用紙していた膨大な量のプリント類が消えました。▼
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文化祭や体育祭でも動画でプレゼンをしたり画像を撮り文具になってます。▼
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同校では次のようにipad利用に対してまとめています。
Ipad利用の規制は教師の限界。
気をつけるべきこととして注意していること
①生徒の限界を教師が決めてしまうこと
②問題解決方法を教師が決めてしまうこと
③教師の常識に縛られないこと
④何が目的なのかを常に意識すること

同校のサイトにも『時代を見据えたICT教育』として事例がアップされています。
大阪府の普通高校で、ipadを使った問題の授業中の添削例も発表されていました。▼
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次に“O31:実践例から考える21世紀型スキル授業でどう取り組むか”を聞きましたが、最初のセミナーの方がインパクトが強かったです。一人1台所有し、生徒の自由な使い方を伸ばす中で教科に取り入れる方法を考えることで使い方が見えてきます。
情報モラルに関する発表もありました。▼
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会場は情報端末とリンクさせた教材提示一色でした。▼
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帰途、会場を出た新淀川の支流のスケッチです。▼
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オフ会では懐かしい顔や“今の”研究者と交流ができて有意義でした。
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by okadatoshi | 2014-06-22 19:53 | 情報/数学/授業 | Trackback | Comments(2)
世界の中の日本
b0036638_11212517.jpg5月に引続いての懇談会(14/06/18)です。
講師は、曽野綾子氏。

★略歴
東京都出身。53年に三浦朱門と結婚。54年聖心女子大学文学部英文科卒業。79年にローマ法王庁よりヴァチカン友好十字勲章を受章。93年、恩賜賞・日本芸術院賞。95年、日本放送協会放送文化賞。96年にパンティオン教皇庁立優秀芸術文学アカデミー会員に任命される。2003年、文化功労者となる。2012年、菊池寛賞を受賞。
1995年から2005年まで日本財団会長を務める。2009年10月から2013年6月末まで教育再生実行委員を務める。
★主な著書
「無名碑(講談社)」、「神の汚れた手(朝日新聞社)」、「天上の青(毎日新聞社)」、「原点を見つめて(祥伝社)」、「貧困の光景(新潮社)」、「非常識家族(徳間書店)」、「自分の後始末(扶桑社)」、「風通しのいい生き方(新潮社)」など多数。
★主な兼職
日本文藝協会・理事、内外情勢調査会・理事、土木学会名誉会員、国際統合医学会・名誉顧問など。

曽野綾子氏の著作では小説よりも随筆、評論の方を良く読みます。当たり前に見える目の前の情景を異なった切り口で辛辣直截に断じる考え方は妙に納得させられる小気味よさを感じます。
講演は手慣れているとはいえ今年83歳という年齢を感じさせない語り口でした。立ったままの1時間半、前日は名古屋でも同様の講演会を済ませての大阪での講演とのこと。お元気です。
豊富な作品と社会的な実践例をお持ちで、論が断片的であちこち飛んだ表現もありました。90分間のメモから話の概要を以下にまとめます。

●なぜサハラ砂漠に行きたくなったか

私は小説を書く職人だ。60年間小説を書いてきた。
日本人は愚鈍な精神が無くなったように思う。
3.11で人間としての考えが変わった-というような表現が言われるが、なんと甘いことをいうのかと思う。
私は13歳で女工として働いた。この女工という呼称を差別語という風潮があるがそうではない。断じて「女工」だ。戦後、朝日・毎日新聞は言論弾圧をしてきたと思う。
以前若年性白内障で視力が落ちた。手術によってふたたび周りがはっきりと見えるようになったとき余りの周りの色の美しさの中で「サハラ砂漠に行きたい」と思うようになった。
私は聖心女子大学で皇后さまの3年先輩に当たる。当時の学校には日本に修道女として着任したシスター達が神に使えていた。母国の修道院を出て、遠い異国の横浜や神戸に着いたらそこからもう一生母国に帰ることはない。そういうシスター達からすべての仕事は一生を掛けてやることを学んだ。そのことが人生の目標とすべきと教えられた。
世界の三大一神教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教だ。
ユダヤ教の中の新興宗教の一派がキリスト教です。イエスはもともとユダヤ教徒です。イエスの死後キリスト教ができる。
多神教は状況に応じて許す神々があり都合が良い宗教だ。

オイルショックの時代、新聞社からアラブの世界を見てくる企画が出された。(自著『砂漠・この神の土地』)23歳のときに初めて外国へ行ったが、もっと外国のことを勉強したいと思った。
この時夫に「私は30年間、バー通い、着物、骨董品集めの浪費もしたことがない。代わりにお金を使ってアフリカを見たい。」と言った。50歳を過ぎた頃だった。
アルジェからサハラ砂漠を越えてコートビジューアールまで8500kmを35日間で横断するもので、隊長は吉村作治(アフリカ考古学者)さんで隊員は6人。
2台の車でチームを組み、機械と電気が扱える技術を持っている人を入れる。参加者にはすべて仕事の人に仕事を与えるということだった。砂漠では仕事をしない“客”を作ると反乱が起きる。車は日産から四駆の提供を受けたが故障することなく動いた。
水の運搬が大切。1人が使う一日の水の量は一日4リットル。
日中は42度、夜は12度。寝袋で外に寝るが2時間に1回は気化するガソリンを抜く作業が必要だった。最近のニュースで夜店の屋台で発火のニュースがあったが気化ガソリンの扱いを知らない穏やかな日本人のことを危く思う。
吉村さんに人選の考えを聞くと①何か技術のある人②遭難に対処できる人③運のいい人 ということだった。砂漠では何かあれば、全員が死ぬ。何かあれば隊長が指揮を執る。こういう世界では民主主義では生き残れない。5人だと3:2で多数決になる。砂漠では動物的な勘が大切。
東日本大震災時、車で逃げる途中でおばあさんから車に乗せてくれと頼まれ代わりに「私が代わりに下りる」と席を譲った人が津波に呑み込まれた。こういう時に法令順守ではなく載せるだけ人を乗せて逃げるという本能が日本人には希薄になった。
宮城県女川町の大川小学校で児童108人のうち、74人もの子供たちが犠牲になったが、なぜすぐ裏にある高台への非難道を作らなかったのか。
国の予算が付かなかったのだろうが、それなら父母が手弁当で階段を作るなどしておれば、悲劇は避けられたはずだ。(概要参照」)
私がサハラに行きたかったのは、こうしたこうした日本と対極にある環境で人々はどう生きているのかを知りたかったからだ。
御馳走に囲まれ、豊かな生活とそうでない人々精神性を知りたかった。
日本ではすべての行動を自分で決めることができる。インドやトルコで砂嵐にあうと人間はすべての行動を辞めてやり過ごすしかない。
私は炊事と運転を担当した。毎日6時間、来る日も来る日の単調な風景を見ながら運転をし続けた。
あらゆるものに砂が入り込む。玉ねぎだけは生き抜いた。砂漠では3個の石があれば竃(へっつい)ができる。
電気がないということはどういうことか、霞が関の官僚の若者を連れて最貧国に連れて行き生活を体験させることもしている。

●電気がないと民主主義は育たない

砂漠にあるのは部族社会。日本の選挙では家族のそれぞれば好きな候補に投票するが、部族社会では別の部族の選挙人を選ぶことはありえない。高齢者や赤ん坊の死亡率は高く民主主義の基本がない。ラジオも聞こえない。サハラでは電池は売っていない。あっても使い古したものだ。
京都議定書で日本では物を燃やせなくなった。しかし、現実にはインドシナからトルコにかけての地域では、薪で煮炊きをしている。
どうして日本は偏った言い方をするのか。電気やガスのない所にどのようにエネルギーを供給する方法があるのかを考えるべきだ。

韓国の出版社から電話があり、私の本を無断で翻訳・出版したと電話があった。当時は翻訳についての国際的な取り決めはなく当の出版社が律儀に連絡をしてきた。
私は意地悪だから、もし利益が出るようなら韓国の施設に寄付をするように言った。
やがてソウルから100キロ離れたらい病患者居住地・聖ラザロ村を運営する神父から感謝の電話があった。以来、この村の支援に関わっている。
らい病は特効薬も見つかり感染することのない病だ。日本ではマスコミは“らい病”とは言わないでハンセン病というが、“らい菌”はあってもハンセン菌はない。
ここの神父さんは村の存続に関して無心に来る。600万円必要と言われ当時銀座で豪遊していた梶山さんの数か月の銀座の飲み代を充てにしていたら、私の心を見透かしたようにこの神父さんは「大口の人の寄付よりも少なくても多くの方の寄金が欲しい。人を助けるという得難い経験を多くの人に感じて欲しい」と言われた。これは凄い言葉だと思う。(概要参照

●賭博場にも神さまは居る

“時の止まった赤ん坊”の取材のためにマダガスカルのシスター遠藤と会い1週間滞在した。医療設備は酸素も薬もビニール袋もなにもない。
そこでは何かできる人はなんでもやる。
国境なき医師団の集会に日本であったとき「医師免許の資格がない人の医療行為への疑問」が会場から出されたが現地での医療行為の現実が分かっていない意見だ。
この病院の支援者にはいろんなボランティアの人がいた。中には左翼から商社マンになった人もいて、私に「宿泊ホテルの二階の博打場へ行ったか?」ときかれた。何事も経験と私はそこへ1万円だけ使うことにして入った。最初“11”という数字が気になり賭けたらあたった。次に“29”という数字が光って見えた。これに賭けるとまた当たった。
儲けは修道院へ寄付したが、博打場にも神は存在すると思った。
以来40年間アフリカと係ってアフリカで身を犠牲にしているシスターへの援助を行っている。121カ国へ行っているがほとんど途上国ばかりだ。(概要参照
インド人は、こすからしい。タクシーに乗っても遠回りをして運賃を稼ぐ。
知人の体験で、下痢をして財布も出せないほどの状態でタクシーに乗った方がいたが、そのときインドのタクシーのこの時の運転手はホテルに直行し金も要らないといった。こういうところは凄い。
日本人の常識では通じないことが外国ではある。水が欲しくて「井戸に連れていって」と頼んでも井戸には連れていっても水が出ない井戸に案内される。こういう時には、「水の出る井戸」と言わないと通じない。こういうことに日本人は慣れていない。

●通訳は自費で雇う

ガザでアメリカの悪口をいう人がいた。「なぜそれほど嫌いなアメリカに援助を頼むのか?」と聞くと再びまくし立てる。
現地から提供される通訳はこういう時に正確に話の内容を伝えてくれない。この時は、私はきれいな京都弁を話す現地の言葉が分かる方に同行してもらい「あなたは現地の人と通訳の人との会話や通訳の内容を黙って聞いていて」とだけ言った。
この時のやり取りでは、「アメリカが援助をするのは自分たちが悪いことをしたと思うからだ。こういう連中からはもっとお金を出せてやればいい。文句をいうならこの人も誘拐されればいいのに。」という内容のやり取りだった。
国際援助といってもこちらは人道的な援助のつもりでも、相手にはその意図が通じない場合があることを知っておいた方がいい。

50才から30年間これらの国とつきあってきた。
日本は貧富の差がひどくなったと最近言われるが、他国の現状をもっと知って欲しい。
現地でレンガを購入するときに現地の価格よりも我々は1個につき2円高く購入する。このことで、日本人は良い顧客として現地の人に認識され、何かことが起きた時に現地に入っている日本人シスターは殺されない。つまり高く購入することは安全保障に繋がるのだ。アフリカは私達日本にとって偉大な教師といえる。

国には、経済国家、技術国家、政治国家がある。
日本はドイツのように技術国家を目指すべきだ。これに徹することがこれからの日本の生きて行く道と思う。

b0036638_11214374.jpg近藤誠先生との対談を、最近本にまとめた(書名:野垂れ死の覚悟)。
私は20年間健康診断を受けたことがないといったら癌の権威の近藤先生は「無駄なレントゲンで照射されなくて良かったですね。あなたは長生きをしますよ。」と言われた。
私は83歳がもうすぐ。死んだと思えば何でもできる。
老人になってもできることがある。老人パトロール隊を作って畑をまわり不審な車があれば番号を控えるだけで「どろうぼう対策」ができる。
“人を殺すな自分が死ぬな”ということを考えて、最後の時まで働きつくしてお亡くなりになってください-これが講演の締めくくりの言葉だ。
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by okadatoshi | 2014-06-21 11:24 | 講演会記録 | Trackback | Comments(2)