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コスモスの丘がピンク色に
10/8のblogに神戸市総合運動公園の「コスモスまつり」の記事を掲載し「最近は花がの勢いがなくまばらで貧弱だ」と毒づいた内容を掲載しました。

今日行ってみると丘がピンク色に。同じ場所から撮った画像です。まつりの時期を20日ずらせば華やかなコスモスが見られました。
画像の右下に赤い字で2011/10/31 11:03 ユニバ記念競技場と表示されているのが見えるでしょうか。
CASIOのEX-H20GにはGPS機能と共にタイムスタンプに加えて近くの名所旧跡がある場合にはその表示も画面上に埋め込みます。海外のデータも入っています。▼
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ここに来ると電車も撮りたくなります。
今回は動画を3本繋ぎ文字入れに加えてBGMを挿入をして見ました。曲は、「フリー音楽素材 H/MIX GALLERY」から頂きました。

音楽を入れることで、なんとなく作品らしく見えるのが不思議です。
windows7になってから、ムービーメーカーが随分と使いやすくなりました。つれあいが散策に出かけた20分ほどで作ったコスモスの丘紹介作品(笑)です。▼



画像位置情報取得ツールを使って場所を示すと次の位置になります。
最近のGPS情報も取り込む携帯画像にも使えます。▼
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by okadatoshi | 2011-10-31 18:21 | 機器/ソフト | Trackback | Comments(2)
神戸ワイナリーのホイリゲ
昨晩から我が家に来ている孫を連れて、神戸ワイナリー(農業公園)へ。
午後から雨という予報で最初に芝生で野球。私よりも遠投ができるようになっています。少なからず嬉しいショック。▼
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この時期、ワインになる前のホイリゲが園内でのみ頂けます。3~5%のアルコール度数とあり、運転をする私は昼食時に飲ませてもらえませんでした。(ー_ー)!!

園内には散策路もあります。葵の花の背景は移築された1824年の農家。この横にジュウガツザクラが毎年しっかりと咲いています。▼
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園内のパティオ周辺にはワイン造りの歴史が学べるようになっています。
これは、1917年製の3螺旋圧搾機で、それぞれのカゴに3種類の葡萄を入れて同時に搾ることができます。▼
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雨に濡れたパティオは好きな風景です。▼
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園内の神戸ワイナリカフェで、神戸近藤亭のキッシュ(ジュース付きで800円)を頂きました。▼
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by okadatoshi | 2011-10-30 21:58 | 日々の暮らし | Trackback | Comments(4)
西条柿
昨日立ち寄った花御所の里に立ち寄ったときに見つけた山の里です。
渋抜きをするとそのまま甘くいただけます。▼
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こんにゃくからは、想像できないこんにゃく芋です。ドラゴンボールか。▼
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画像位置情報取得ツールで花御所物産館の場所を航空写真で表示して見ました。▼
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by okadatoshi | 2011-10-29 22:26 | デジの目 | Trackback | Comments(7)
旅レコ持参で氷ノ山へ
実は中国道の山崎インターを見逃し佐用から岡山県を通過し鳥取の智頭町から若桜へ抜けて国道29号線へ入る大回りコースをとりました。そのため、出発は7時45分でしたが、登山口に着いたのは予定よりも30分遅れの11時。時間的な余裕は「なかったので仙谷コースは外して氷ノ越のピストンに。

青が往路で中国道。赤が復路で山崎から中国道→播但道→山陽道で、370kmというロングドライブになりました。▼
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旅レコの登山部分を拡大して見ました。これは登りです。緑の線は速度です。
氷ノ越を過ぎるとなだらかな稜線歩きになります。▼
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大きく迂回したために花御所の里の直売店に寄ることができました。
吊るし柿用の西条柿を購入。▼
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特徴のある山頂の山小屋です。▼
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360度の絶景です。
朝日に映える大山の北壁を撮影するために山小屋に泊まるという方に会いました。▼



登りにもあったのですが、消雪用の水道の検査をしていました。▼
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橋では真横にかなりの勢いで水の噴射。車を洗ってもらいました。♪(*^.^)ノ▼
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by okadatoshi | 2011-10-28 23:38 | 散策/登山 | Trackback | Comments(4)
筆箱いろいろ
木曜日は三連チャンの日です。
帰宅後も、模擬授業の板書の画像を撮影したものをメール送付。模擬授業のいいところ悪いところの評価表の内容チェックと転記。次週の問題作成などと続きます。

授業の最後の小テストの机間巡視(=業界用語)をやりながら、今日のblogネタを考えていました。▼
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机の回りながら筆記用具を眺めるとなかなかユニークなものがあります。
試験中の学生さんに「自慢できる筆箱のある人」とい協力を求め画像で集めて見ました。
これで今日のblogが出来る(=^ェ^=)

ペン立に早変わり。ただ、小さいものが底から取り出しにくいとか。▼
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これは普通の筆入れ(上)に見ますが底の磁石がついており机の下にくっつきます。
カンニングに使える?と聞くと強く否定。▼
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豪快に広がります。ファスナーを占めると正方形になり鞄に入れやすいとか。▼
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これも必要なものが全て広がります。▼
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デザイン的にかわいいものでいずれも女子学生所有。▼
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かなりiphoneを机上に置いていました。こっそりメールをするというより辞書替わりに使っている感じでした。
現職時代に生徒の筆箱の観察なんてじっくりやる余裕はありませんでしたが、改めてみるとその時代を感じます。
もう私には時間はありませんが、現場にいる先生は、生徒や児童の持ち物、しぐさ、ノートのとりかた、返事の仕方など何か定点観測をされると時代の推移を後で感じる素材になると思います。
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by okadatoshi | 2011-10-27 22:09 | 情報/数学/授業 | Trackback | Comments(4)
一般公募推薦の車内広告
車内の吊広告を観察していると季節の推移が感じられます。
大学関係について言えば、夏はオープンキャンパスが目立ちました。
10月~11月は私学の一般公募推薦の広告です。かなりの大学でこの推薦で定員の確保を狙います。

以前は、推薦入試と言えば入学実績にある指定校の高校から本当に優秀な生徒の限って「推薦」をするというイメージでしたが、今やなりふり構わない青田刈りの場になっています。推薦枠も乱発で、オープンキャンパスで名前を書いたら、その高校の進路指導部に指定校と推薦枠が届くという話も聞きます。

今日は次のようなものが目に留まりました。▼
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一緒の車両に、顔見知りの非常勤講師の方と乗り合わせました。
このポスターも話題になりました。キャッチコピーとしては、「何?」と思うけどネットで調べると、むしろ「なぜ女性は返事が遅い?」という嘆きの方も結構あります。
この学校のホームページを見てもイメージ先行でよくわからない。

情報社会学部では、高校の情報教員の資格が取れて、小学校一級免許も取れるとあります。よく見ると※が小さくついていて、「協定大学で科目履修生として必要単位を取ります。科目履修の費用は別途必要です」と学部PDF書類にあります。

定員を大きく割ると文科省から補助金がカットされますから、大学の維持が困難になります。そのクラスの大学では生き残りをかけた学生を集めに走ります。

最近の「週刊ポスト」に関東のある大学の紹介がありました。
その大学では大学の英語教育のカリキュラムにBe動詞から基本的な学習をすることが公開されているとありました。
中学レベルの英語を大学でやるのか-とうやや揶揄した内容でした。
そして次の週に、記事で報じられた大学の学長が、「基礎学力がつかないまま社会に出していいのか、本学は学生に力をつけて世に送り出す最後の機会を設けている」という反論というより、その学校の教育対象の振り分け方針を明確にした立場を述べてました。
4年間を遊民として卒業資格を出すだけの大学よりも思い切りがいいし、力をつけてくれるということであれば、定数を満たし生き残れるのかもしれません。

かつてはあった大学生の選良(インテリ)意識は、一部の学校を除いてもうありません。
たまたま19~22歳の年代の若者で身分が大学生であると思った方が現状にあっています。
親は年間100万円の学費を稼ぐために、子供とゆっくり話す時間を犠牲に母親はパートに進学資金を蓄えています。
学生もコンビニでバイトをして食費とケータイ費用を出しています。

推薦制度で学生を確保し授業料を出してくれる「お客さん」として単位認定も緩くして大学卒の資格を与えて送り出します。
でも、社会人になるときは推薦入社などありえません。
高校で入試に関係のある科目だけ力を入れ、本当に最後の力を付けるはずの高3の二学期以後を空洞化させ、大学へともかく送り込む今の高等教育は、結局は力をつけないまま、社会に送り出された学生を被害者にしているように見えます。
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by okadatoshi | 2011-10-26 22:52 | デジの目 | Trackback | Comments(2)
第三の敗戦-そして第三の復興
b0036638_1630425.jpg9/30の講演会に引き続き、昨日時事懇談会を聞きに行きました。会場は、リーガロイヤルホテルです。
講師は、作家の堺屋太一氏。1960年4月に通商産業省入省。1975年の通産省在職中に、近未来の社会を描いた小説『油断!』で作家としてデビュー。ベビーブームで生まれた世代を『団塊世代』と名付けました。
1978年に通商産業省を43歳で退官し、作家活動に入りました。1998年、小渕内閣に民間人閣僚として経済企画庁長官に就任。

その多彩な経歴に裏打ちされた表題の講演を楽しみにしていました。
メモを元に概要をまとめます。

●明治維新とは何か

幕末・太平洋戦争の敗戦、と日本はその都度新しい仕組を作り立ち上がってきた。
バブル崩壊後、日債銀を始め35行がつぶれ再編成をされた。そごうもつぶれた。その後、2ヶ月経って再生の兆しが出てきた。
私が経済企画庁に入ったとき日本の経済力は世界で6位まで下がり、再生のために荒療治を行い在職中の2年半で辞めるときには3位まで上昇。日経株価は12000円台から20800円台まで上がった。それ以後の10年間は日本経済は下り坂になり、3.11という大災害が起きた。これは日本が近代になってからの3度目の敗戦と位置づけられる。

第一の敗戦は、幕末。黒船によって身分制度が崩壊をした。「イヤイヤ開国」をした。幕府は外国人の排斥が根底にあり尊王攘夷であった。当時の錦絵では外国人は天狗の鼻のような描写をしている。

明治政府は次のことを成し遂げた。
①「スキスキ開国」に変える。外国の文化を積極的に取り入れた。
②版籍奉還を行い武士の身分を廃止した。この力となったのは、長州の奇兵隊である。
③廃藩置県を行った。
④新貨幣令(明治4年)。ペーパーマネーの流通。このことで、幕府の時代では年貢を3倍にしないと国の財政の立て直しができないという予測が、新政府になってからは資金調達ができ財政が豊かになって鉄道・郵便・軍艦の建設を行った。
⑤教育の統制をおこなった。

以上5つが明治維新である。
この路線で大正初期までは、日本の国力は伸びて行った。しかし、太平洋戦争以後はじり貧になっていく。1923年の関東大震災で下り坂に転じるがそれでも大正デモクラシーは持ちこたえてはいた。が、1935年から軍部へ政権が移り敗戦となる。

●敗戦以後の流れ

進駐軍は陸・海・内務の武力官僚を排除した。
戦後の復興が進み、1970年台の万博の頃には規格大量生産の時代に突入し、1980年台には国民総生産も上がり経済大国となった。
貧富の極端な差はなく犯罪も少ない天国を日本は作った。その後のバブル景気の崩壊後20年ええとこはない。

●官僚が東京一極集中化を進めた

戦後官僚が推し進めたことは官僚が中央で規格を作りそれを地方に推し進めていくことだ。

①業界本部を東京に置き全国の社長を東京へ集めて会議を招集する。私が通産省に入った頃はその仕組を作る真っ最中であった。
当時、なかなか大阪の繊維団体が東京に事務所を置かないので、当時課題だった日米通商交渉のテーブルにこのままだとつけないと圧力をかけて東京移転を図った。他に全国組織で地方にあった京都の工芸団体や名古屋の陶芸団体程度だった。また叙勲で、東京に本社を置かない社長には勲一等出さないなどがあった。このように本社機能を東京に集まった。

②情報発信のキー局を東京に置かないと報道が出来ない制度にした。毎日放送も東京にキー局がないと放映ができない。

③特殊な機能を持つ文化施設は東京に作らせた。このために関西歌舞伎もなくなった。地方には、多目的な施設しか建設しない。このような中途半端なホールでシンフォニーは正面の席以外は音響効果は良くない。

この三つを推し進めることで中央から地方に広げるこの仕組で戦後の経済成長を推し進めてきた。

教育の統制もそうで、その結果全国どこでも同じ授業内容が出来る。このような統一規格化で企業も人が使いやすくなった。人づくりが経済を押し上げた。しかし、この企画大量生産も今や世界の趨勢に合わなくなってきた。

●知価革命

満足ができることが幸せという考えである。これは物欲を満たす客観性とは異なる主観的な考えである。地域と年代によって可変的、主観的な社会になっている。これを知価社会という。科学的なものから主観的なものへ移り人生観も変わってきた。
月給の高い所よりもおもしろいところへ人が流れる。この風潮の中、アメリカの大企業に優秀な人が集まらなくなっている。
おの人生観の変化は、学業・就職・経済・結婚へと影響を与えている。
物も欲しいときに買うということだ。その結果アメリカではおそろしい勢いでローン社会へと突入していった。先に購入して後で支払う。

●アメリカの過ち

アメリカは貿易赤字国になった。通貨は信用があってこそ流通する。レーガンはドルを貸し続けた。学者はドルの価値が下がると反対をしたが、レーガンは楽観的であたt。これは、レーガンミックスと言われる。

実はこの手法は、1250年のモンゴルが発行した当時の国際通貨で実施され破たんをしている。
しかし、レーガンは楽観的に同じことをやった。アメリカはドルの貸し出した投資先が次々と駄目になり2003年にはサブプライムローンに窮していく。
この結果、2008年のリーマンショックが起きた。それ以後、借り手は国しかなくなった。これも、なくなれば利息がゼロとなる。無利子になれば金の動きが止まる。

●日本は旧態然としている

日本は規格大量生産のままで止まり新しい動きに対応できていない。
野田さんの財政政策では橋本内閣の増税政策の過ちと同じことになる。当時私たちは反対を唱えたが大蔵官僚は聞き入れず1997年のアジア通貨危機へと繋がった。
今回も同じ繰り返しでアメリカの破綻は3年後に日本を襲ってくる。
中国では、やがてルイス転換点がやってくる。これは日本のバブル崩壊と同じことが起きる。この時期に増税政策は良くない。

●政府が今やるべきこと

①財務のデフレ政策をやめること。
この20年間名目でマイナスが続いている。まわりのものは皆安物ばかりだ。
上海で生産しているジーパンの輸出先では、100元のもはアメリカ、40元は中国、20元の縫い目の粗い安物は日本と別れていた。
日本の安物志向は続いている。日本向けの牛肉もある。
デフレは文化の発展や子供の教育には良くない。

②成長政策を行うこと
保護政策から伸びる分野へ金と投資する。
そのためには縦割り行政をやめること。各省の役人は法人への権益を握って離さないのは自分の退職後のことしか考えないからだ。

③高齢者が楽しく働ける文化をつくる
戦国時代の年齢と現代のものを換算すには次の式がある。
   (昔の年齢)×1.2+3歳=(現代の年齢)
これによれば、織田信長は現代では62歳。武田信玄は52歳。当時75歳の徳川家康は90歳を超える。
ところが、今は社会全体に高齢者が金を使う制度がない。寄付もできない。
高齢者がもっと楽しく金を使える環境や商品を用意すれば、金を使う。また職場環境もフルタイムではなく、週に数日勤務などにすれば働く人も増える。

アメリカでは個人の寄付金額が20兆円。日本は200億円で100分の1だ。
制度が硬直化しても官僚支配で縦割り行政が壁になっていて改革ができない。
根底には官僚こそが金の使い方を知っているという発想がある。

●地方から中央を変える

規格大量生産時代の残渣を如何に減らすかが問われている。橋下徹さんはそのことを言っている。東京一極支配をあえて崩そうとしている。
先般あるLEDの会社が、新宿と大阪北区に同じシステムの街の照明の提供を申し出た。
新宿区長がすぐに出向き8月に受け入れを知らせてきた。大阪の方はスムーズに進まず受け入れるかどうかの検討会を来年の4月に持つということだった。ここまで硬直化は来ている。
幕末の改革も長州藩の奇兵隊から始まった。まず、どこかの地方で実施することからしないと始まらない。

●全世界不況の中で

リーマンショックから2011年はギリシャの経済危機になった。2014年ごろにはアジアを襲うだろう。
日本からさらなる企業の流出が進む。TVも自動車産業も消えていく。そして、官僚たちは成長産業を止めている。
この結果貧困化はますますひどくなる。
3.11は敗戦の始まりでガダルカナルの撤退あたりで3年後には敗戦だ。私の関心事は、いつ官僚と政府がこのことに気づくのかということだ。
今回の橋本さんの動きもこれから、中央の反発と干渉がより強く加わるだろう。

(会場からの質問に答えて)

円高が進んで良いことは何もない。
円安になればインフレが進む。エネルギー問題が大変になる。アメリカ天然ガスの供給の道があり、ロシアも代替えがある。
アラブ諸国の不安定要因は直接、日本へ影響を与える。円安と共にスタグフレーションになっていく。
銀行融資も若い人の起業へ投資されない。日本は、小さな発展途上国に落ちる。
阪神淡路大震災前は、神戸港は世界4位の貨物の取り扱いがあったが、今や37番目。釜山港の10分の1だ。これはことごとく官僚統制の結果である。
物価の上昇を抑え安物の氾濫を防ぐ。起業への融資をもっとすべきだろう。
そのためには、地方が脱官僚をしなくてはいけない。
東北復興庁の動きは腹立たしい。8か月経ってもまだ決まらない。阪神淡路大震災の時には2月には基本方針が決まっていた。
金はその地方に与えて自由に使わせればいいが、現実には中央の指示待ちで責任逃れをしている。
地方は、国のイメージにないものを発案して欲しい。
仙台は音楽の都、別のところは演劇に特化するなど。役割分担を提案して欲しい。行きつくところは道州制になるのではないか。

                    *   *   *

経済企画庁長官時代に、インパク(インターネット博覧会)を開催。
実は私の現職時代の学校で、インパクのパビリオンの一つインターネットノベルの県内のキー校になり、同氏が訪問をされました。話される印象は当時と変わっていません。
大臣の訪問ということで、事前の車の進入路の調査や当日の行動について細かいマニュアルがなされ大変だったことを思い出します。
2000年9月の画像から次の画面を紹介。▼
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by okadatoshi | 2011-10-25 16:34 | 講演会記録 | Trackback | Comments(2)
梅田でプチオフ会
堺屋太一氏の講演会がお昼にあり梅田へ。
内容をまとめるのは少し時間がかかります。先週の授業参観の学生の課題レポート80通がメールで到着し出しました。少し忙しモードです。

ホテルへのリムジンバスの車窓から、kooza(クーザ)大阪公演会場(8/4~11/6)が見えました。超巨大なサーカス小屋風のおもしろいテント群です。▼
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講演会の前にランチが出ます。▼
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今日は最初の着任校の教え子が8人参加。
講演後、11/9/30にも行った「ビアダイニング スーパードライ 阪神」へ。▼
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年齢的にはすでに還暦を過ぎてますから、私の生活と似てますし物の考え方も変わりません。堺屋太一氏がネーミングをつけた団塊の世代です。若いときに猛烈社員で残業180時間の月もあり、労基法も何もあったものではない中で精神的に参って転職した話し、いつも出てくる高校時代の「今だから話せますが、、、」という話も次々に。先月から今日までに同期で2人の物故者があったようです。
満額ではないけど年金が出るのはありがたい何とか暮らせるという話題も。
私の子供や孫に時代に安心して労働意欲に湧く日本に再生しているでしょうか。堺屋さんの話を聞いた直後だけに悲観的になります。

帰宅後、瀬戸内寂聴さんの青空説法の再放送をBSで聞きました。
また、ビューンのPRESIDENTの掲載されている「相田みつをと金子みすゞの世界」を読みました。これらで、気持ち的には少しバランスがとれた気がします。
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by okadatoshi | 2011-10-24 23:16 | 日々の暮らし | Trackback | Comments(4)
朝食にミニホットドッグを作る
つれあいは3泊4日で山仲間と山へ。夕食を作る次女の代わりに朝食を私が作りました。
普段は、デジカメを持って台所に入ると、つれあいが「またどこかに載せるのでしょう。シッシッ」と追い出されrますが、私だけですのでじっくりと撮影ができました。(=^ェ^=)

ウインナーを刻んだキャベツを油で炒めパンに切れ目を入れて中に詰めます。
胡椒と塩を入れ忘れ途中でパッパッ。▼
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これをオープントースターに5分間入れます。
つれあいの調理時間には及びませんが、なんとかできあがり。▼
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このところ、専門性の偏ったblog内容なので息抜き話題です。
これから、団地の自治会の定例のネット部会に出かけます。
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by okadatoshi | 2011-10-23 09:17 | 日々の暮らし | Trackback | Comments(6)
円周率に魅せられて
来年度から中学から進行した新カリキュラムが高校1年へと移行します。
従来の数学1とはかなり大幅に内容が変わります。
数学教科法で使用する教科書も新しいものを手当てをしなくてはならず、内容も勉強し直しです。現場から離れて久しいので、教科書会社からサンプルの提供を受けて見直しを始めています。

すでに新カリキュラムへ移行している中学の教科書も入手しましたが、A4判になり随所に写真も入りカラフルです。章末には、厚紙で切り取って工作をすると立体模型になるようなパーツもあり雑誌の付録を連想します。
イラストにも男女の生徒が登場し、吹き出しで会話をしてくれます。読んでいて楽しい工夫がみられます。また、各学年章末には数学探究のテーマが詰まっていて、内容はかなり多くなっています。

中学1年生の末尾の数学の歴史では「πの計算」を取り上げていました。▼
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「現在では、5兆けたまで求めらています」とありますが、その記録は同じ方がさらに10兆桁まで達成しています。
円周率計算、10兆桁を達成 飯田の男性が自身の記録更新
昨晩もTVで報じていました。

教師になったころに、数学科へ理科教育振興法によって各学校に、1台32万円のプログラム電卓が導入され始められました。
当時、オリベッティからデモ機が学校に持ち込まれ、研修会で二次方程式の解を出しました。計算手順が「プログラム電卓」で磁気カードに記録され、同じことは次の日に電源を入れれば繰り返すことに衝撃を受けました。この期間は休みにも登校しその機械に触れていました。

当時学校では研究紀要が出され、教師の個人的な研究成果も掲載されていました。
私は「円周率の計算」と題し一文をまとめました。
内容は、
1)小中高の教科書に出てくる円周率の扱いと求め方
2)プログラム電卓でも演算結果を求める(13通りの方法を掲載)
ただ、演算するメモリの保存できる桁数(10桁ほど)に限られてました。
やがて桁送りの方法を思いつき、最初に桁数を設定して、その数だけメモリー領域を確保すればいいことに気づきました。
計算の収束速度はマーチンの公式が速いのですが、サブルーチンを組んでアルゴリズム的に簡素なプログラムを組むには、アークサインの級数展開の公式を当てはめることで円周率が求まりました。

電卓のプログラムを工夫すれば計算機がやってくれるという体験と、予想通りの結果が得られた時の喜びを知ってしまい、以後パソコンの教育への機器利用に取りつかれる糸口になりました。それだけに、この10兆桁を出した方の感動が十分に分かり共感を覚えます。
数学の歴史では、円周率の桁数を伸ばす競争が激化し、無駄な労力に研究時間を割かないようにと中世のソルボンヌ大学では自粛の通知が出されたなどという記述が数学史でてます。

当時のプログラム電卓は、言語的にはアセンブラ的なシンボルの羅列で生徒や一般の教師にはなかなか普及はしませんでした。
オリベッティP602-SAという機種で組んだものです。320桁まで正しく出ています。1976年に求めたもので、54分かかりました。▼
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その後、BASIC言語が開発され教師が学校の校務や教材開発にプログラムを作り始めました。1980年に入りパソコン通信時代に入り、NiftyやPc-Vanの教育フォーラムで全国の教育関係者と繋がりそれは、facebookでの出会いにもなっていますが、このあたりのことは別に項目を設けて触れたいと思っています。

BASICのプログラムでは数字の動きが文章化されて、作業内容がよく分かります。
先のものをシャープのmz2000に移植したものです。(クリックすると拡大します)▼
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私の場合は、学校にたまたまやってきたプログラム電卓がその後の、興味関心を触発された契機となりました。教科書のこのような章末問題や教師の投げ込み教材が、その後の一生を掛けての研究テーマに繋がることはあると思います。そういう狙いを最近の教科書には感じます。

ただ、数学が理系か文系かの選別科目になり、進路が決まると受験の効率化から文系の生徒には微積分を学ぶ科目はなくなります。受験に必要な科目だけに絞る風潮は、幅広いその後の生き方の可能性を狭めています。
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by okadatoshi | 2011-10-22 17:24 | 情報/数学/授業 | Trackback | Comments(2)