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メトロに乗って
b0036638_9472684.jpg 先日、近くの「須磨パティオ」の掲示に表題の映画を先着400名に二回無料公演というポスターを見て昨日で向きました。
30分前ですでに100名近くの行列でしたが、ゆっくり鑑賞できました。
 親子の情や愛する人とへの追憶をタイプスリップという手法を使って表現した浅田次郎独特のファンタジー映画です。
この文は、下記の[メトロの乗って」の公式サイトのBGMを聞きながら書いています。
http://www.metro-movie.jp/
 DVDも3月には発売になりますが、これから大量に第二ステージに入っていく団塊の世代には今ある自分のルーツでもある親との関係へ思いを触発する内容です。
 私自身のことを考えても、学校への進学、職業選択、結婚とその折々に選択の分岐点がありました。選ばなかった枝の先に何があったのか、親達の世代その当時の時代背景などもし知りえたらもっと別の親への対処の仕方や理解の方法も変わっていたのだろう-そういう思いが改めて思います。
 両親は見合い結婚し、父は京城(現ソウル市)で同族会社に勤務しそこで私は生まれました。母は日本の敗戦と共に親族の子ども達を引き連れてプサンから引揚船「興安丸」で日本に帰りました。当時でいう引揚者です。敗戦直後の外地の混乱については親達は多くを語りませんでした。戦後の苦労もあったろうし父の事業の挫折など私の多感な時代の諍いなど今回の映画の主人公の父親への反発や拘りに似た感情を思い出してました。
 このような、各自の根底にある肉親との関係を思いを触発させ、それぞれのメトロに乗せてしまう巧みな映画です。
 岡本綾が好演をしています。
 上記のサイトから、壁紙を入手しさっそく入れ替えました。
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by okadatoshi | 2007-02-25 09:47 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(0)
近畿百名山>スリリングな岩場、雪彦山へ
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 変化に富んだこの山はかねてから行きたいと思っていた山でした。六甲の野草案内ボランティアをされているご夫婦と共に昨日(2/21)登頂しました。セッピコという呼称の語感が何か心躍る気持ちにさせてくれます。
雪彦山は、洞ヶ岳、鉾立山、三辻山の三山の総称で玄常上人以来の修験道の道場になっています。
県立自然公園に指定され北方の三辻山(通称雪彦山915m)から開ける展望は、急な北斜面を登りきった後だけに素晴らしい。途中のクサリ場や、巨大な岸壁に間の細い空洞も変化に富みスリリング。それぞれ迂回路もあり掲示などはよく整備されています。
今回は山頂の尾根歩きをし最高峰の鉾立山の950mを回り駐車場まで戻りました。
次のサイトに付近の山々の記録が詳しいです。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~HASSHI/seppiko.htm
途中で地蔵岳からの急傾斜なクサリ場を下りてくる熟年のご夫婦と合流しました。
お聞きするとお二人ともリタイアしてからの登山開始。
きっかけは定年になり桝水原までドライブ、気まぐれで大山に登頂したのがきっかけで山登りに興味を持ち8年間、現在69歳。
夏はアルプスに入り冬場はそのトレーニングを兼ねて雪彦山のクサリ場と急な登りでトレーニングご夫婦で共通の趣味を見つけ楽しんでおられる様子です。ここでも先達とお会いしました
 バスが数回あるものの登山路までは車がないと不便です。
下山道分岐を経由する三角形のルートが夏山のトレーニングコースとして定着。本格的なロッククライミングのできるせり出た岩場もありました。入り口に「この登山道です。ハイキングコースではありません。」と姫路警察の表示がありました。
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by okadatoshi | 2007-02-22 09:32 | 散策/登山 | Trackback | Comments(0)
Aさんのこと
b0036638_7254263.jpg 現職時代に視覚障害の生徒が入学しパソコンの音声ボードを使ったソフトや点訳情報を集めた時期がありました。
 その関係からAさんからコンタクトがありボイスメイトという勉強会を始めました。生まれた時から光の世界とは無縁のAさんは鍼灸業の傍らアマチュア無線、パソコン操作などにも巧みでおなじような視覚障害の方々のためにアドバイスをしておられました。
支援スタッフも増え、現職時代は途中から忙しくこの会から離れていましたが退職後また支援スタッフとして復活しています。
 Aさんは体調がよくないということは聞いていたのですが入退院を繰り返し1月23日未明に亡くなられました。病床にありながら昨年の11月まで例会に出たり、他の障害者団体主催のパソコン操作の講師もされ、12月はいよいよ体力が無くなってきたことを自覚され、後任の講師の手立てや会の今後を心配されていました。葬儀には会から供花を送り冥福を祈りました。式が終わり、「やと我々を見てはるんと違うかな」と話す人がいましたTVやマスコミには障害を克服し感動を与えるドラマ性の高いものを見聞きします。Aさんのように自分の障害と向かい合い誠実に生を終えた方を知ったことを記しておきます。
 一ヵ月後、いつものように例会があり、Aさんの意志をついで会の代表を引受ける方も出てこの会は続きます。
 パソコンの性能は年々新しくDOSからwindowsの世界に移行したときは、正眼者にとっては多機能の使いやすい環境が整っても、音声とキー入力でソフトが作られた視覚障害者にとっては新たなハードルの登場でした。音声関係の不具合をクリアされるのもかなり後のことになります。
 障害を持ちながらパソコンの能力にも詳しいAさんのようなセンスのある方はあまりいません。しかし、彼が作った集りの中でそれぞれの能力と情報収集を補完しあう集まりは続いていきます。
 画像は、1月25日の葬儀。下段は今後もう続けることを決めた2月の例会の画像です。
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by okadatoshi | 2007-02-12 23:59 | 人びと | Trackback | Comments(0)