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ハートだより4号発行
b0036638_9451469.jpg奇数月最後の週の月曜日の新聞折込に入れられます。今日がその日で4号が神戸市内の各戸の新聞折込広告と一緒に入れられました。月曜日は比較的折込が少ないので、そのまま捨てられないで目立つかなという意図もあると聞きます。
「震災10年 神戸からの発信」から出されているもので「市民手作り新聞」のスタッフに参加しています。今回は、2本記事を書きました。あと、12月の最終号まで3回を残すだけになりました。スタッフも私のような第二ステージ組から会社勤務・主婦・学生など20名あまりが各自の協力できる時間に合わせて緩やかなかかわり方をしています。退職後は人との出会いが狭くならないように編集作業を楽しんでいます。
この後、地下鉄の改札口や区役所などにしばらく置かれますので折込に気づかなかった方はごらんになってください。8面に「神戸元気VOICE」の投稿ページもあり、郵便・fax・メールで全国の方からの投稿も歓迎しています。
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by Okadatoshi | 2005-05-30 09:50 | メディア | Trackback | Comments(0)
自分史への準備
小学校5年生の時から書き始めた日記を納戸兼書斎の片隅の本棚に一列に並べています。
同窓会や教え子とのHPの会話の中で当時のことが出ると開くことがありますが、一度開くとパンドラの箱モードでついつい読みふけってしまいます。
日記は正確に心情を書いているわけではなく意図を外した記述した前後の心理状態もそのまま思い出されます。もっとも最近は、5年連記にして日々の忘備録のようになり読んでいてもおもしろくありません。読み返すのも恥ずかしい若いときの激情・昂揚期のものなど、必要なものを自分史として残し、判断力の付く間に処分をしてしまいたいとも思います。こんなものは残された側も処分に困るでしょう。文章力を練るために始めたという永井荷風の日記のようにはいきません。そろそろ構想に着手してもいい時期かなとも思います。
郷土の大先輩で出版業を営んでいる福山氏から「自分史」についてメールを頂きました。少し長いですが以下、紹介します。同氏は、「孫達への証言」という戦争は二度と起してはならないという思いをこめた作品を編集され今年で17集を数えます。

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自分史を書く意義については①自分を含め先祖や家族の人たちのことを子孫へ伝えるためで、文字にしておかなければならない。②そのためにはノートに書いたものでもよいが、できればワープロで打ちコピーで数冊作って子供に渡してほしい。

ルーツ調べは①役所で除籍簿をあげれば明治5年までわかる。それより前は古文書など当たるしかない。家紋や名前では根拠がはっきりしにくい。せめて明治以降のわかる分だけでも、系図を作ってほしい。②お寺での過去帳では戒名や没年月日がわからないと難しい。③戦時中召集された人の軍歴は県庁の厚生課援護係でわかる。

書き方の注意点は①「自分だけ史」にならないよう「私は」という一人称はできるだけ省く。②「自慢史」にならないよう、ことさら自慢話を羅列しない。失敗したことも書く。③時代背景も入れることで、なぜそうしなければならなかったかが分かり、内容に深みが出る。④エピソードを中心にし年代順に書く。⑤人との出会いの場面にウエイトをおく。その後の人生が大きく異なっている場合が多く、そこを書き込むことでドラマが生き生きしてくる。⑥悪口に類することは書かない。もしその人が読んだらどう思うかを考える。書き手の人間性が問われることも。

もし本にし出版する場合はしかるべき「編集者」の協力を仰ぐ。原稿を印刷会社に持ち込めば本は出来るが、内容面で問題になるものが多い。社会性があり価値あるものにするには編集者の協力が不可欠。②お世話になったかたがたに「人生の感謝状」としてお渡しする気持ちが大切。定価をつけて元を取ろうなど考えないこと。③「本にする原稿を探しています」とか「あなたの原稿を本にします」などの広告には注意すること。「全国の書店におきます」といわれ判を押す人が多いが「売ります」とは言わない。売れるはずがないからだ。ここのからくりは一般の人には分からない。ご注意を。④部数は年賀状の枚数プラス二、三割を予備とする。

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早く同氏に出版についての相談などもできるようになればいいのですが、なかなか作業がすすみません。
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by okadatoshi | 2005-05-25 15:19 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(0)
自力でセカンドハウスと菜園を
今日は高校時代の先輩宅に招かれて日々変貌中のセカンドハウスへ。
兵庫県の県境に沿った場所にある京都府の地にあり、本拠の大阪にあるマンションから車で1時間半ほど。週末にはそこで過ごしているとのこと。
子育ても終わり残りは自分達夫婦のために過ごしたいということで、70坪ほどの売り出し中の別荘地を購入。最初に小屋を建て菜園を増やしています。近所の山林の持ち主と懇意になり、台風で倒れたヒノキを無料でもらい現在二階屋を1年がかりで増築計画中。もともと現職時代は、土木関係の設計技師で支柱のコンクリートを流したり設計は専門。土木屋さんらしく、30mのボーリングで地下水を掘り当て1年を通して15度の水が池に常時噴出し、8畳分の東屋の中央に大テーブルを設置して近所の人も寄り合い、バーベキューのできる専用のカマドが石組みされています。ご馳走になった山菜は、すべて自分の畑ですぐにむしって食する。天井がないと小屋扱いで建物でないそうでこれは税金がかからない。土地は山林扱いで数千円の税金とか。奥さんの話では、定年直後は、元気がなかったのが今は家の建設と畑の手入れで生きがいがある様子。器用な方で市のシルバーセンターで剪定の講座に通い試験に通って、希望すれば年間100日ほど日当1万円前後で植木剪定の仕事も入るようになり秋口から忙しくなるようです。今が暇なので家作りが忙しいとか。自分の体力を見ながら3年ほどで住める状態にして自分の体力にあわせたライフスタイルの計画も聞かせていただきました。
現職時代の経験も活かしながらまったく別の生き方をされる元気な60代の方にまたお会いし触発されました。
【画像をクリックすると拡大して表示されます】画像上段/小屋の上に二階を作るヒノキ・ボーリングで湧き出る地下水。下段/菜園のイチゴももぎたて・火力の強いかまど。
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by okadatoshi | 2005-05-22 22:27 | デジの目 | Trackback | Comments(0)
JR福知山線の事故以後
b0036638_8484785.jpg先日の会合で知人から、「三田から尼崎の職場に行くのに今までより20分早く出て、20分遅くつく」と話されていました。事故のあった沿線の商店街が開店休業になっているという話も聞きます。
先週大阪に行きましたが、阪急梅田の中央改札口の神戸線寄りの改札口がJR利用者優先の改札口になっていて、JRの腕章をつけている社員が5人居ました。一応、乗換用の定期券を目で確認するという建前でしょうが、定期のチェックするというよりもひたすら頭を下げて「申し訳ありあません、ご迷惑をおかけしております」と声をあげていました。
事故の後、毎日この状態が続いているのでしょう。
鮮度のよいニュースにマスコミは移りつつありますが、時折報道されるニュースは「対応の悪い、体質があいかわらず変わらない西日本JR」という路線に沿った報道が目につきます。JR側が、「現場に記念碑慰霊塔のようなメモリアルを考えている」という考えを示すと、沿線マンションの被害者の「我々の意思を確認しないで先にそういう方針を出すのはおかしい、まず保障を含め代表者が謝罪をするのが先」という映像もセットで流されます。
肝心な被害者の保障やケアに取り掛かる前の段階で、きちんとした方針が立ちにくく当面反論できる立場にない「JR叩き」に終始する手詰まり状態のようにも見えます。
再開の具体的な目処も立ってない阪神間の南北を結ぶ動脈的な路線の利用者・関係者も通勤に耐えています。単に劇場型の報道に終始するだけのマスコミ。そろそろこういう現状を打開していくための提言や再建プランなどにも目を向けた報道側の主張・提言が欲しいもの。
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by okadatoshi | 2005-05-21 09:12 | デジの目 | Trackback | Comments(2)
「かつ丼吉兵衛」で元気をつけて
三宮で昼食を並ぶ時間があるなら、センタープラザ西館地下にある「かつ丼吉兵衛」で600円の“かつ丼”を食べると元気がでます。いまどきこの価格で、このボリュームとジューシーで厚みのあるカツは他にはありません。15席ほどのカウンターだけですが、午前10時から午後6時まで、日・祝日と水曜日が休み。昼には行列ができます。行列をしてからありつくので美味く感じるという相乗効果もあります。
ほとんどが男性で、何人かは「ご飯少な目」と最初に注文をする人もいます。今日は就活中なのか黒っぽい制服に身を包んだ女子大生が食べていました。ここならスタミナつけて、頑張れるでしょう。最近は、ソースカツ丼も出来ていますがほとんどは卵かつ丼。ここは、かつ丼フリークが多いのか狭いカウンタに片寄せあってなんとなく家庭的な雰囲気。カウンタを離れるときに「ごちそうさん」とよくいいます。
久々の三宮で所要があり、昼食をここでとって同じビルの三階で、献血。無料で冷たいものをとりました。
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by okadatoshi | 2005-05-20 22:08 | デジの目 | Trackback | Comments(2)
視覚障害者のパソコン勉強会で
視覚障害の方々のパソコン操作を支援するボランティアスタッフをしていますが前回のときは久々に盲導犬と出会いました。この方は二頭め。臆病で最初は、近くの大きな音や声にびくっと反応していたのが、最近は初代並に賢くなったとのこと。この画像では、ハーネスを外していますから、勤務外でくつろいでいます。主人の目のまわりになりここまで落ち着くのは、長い訓練と愛情の結果ですが、盲導犬になれなかったもいます。選ばれ、訓練を重ね「最後に適性がないと判断された犬はかわいそう」と聞きました。本来の犬の生活から、盲導犬として訓練され他の犬に噛まれても声を出さず逆らわない、しかし盲導犬にはなれない。
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ここの勉強会では、弱視と全盲の方が半々ですがかなりの方が職業上パソコンを必要とされる方が多くスタッフと1対1の個別の質問を受けています。多忙と疲れで今回は休みの方がいます。三田に住み勤務先は塚口。以前はJRを使っていたのが最近は経路を代え阪急で勤務先に通っています。今回の事故には幸い遭わずにすんだのですが、JR通勤者の乗り換え組が増えて混んできて通勤途上で急ぐ客に押されたり突き飛ばされるようなことが増えたとのこと。
こういうサークルでも、世相を反映した話を聞きます。
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by okadatoshi | 2005-05-16 23:20 | デジの目 | Trackback | Comments(0)
社会人入学の学習意欲は凄い
某短大で教養の数学を担当しています。昨日はその講義日でした。
もともと数学嫌いで文系に進学し、高校時代は数学も必履修の最小単位しかとっていない上に数学には興味も関心もなく、限られた教養科目の中で究極の選択をしたという学生が一般的でしょうか。かつては高校現場で数学教育にも関わった身としては、ここまでの数学嫌いを仕上げた贖罪(笑)の意味もあり教材の工夫をしていますが、なかなかテキさんは手ごわいです。
先週は、「A判とB判がなぜ出来たか縦横の比をどう出すか」。今週は「PEACEのデザインと黄金分割比」の話をしました。この次は、フィボナッチ数列と黄金分割比あたりを考えています。身の回りにある数学的な事象からなんとか興味を持つような教材探しを講義日以外はいつも無意識に考えています。パソコンでもあれば、何とかなりそうなのですがそういう設備もないし。

昨日は、昼ごろに雨が降り始め外に出られないので学生食堂を使いました。ふと前を見ると、昨年私の講義に出た方が同じ席に座っておられました。(ここは敬語になります)
実はこの方は、私より年配で現役時代は研究職。退職後好きな美術関係の勉強がしたくて近くのこの短大に入学されました。学生でもありながら、別の国立大学で農薬関係の集中講義を担当しており博士号を持っている方です。「数学嫌いの学生を教えるのは大変ですねぇ」と励まされてしまいました。
昨年の講義は大げさにいえばこの方の存在が刺激になって教材研究にも力が入りました。提出されるレポートは秀逸で模範例として今も保存しています。別れ際「なかなかおもしろい内容で数学が好きになりましたよ」といわれました。
今の学生は、与えられてものから自分の関心のあるものを「選択するだけ」です。いわば回転寿司から選ぶだけです。自分で好きな魚を釣ってさばくことはしません。まだ我々の年代は、偏差値以外のファクターで漁場を求めて大学を選んだ時代でした。
社会人入学の方は、やっと本業を片をつけて、ほんとうにやりたかったことを学ぶために知識を求めて再び大学で学ぶという人がほとんどです。教える側にとっても本来の教えるという緊張関係も生まれます。
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by okadatoshi | 2005-05-13 15:26 | セピア色/若い時代 | Trackback(1) | Comments(0)
潮風に吹かれ「こうべわが街ウォーク」
5月7日、阪神「石屋川」駅からメリケンパークまでの10キロ余り、第1回目として“さわやか浜風ウォーク”が実施されました。市民手作り新聞の取材を兼ねての参加です。神戸は、海と山に囲まれた海岸沿いの地形で自然や遺跡など多様なハイキングコースに恵まれた街です。
ラジオ関西の中継も行われていました。ウォークゲストの以前読売TVで今はフリーの羽川英樹さんが「私は大阪に住んでいますが朝起きたとき曇りで、今日は大丈夫と思いました。私は晴れ男です。体重がありますが皆さんとともに楽しみたいと思います」と挨拶。その激励の通り晴れ間も覗くウォーキングに最適の一日でした。コースは京都と九州を結ぶ旧西国街道で、浜街道に点在する史跡・酒蔵など8カ所のチェックポイントでスタンプを押しながら歩きました。参加者は、246人でそのうち243人がゴールに入るという高率の達成率。ゴールしたタイムズメリケンでは、健康チェックをしてもらいました。血管推定年齢は普通、骨量の測定では平均以上という判定を受けました。元気を保つ秘訣はバランスのとれた食事とウォーキングなど適度な運動の継続とか。毎日しっかり歩き1万歩を目標に始めたウォーキングも1年半。いつまでものウォーキングを楽しめる体力を維持したいと再認識。8月まで5回開催されます。
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by okadatoshi | 2005-05-08 22:31 | 散策/登山 | Trackback | Comments(0)
ホームページの手入れ
b0036638_18325189.jpgここ数日、画像データの移動とホームページをつついていたためにblogの書き込みも中断状態でした。今までPhoto High Wayを使って画像アルバムを作成し自作のHPからリンクをしていました。最初無料であったものが途中で有料になり5/9で新たに更新をしないと全て削除されます。
現在私の持っているホームページエリアはあわせて400mb余あり、思い切って画像をその中に移動する作業にかかっていたのです。右がPhoto High WayのMy Albumですが26種類もあり、それぞれ移動後フリーのソフトの画像提示専用ソフトを使ってページめくりのコースを作成しました。
顧客獲得のために、最初は無料サービスの提供、一定期間を置いて今までの資産をそのまま有料で活用するようにというユーザー獲得の手法でしょう。
現在多様な機能を競う無料のBlogがブームになっていますが、これらもやがて淘汰され良質のものが有料化しながら残っていくのでしょう。
アルバムの整理とともに、ホームページの見直しも徐々に進めています。メインの私のサイト以外にとりあえず「生きている」ホームページが10余あります。学生時代のサークルや同窓会、教え子の同窓会を契機に画像と無料掲示板を付けただけのものなど。その中で継続して書き込みのあるものや反応がなく閉鎖していくものなどいろいろです。
IT時代に光と影がよく言われますが、第二ステージの世代から見て、パソコンは便利なコミュニケーションの手段です。情報伝達の手段がとりあえず確保されていなくては、相手との交流も図れないでしょう。いわゆるデバイス格差といわれる状態が今後は生まれてくるのだろうと思います。
もう、ホームページを増やすのはやめようと思いつつ、昨日また一つ小学校時代のものを立ち上げました。今年卒業後50年の同期会を開くと故郷の世話役の知人が言い出したのです。故郷を離れている立場からせめてお手伝いをと、掲示板と過去の懐かしい画像をつけた表紙+αのものを作ってみました。50年の異なった人生を歩んで会ってすぐ共通の話題があるものかどうか、事前&事後のWeb上の交流もできるようになればと少し楽しみな気持ちもあります。
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by okadatoshi | 2005-05-07 18:27 | デジの目 | Trackback | Comments(0)
好きだった作家「開高健」
b0036638_23434418.jpg店頭で内容を見て、おもしろい特集を組んでいるときには“サライ”を購入します。モノと生活にちょっとだけこだわり、丁寧な取材の割には価格手ごろな冊子です。5月5日号は、「開高健の特集」でした。
高校時代の読書は諸に友人の影響を受け下村湖人の「次郎物語」を何度も読みふけり、武者小路実篤、堀辰雄などから芥川龍之介へ、翻訳ものではパールバックの「大地」、ドストエフスキーの「罪と罰」など当時の高校生の一般的な通過儀礼とも思える読書遍歴でした。
大学に入り、サルトルの「存在と無」、カフカの「変身」・マルクスの資本論と、内容の理解はともかくページを開いた、あるいは本を持っていることが学生としてのステータスとひたすら読むフリをした読書パターンでした。その中でひかかり残っていったのが、開高健でした。「日本三文オペラ」から始まる猥雑な言葉遊びの中に、ふてぶてしくシブトク生きている人々への彼の哀しい目に共感を感じたのでしょう。若いときに眼光鋭い飢えた風貌からブクブクに太ってフィッシングをする親父への風貌の変化は彼の恥じらいのような気がして、なお彼の本を買い続けていました。その多くは勤務先の図書館へ寄付をし、開高健を卒業した気持ちになっていました。いつごろに共感の分かれ道があったのかわかりません。しかし、久々の彼の記事を読み、彼の著作が栄養剤となった時代のことが思い出されました。
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by okadatoshi | 2005-05-01 23:45 | セピア色/若い時代 | Trackback(1) | Comments(0)