<   2005年 01月 ( 19 )   > この月の画像一覧
郵便物再配布の申し出電話
b0036638_22411258.jpg買出しから帰ってくると、「郵便物を留守なので持ち帰った」という紙切。
音声応答の配達日時の指定で連絡がなければ先方に返すという。音声も数字ボタンにしか反応しない自動応答システム。お年寄りには不便でしょう。連れ合いも操作が嫌だといって私にまかせます。郵政公社は、「真っ向サービス」というフレーズを使ってますが、サービスの合理化であって、宅急便なら事前に電話で在宅と持ち込む時間を聞くし、留守の倍でもこちらからの連絡を強要したりしないですね。
しかし、ややこしいのは、確定申告。1年経過すると、書き方もすっかり忘れてしまって最初から読まなくてはならず、まして少しでも取り返す方法など相手は決して教えてくれない。これもデジタルディバイスの一種かなぁ。高齢者には住みにくい世の中です。
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by okadatoshi | 2005-01-29 22:41 | デジの目 | Trackback | Comments(0)
水木しげると妖怪
b0036638_2134446.jpg鳥取県大阪事務所では、半年間に毎月1回の鳥取にゆかりのある人物・講師を招いて「鳥取学」を開催しています。現在、4期です。今日の会場も定員60人でほぼ満員。人気が出てきて最近は木・金と開催。
自身も境港市出身のノンフィクション作家の足立倫行氏による軽妙洒脱な「水木しげる妖怪論」は漫画ファンならずとも、水木しげるが身近に感じられる内容でした。
かつて我々の子供のころには、夕暮れになると妖怪が徘徊したものですが、今や24時間営業のコンビニの出現によって彼ら妖怪の居場所を人間が奪っています。
水木しげるの15歳から43歳の時代や、彼の「少年よ頑張るなかれ」という色紙用の言葉、幸福菌を掴み損ねている現代人の話なども含蓄がありました。兵庫区の水木通りにあった旅館を借金で購入しそこで、紙芝居作家としてやっと食え出したころに、「水木」という名前がついたなど、案外身近なところに、彼のルーツのあったことも紹介され、驚き。
さとうますみさんの詩からの引用で「見えないものはないことにしてやり過ごし見えないものに復讐(ふくしゅう)される」を氏は、水木氏の描く妖怪と符合させて話を結ばれました。
合理主義の世の中、民俗学的な背景に裏打ちされた水木氏の世界の復権にやっと現代人は気づき爆発的なブームが起きているのかも知れません。
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by okadatoshi | 2005-01-28 21:31 | デジの目 | Trackback | Comments(0)
市民手作り新聞「KOBEハートだより」2号
b0036638_2223776.jpg昨年末から、市民手作り新聞の市民レポーターに参加し1.17のイベントを中心に取材をしてきました。今日の定例の編集会議でに印刷所から刷り上ってばかりのものが数部持ち込まれ、今日は編集の反省会でした。今回は、2/2に新聞折り込みで配布の予定とお聞きしています。
それ以外の方は、 
「震災10年 神戸からの発信」の記録をクリックしていただき、そこでPDFで読んでください。
創刊号は、イベント紹介が中心で事務局主導のものでした。実際に公募したメンバーが編修に携わったという点では、2号が創刊号のようなものです。それでも、1.17というイベントを中心に行事の報告が目立ちますが、これからは市民の目線で取り込む企画も取り入れてはということも話されました。
学生、社会人、第二ステージの方々と多様なメンバーの集まっています。各人のやりたいことをやれるようにやる緩やかな自主性のある集まりで、新しい出会いがあります。
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by okadatoshi | 2005-01-27 22:17 | デジの目 | Trackback | Comments(0)
吉永小百合は戦前派
戦後60年。昭和20年生まれが続々と定年を迎えます。年金の支給年度がスライドして延期されているので、再雇用とか嘱託でなお働く人々が増えていますが、60歳世代としては、ひとつの区切りであることにかわりありません。
正月のTVのなかで、今年は特に、60歳の方々のインタビューや動向がよく報じられていました。
太平洋戦争に突入し、「埋めよ増やせよ」と皇国臣民が多く生まれ、やがて男たちは戦地へと向かい子供の出産も少なくなり、戦後復員者帰国で一転爆発的な人口増の時代を迎えるハザマにある世代が60歳といえます。
60歳の中では、8/15を境に戦前生まれと戦後生まれという認識があるようです。物心がついたときは、「進駐軍」(占領軍とはいわない)によって治安も回復し、学校給食も始まってユニセフやララ物資でとりあえず飢えの危機はなくなっていました。脱脂粉乳などはとても飲めたものではなかったし、定期的にDDTを首筋から衣服の中に吹き込まれ蚤・虱の駆除をされた経験をしているはずです。
娯楽の中心は映画で、この時代のアイドルは、吉永小百合でした。この時代には“サユリスト”が輩出。「キューポラのある街」で見た鮮烈な印象は強烈でした。決して一般的な美人というわけでもなく歌も素人っぽいなかで、ひたむきさにはオーラがあり、以後一環して輝き続けています。
b0036638_1857581.jpg「愛と死を見つめて」は、彼女の演技なくしては、あの空前のヒットはなかったでしょう。韓流ブームとして「冬ソナ」が爆発的に見られているのも、あの年代に「マコとミコ」を見た原体験が底流にあると思います。先日、このドラマに出演していた執筆者が「ミコさんとの決着はまだ」とTVに出演していたけど、彼の作品や、この特集TVに対しては、「純愛なら40年経過して今更出てくるのは困る。それぞれの年代・時代・個々に作り上げた物語の修正にもなりかねず如何なものか?」という気がしました。私自身は、密やかな愛を晒すことにはむしろ反発を感じる性質(たち)で、この本を読むよりは、西田佐知子の「アカシアの雨」を独りで聞き入る方でした。
ひとつの時代を語ることのできる映画や歌手のある世代は、幸せだと思います。それらをキーワードに友人との交流が直ちに復活します。
彼女の111本目の作品。「北の零年」を観に行こう。
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by okadatoshi | 2005-01-24 19:02 | セピア色/若い時代 | Trackback(1) | Comments(0)
映像の戦後60年
1/21にBS2で、「映像の戦後60年」を録画しDVD/Rに焼き付けて、パソコンで他の作業をしながら見終わりました。居間のTVしかBSが見られないのですが、DVDをつけたために、焼きこめばパソコンで見られるようになり便利になりました。
再放送は、1月23日のBSハイビジョンで19:30-22:00にあります。
このシリーズは、1年にわたり11回あり、

2月「涙」 あなたは何に泣きましたか?
3月「青春」 あなたは何に熱中しましたか?
4月「働く」 あなたにとって仕事とは?
5月「都会と故郷」 あなたにとってふるさととは?
6月「アメリカ」 あなたがアメリカと出会った日
7月「子ども」 あなたにとって家族とは?
9月 1945年~1960年 焼け野原 ゼロからの再生
10月 1961年~1975年 高度経済成長 農村から都市へ
11月 1976年~1990年 バブルに浮かれた時代
12月 1991年~2005年 迷走 そして未来へ

と予定されています。番組の編集方法も、Webや番組に中で視聴者に当時の8ミリの提供や手記などを呼びかけており、視聴者参加番組に形式をとっています。
この番組にサイトは、
http://www.nhk.or.jp/sengo60/top.html
ですが、ここに「インタラクティブ年表」があります。そこの年表をクリックして自分の生年月日と名前を入れて、「年齢計算」をすると、10年後とに区切った時代にジャンプしてその年代の出来事と年齢が出てきます。
私の場合、大学4年の時に東京オリンピックが開催されています。駆け足で今まで過ごした60年を振り返ることが出来ます。2005年に近づくに連れて、衝撃的な事件が目立つような気がします。
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by okadatoshi | 2005-01-22 19:27 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(0)
一人の震災ウォーク
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(画像の説明)
市役所24階から見た東遊園地の広場/メモリアルホール/JR長田駅前の竹文字(1/17)

10年前には私の勤務先が兵庫区にありました。震災直後、建物と駐車場に2000人を超す人々が避難をされました。全国から送られてくる支援物資の整理と配布を泊り込みで行いました。
私の自宅はたまたま岩盤が硬かったのか大きな被害はありませんでした。被災に「あう・あわない」、、家族に犠牲者が「出る・出ない」は、住んでいる場所等の偶然に支配されたように思います。私は、1.17のセレモニーへ今まで参加をすることはありませんでした。毎年この時期になると特別番組を見ながら、「被災された方は大変だ」見ているだけでした。
追悼集会の場は、被災しなかった私が踏み込むべき場ではない、という思いがどこかにありました。興味本位とも思われかねないことへの遠慮があったのです。
走り続けた現職を二年前に退きました。散策の途中で“市民手作り新聞”のスタッフ募集のチラシが目に留まりました。第二ステージに入ると、世間が狭くなります。「新しい広がりがあるかも知れない」と気軽な気持ちで応募をしました。遅れて参加した“市民レポーター”の私は、編集会議の中でもう一度震災との関わりを問い直す機会になったのです。スタッフの構成は、学生・主婦・私のような立場の方々などバラエティに富んでいます。ボランテァ活動に関心がある人や、趣味のカメラを活かしたいなど動機も立場も多様です。共通しているのは旺盛な好奇心が原動力というところでしょうか。「やれるときにやりたい事をやる」という揺るかやな自主性に任された集まりでもあります。
私に場合、16と17の両日で5箇所のイベント企画会場を取材しました。市民手作り新聞のスタッフであることを告げると、代表の方は快く時間を取り、自分たちの企画へ思いを熱く話されます。この光景は、かつて震災時、電車で隣り合わせた見ず知らずの人同士が自然に話しあったのに似ていました。10年経過し、「風化させてはいけない」という思いを我々編集スタッフを通して伝えておられるのだということがわかりました。
17日は、10年前に避難所であった場所を訪れ、そこから三宮のメイン会場まで歩きました。
途中の商店街では、正午に追悼があり、そばを無料配布し寄付された募金をスマトラ沖地震へ全額寄付するという店もありました。震災直後にはあったお互いへの関心が、それぞれの生活の殻の中に閉じこもっていたということに、歩きながら気づきました。
現在の高校1年生が被災当時、幼稚園の年長組です。やがて急速に震災体験の記憶がない世代が増えてきます。伝えていくべきことをそれぞれの立場で何ができるか考えることから、“これからするコト”が見つかるような気がします。 
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by okadatoshi | 2005-01-18 21:11 | デジの目 | Trackback | Comments(0)
1月16日の神戸のピンスポット
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午前中に板宿の“すまいる大黒”。NPO神戸西・助け合いネットワークのAさんに話を伺う。震災10年の節目、次世代へ体験を繋ぐために始めての試み。「今朝の新聞にも掲載されていますが、120人の小中生を含む住民に10年前の被災経験をしてもらう。つらい思いの再現などはどうか?という論議もあったが風化させないことが重要」とのこと。須磨区子供会連合会のI氏によれば、「最近の子供たちは落ち着かないし騒がしいと思ったけど案外落ちつきたくましくこちらの話も聞き行動をして見直しました」といわれました。15日は当時のビデオを見て語り大人から体験談、非常食を食べて実際は60人講堂に眠った。16日は、行動で地域の方々や地元の小中学生の合唱などを皆で鑑賞。平成14年度から、大黒小学校が地域の交流センターとして利用され、平均で6割は施設が利用されすっかり地域の拠点として根付いています。

次に長田神社でおこなわれている“つづら折りの宴in長田”の会場へ。震災後に開催されて以来、二度目の開催。主催者であるボランティア団体「すたあと長田」の代表のKさんによれば名前の由来は、震災直後の街の様子の状態からつけたとのこと。10年目に長田に元気をという趣旨でミュージシャンの協力が得られこのイベントが実現したとのことでした。Kさんはきわめてパワフル。

引き続き、北野工房の3階で開催されている“まちの記録者たち展”へ。主催者のY氏にインタビュー。「2年前に神戸市の広報番組でサンTVで知り合ったメンバーが集まり今回の企画に発展した。YOさんは長田で写真屋を営み洋風建築の記録をしていた。今回は、写真だけでなく、ビデオ、音の収録、詩人と震災への思いをキーワードに様々な視点から記録に迫る試みができた」とのこと。会場では、詩人のYA氏にもお会いした。「会場で自分の震災に関わる詩をコピーしてクリップで留め気にいたら自由に持ち帰ってもらう形式にした。今までに2000枚印刷してもおいつかずこんなに多くの方々にきてもらい驚いています」とのこと。定点観測の記録者としてOさんにもインタビューができました。今年、81歳。震災の10ヶ月前にご主人を亡くされ、苦労して建てた家が全壊。記録に残したくてそれまで、花ぐらいしか撮っていなかったのが、病院や買い物の行き帰りに建物を見ながらこれは記録をしていかないと風化し忘れ去られてしまう。市民レベルの地道な記録は新聞にも掲載され、「翔け神戸」という定点撮影の冊子にもなっています。「おばあちゃん、いい仕事をしましたね」というと「Oさんと呼んで。おばあちゃんといわれると私は返事をせんよ」と叱られました。震災当時のビデオ作品も上映、また震災当時の電車の中のアナウンス(御影が終点で西宮までの代替バスの案内が社内に流れる音の録音)も会場で聞けます。今風にいえば、震災10年をテーマにしたコラボレーションといえます。

3箇所を回るだけで時刻は3時半。東遊園地まで来ると、雪地蔵が完成し作業をしていた生徒たちが最後に集まっているところでした。会場は、各社の報道社と機器が乱立し慌しい雰囲気。以上は、「震災10年神戸からの発信=市民スタッフ」としての取材メモから。
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by okadatoshi | 2005-01-16 22:51 | デジの目 | Trackback | Comments(0)
大震災10年目
b0036638_23415161.jpg10年目の節目ということと、新潟やスマトラの地震・津波の報道もあって阪神淡路大震災の教訓をどう生かすかという趣旨に沿った報道番組が、ここ数日流れています。
季節モノとして1/18から忘れ去れることなくしっかりこれからの広がりを見据えた運動になって欲しいと思います。
淡路に移設された、「震災の防火壁」をTVでみました。この画像は、長田駅を通り過ぎると見えた壁で、その年の8月ごろの車窓風景と思います。当時はまだ珍しかった初代デジカメカシオのQV10で撮ったものです。
当時の勤務校が最大時、2500人の被災者の方々の避難所になりました。そのときの記録をまとめたものが、阪神大震災と学校の周辺です。

当時は、情報部の生徒を使ってエクセルで避難をしている人の「避難場所、もとの住所、名前」をデータベースにして更新をしたものを日々、玄関においていました。
「避難場所=校庭の車内」などという分類があったのを思いだします。
明日と、明後日は、神戸の震災後10年の事業をこの目でみてこようと思っています。
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by okadatoshi | 2005-01-15 23:41 | デジの目 | Trackback(1) | Comments(0)
20才にもどれば、、、
ウォーキングをしながら、ラジオをよく聞きます。最近はシリーズで、「あなたが20歳に戻れたら何をしたいですか?」というもの。
もう40年以上前のこと。日記を取り出してみました。

1/15(火) 
一度しかない成人式の日だがここ数日ひどい雪で外に出る気もしない。正午で85cmの積雪と報じている。この調子で明日休講になればと願う。代数の試験はとても優をとれる自信はない。午後5時G氏の誘いでS劇場に。
(以下二本立の邦画の批評がうだうだ・略)

サークルの先輩のG氏が成人式のおごりといって、近くの学生がよくいく“トリスバー”でおごってくれたような記憶があります。数日、市内は雪で市電も止まり、「20だぁ~」と叫びながら雪の壁にぶつかり、大の字をつくりながら、下宿まで戻りました。
成人式などという催しそのものが、今のようになかったのか、式典があったのか定かではありません。成人式への招待は故郷を離れている性か私にはきませんでした。少なくとも、参加者は式典を妨害して憂さ晴らしをするというような「ニュース」は当時は聞いたことがありません。
普段は、授業をサボりサークルとバイトに追われ、試験中だけは徹夜の連続で乗り切っていたごくごく普通の学生生活を、暗い北陸の空の下で送っていました。
60年安保に挫折感の中に入学し、大学管理法反対のデモにバイトの空きを利用をしては参加し、理解できないまま本棚には「存在と無」と「資本論」が並んでおりました。デモもヘルメットなどの防備もなく警官も制帽。女子学生なども結構一緒にデモへ参加していました。とりあえず学生はエリート意識もあり比較的まじめに勉強をしていた時代でした。

当時の20歳に戻ったとしても、「これから何者になるのかわからない将来に対する漠然とした不安の中でとりあえず与えられた環境の中で、周りの似たもの同士を嗅覚でかぎあって議論を吹っかけ群れる生活」をまた繰り返すのではないでしょうか。
年齢が若くなるということは、経験値も財力も年に応じて欠落していくということです。
また、同じ生活の繰り返しをするんだろうなという思いしか浮かびません。
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by okadatoshi | 2005-01-13 23:51 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(0)
鏡開き
b0036638_18424526.jpg1/11は鏡開きの日です。今朝は、お餅の雑煮でした。
昔は、カチカチに硬くなったお鏡餅を、出刃包丁をあてて切り分けていました。
小学校のころ12/29は、餅を「つく=29」日として餅つき道具一式担いだ人が家々をまわっていました。家族総出で餅を丸めて冬の間お餅を食べていたのを思い出します。やがて、餅にアオカビが生えてくると、それを防ぐのに水かめに入れたりしていました。
最近の鏡餅は、プラスチックの容器の中に二つずつ小分けしたお餅が入っています。さらにその中には乾燥剤のようなものもついています。
簡単に剥がして、必要に応じていつでも使える便利な保存食品に化けています。
ただ、こういう工夫をしても子供の世代は、餅そのものを受けつけなくなったり毎日食べるのには飽きるといいます。「晴れの日」には、餅を食べて祝うということももう通用しない時代になっています。
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by okadatoshi | 2005-01-11 18:43 | デジの目 | Trackback | Comments(0)