カテゴリ:セピア色/若い時代( 150 )
上京一日目>友人の墓参
朝の神戸は激しい雨でしたが、上京。
10時に待ち合わせ場所に集い、樹木葬の友人の墓参。
途中海ほたるで休憩。あいにくの雨で見通しは効かず。▼
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千葉県いすみ市にあり、この地域では初めての樹木葬を始めたお寺です。
前回は2014/03/09 でした。集まったそれぞれの思いを巡らせました。▼
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夜は、久々に従弟と会食。東京は大変貌をしています。▼
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改装の阪急アワーズにつきました。旅先なので、今日はこれで、終わり。
歩数、11000歩。

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by okadatoshi | 2017-06-30 22:28 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(2)
向こう側へ旅立ったW氏(2)
16/07/08と同じタイトルです。
一年前のW氏の通夜の席で久々に母校が同じ2年下の弟のT君と一緒になりました。
やはり同じクラスで親しかったK氏の遺稿集に収めた「K氏からW氏の四国遍路のメールのW氏の部分があれば読みたいね」と彼に話しました。
その後、遺族の手によりメールが保管されていることがわかり弟君と半年間メールのやりとりをしながら「四国遍路往復メール」を完成させました。▼
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冊子編纂メモとして次の文章を末尾に掲載しました。

二〇〇七年にW君が四国遍路に出かけた。
遍路の期間中にW君とK君は、互いを気遣いながら絶えずメールの交換を行っていた。ふたりのやり取りが、このたび生きいきと此処に蘇ったのは、つぎの事情による。

二〇〇八年六月にK君が逝去。
その翌年にK君の追想集「 君はKだった。」を刊行。別冊子として彼の「書簡、メール集」を編纂し友人に送った。その中には、W君から、遍路のとき受信したK君執筆部分が提供され、「四国遍路同行記」として収録された。

二〇一六年七月W君が逝去。
「遍路同行記」のW君の発信文が保存されていれば、より深くふたりの交流の深さがわかると弟のT君に話したら、残された三台の携帯にK君への返信部分が保護機能が掛けられて残されているとの知らせを受けた。
ご子息がデータを書き起こし、メール同行記としてここにまとめた。

過酷な条件下で打ち込み、闘病生活をしているK君とのやりとりは、私たちが過ごした時代の延長線にある会話だと改めて思う。
編集作業の間は、高校時代に戻りワクサンとボータンの二人の会話を側で聞いているような不思議な感覚を感じ続けた。

今と対峙し生を全うしたW君とK君に捧ぐ

今週末に母校の東京支部の総会があり、京阪神支部を代表して参加をします。
その前日に、K君の樹木葬の墓参を予定しています。
W君も亡くなる前までK君の墓参ができないことを心残りにしていました。
兄の意思でもあると、弟君も同行します。

同窓会では時間が限られていますが、京阪神支部のサイトから同窓会紙が読めることや恩師の執筆シリーズの冊子化の話をする予定です。
今日は終日資料作りをしていました。気がつけば、母校のことを後輩達に繋ぐ年代になっています。▼
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by okadatoshi | 2017-06-26 17:53 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(0)
下駄をならして奴がくる~♪
私たちの年代には、学生時代にワープできる呪文のような歌詞は”我が良き友よ”(1975リリース)です。
独特の雰囲気を持ち歌っていた、ムッシュかまやつさん、愛妻の死知らずに天国へ旅立ちました。▼



年代的には同じ世代ですから、歌詞に書かれた内容が私の学生時代にぴったりと重なります。
当時は下駄は一般的な履き物でした。下駄屋では日和下駄の歯を入れ替えてくれました。足の親指の部分が丸く窪んでいたもの使い続けていました。
高校を卒業して母校を訪ねたら「今年から通学時の下駄履きが禁止になった」と教師から聞かされた覚えがあります。
その頃の事をblogにアップしています。


若い頃の心情を思い出す歌としては、ガロ - 学生街の喫茶店(1972リリース)があります。▼



60年アンポは高校3年の時でした。デモを企画して教師に説得をされあえなく挫折。大学時代は大学管理法案粉砕闘争があり、全自連と全学連に学生運動も分裂。就職転向論なる言葉も記憶にあります。

70年アンポではさらに学生運動が先鋭化し全共闘運動に収斂され勤務していた高校生も影響を受けていました。高校でも学校封鎖が起き校内でビラも頻繁にまかれました。▼
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私は生徒会係で”卒業式粉砕”をとなえる生徒を演壇の袖部分で泣きながら押さえ込み、後で自主卒業式なるものやった当時の空気感を思い出します。
その頃の新聞記事やアジビラを元に、どのような時代であったのかまとめたいと思いながら止まっています。

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by okadatoshi | 2017-03-04 15:08 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(4)
我が家の雛飾り(5)
2016/02/28と同じタイトルです。
つれあいは毎年この時期になると、ピアノの上に松屋町で購入した内裏雛と祖母が作った押し絵のお雛様を飾ります。
私の母は6人兄弟の末っ子で、この押し絵を作った母方の祖母とは年が離れているために私自身は会ったことはありません。
押し絵のデザイン力は優れています。顔の部分は母の長姉が描きました。▼
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その他のにも押し絵を大量につくり、兄弟姉妹に分け与えました。その中のいくつかは戦後の食糧難の時に農家の野菜と交換されたものもあるようです。

母が桐の箱に保存したもののいくつかをここに残しておきます。
お茶を飲む女性と裏面です。昭和11年12月の5番目の作品でしょうか。▼
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立ち姿。昭和14年10月の10番目作品。▼
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少女の座り姿。右端は額縁に入れる押し絵です。▼
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by okadatoshi | 2017-03-03 15:26 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(2)
『この世界の片隅で』を鑑賞
つれあいと初めてアニメの劇場映画『君の名は』先月見ましたが、引き続き『この世界の片隅で』へ行きました。▼



二人とも出身が鳥取なので、広島弁のイントネーションを懐かしく聞きました。
街角の様子も忠実に再現され、昭和20年前後の庶民の暮らしもリアルに感じます。
感想は巷で多く語られていますので触れませんが、あの閉塞感の強かった時代の”すず”の生き方は絶望の中の救いです。
広島市内に在住のお年寄りには、原爆前の家並みの描写を見ることでさらに心揺さぶられるものがあるのではと思いました。

原作では、登場人物の”すず”、”周作”などは、元素記号の”錫”、”臭素”などからとったらしいですが、他の登場人物についてはわかりませんでした。

事務所問題でトラブった能年玲奈さんが「のん」としていい役柄を得て復活していますね。
予告編を見直すだけで、前後の描写がフラッシュバックします。
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by okadatoshi | 2017-01-20 20:07 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(4)
『君の名は』を鑑賞
先日のニュースで、異例の速さで日本映画が上映された中国では「君の名は」公開の初日に徹夜組も出たと報じられていました。劇場のアニメ映画は初体験のつれあいと出かけました。▼
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このアニメは8月公開以来のロングランで、ネットによればついに興業収入は2位になったとのこと。
★アニメ映画興収ベスト5
1位「千と千尋の神隠し」(308億円)/2位「君の名は。」(200億円)※12月5日現在/3位「ハウルの動く城」(196億円)/4位「もののけ姫」(193億円)/5位「崖の上のポニョ」(155億円)

これから、いろんな選択肢のある若い人が恋人と一緒に見れば感情移入をするだろうなと思います。我々の年代になるとかつてはあった情熱的な感情の高ぶりを懐かしく思い出します。
熟年の方は、戦後間もなく放送中は風呂屋をカラにしたといわれる「君の名は」のリメーク版などとは思わないこと。
アニメを超えた画像構成の美しさとそのリアリティに、私は魅せられました。太陽光とその影の効果的な使いは美しい。

予備知識なしに見たのですが、まだ見てない人は事前にネタバレでも調べてから行く鑑賞方法もいいかなと思います。あるいは、二度見することで理解できるストーリーです。
映画『君の名は。』のネタバレ感想と徹底解説!ラストまでのあらすじや伏線、売上も考察!!
のリンク先を見れば概要はつかめます。
新海 誠監督を取り上げたものがyoutubeにありました。▼



映画以外にも、デパートからお歳暮の発送。昼は、ベトナム料理ホイアンでランチ。フォーが美味です。

このあと、私の登山用ズボンとつれあいは山できるウインドブレーカーを専門店で購入。まだまだ山に登る気らしい。
12月の三宮は歳末の空気です。
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by okadatoshi | 2016-12-12 19:44 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(0)
鏡餅コーナー
12月に入り、スーパーではクリスマスとお歳暮と正月用品のコーナーがメインを占めています。
随分前から鏡餅は小餅を鏡餅の型の容器に内部に詰め込んだものが定番になりました。▼
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子供のころの日記を読み返すと、必ず餅つきにかかわる記述があります。

当時は近隣の農家から餅つきセットを担いで各家を回っていました。
餅の数も半端ではなく、正月になると父は5~6個の餅を一度に食べています。当時は正月の餅は店が開いていない間の保存食で、やがて青黴が出る時期には、母は甕に水を張ってその中に入れていました。

最近は子供も孫も、あまり餅を好まず正月に形だけ食べる程度です。
12月や1月も昔のような一年の締めくくりという慌ただしさはなく過ぎていきます。
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by okadatoshi | 2016-12-07 20:55 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(0)
54年前って半世紀以上の昔
昨日のTBSの<ひるトク!>で都心の54年ぶりの積雪を報じ気象状況が似ているので豪雪になるかもしれないと報じていました。
それに関連し、何が?“54年前”との共通点は他にも・1962年はどんな年?で共通点を集めていました。▼
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無理やりこじつけて探し出したきらいもありますが、張本選手のMVP、作新学院の優勝、おそ松くんのヒット、ボブディランデビューなど「あったあった」と身近に思い出すことばかりです。▼
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当時は大学の2回生でした。現在接している大学生に私の学生時代のことについて話すということはもう歴史です。たとえれば私の学生時代からさらに54年前の、1908年(明治41年)の出来事を聴くのと同じ時間の流れがあります。
54年前、38豪雪を経験しました。つれあいは高校生でバスが通らずまた大雪で屋根が抜けたことなど思い出しています。
当時の日記から
1963年1月23日(水)
本日正午で金沢市内の積雪160cm。戸の開け立てがしにくい。部屋も薄暗い。雪掘りばかりして腰が痛い。部屋の温度は氷点下2度。市電は1週間前からストップ。表通りは背の高さ以上の雪がずっと続いている。どこを見ても雪。この家なんかもう50cm積もればつぶれるのではないか。先ほどのニュースでは今夜から北陸本線は全て運行中止。物価も高くなり小魚90円、ネギ1本5円だと奥さんが話していた。中学も休みなので塾も自然休講・・・。

当時の大卒の初任給が1万7130 円で今年が21万313円ですから当時から物価は10倍以上高くなっていると推定できます。
気が付けば、今の若い人に対して歴史を話す年代になっています。
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by okadatoshi | 2016-11-26 20:01 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(4)
同窓会に出席できる方は幸せ(3)
昨年の11/21と同じタイトルです。
阪急ラッピング列車は、神戸線、宝塚線、京都線を走りそれぞれ、爽風、宝夢、古都と列車の愛称がついています。
神戸線では、わたせせいぞう氏が観光スポットを描いたイラストをラッピングした列車を11月下旬まで運行。今朝の三宮でラッピング電車と遭遇しました。▼
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会場は昨年と同じく天満橋のキャッスルホテル6階。大川(旧淀川)沿いにあります。桜並木が見事に紅葉しています。▼



川面にはユリカモメ。光学倍率30倍のコンデジで拡大。▼
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開会前の午前11時52分ごろ、和歌山県南部を震源とする地震があり、和歌山県、大阪府、奈良県など広い範囲で震度4を観測する地震がありました。大阪市内は震度3と報道で知りました。6階ですがかなり横揺れが続きましたが地震情報の携帯はならず。

来賓の本部同窓会長、事務局長、副会長、校長ともすべて昨年と入れ替わり、気が付けば皆さん全員私よりも卒業期が下でした。来賓として同窓の市長も来て頂きました。恒例の○×など歓談。総会を勧める当番幹事の努力で昨年よりもわずかながら参加者も増えましたが、旧制中学時代のOBは皆無。▼
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同窓会に出席できるということは、健康で外に出て行こうという前向きな気持ちとゆとりがある人に限られます。改めてタイトルの通りと思います。
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by okadatoshi | 2016-11-19 21:12 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(4)
岡山の50年前の地下道と後楽園
高校時代には美術部の所属し、1年と2年時には、新入部員歓迎を兼ねて、岡山の後楽園と倉敷の大原美術館へ行きました。

次の画像は1958年5月4日に撮影したものです。改めて写真を見ると今も消息が分かっている方は5人です。60年近い年月は周りを確実に変えていきます。▼
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当時は県外に出るということは”ハレの行事”でした。
岡山駅の印象は、地下道があり”都会”を感じさせました。鳥取駅は南北が鉄道で遮断されており、地下に道路ができるということに新鮮な驚きを感じました。

集中講義が明日からあり、前泊で後楽園を散策。
写真を撮った場所を探しました。園内案内のボランティアの方に聞くと、後楽園は20年ごろ前から史実に基づいた復元をするようになり、50年以上前だと散策路の変更もあったかもわからない。また松食い虫の被害があって松を伐採した時代があったとのこと。写真を見せて最も近い位置から画像を撮ってみました。▼
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岡山へ滞在する機会が続いてます。この地に降り立つとき、空気が高校時代を思い出すラベンダーの香りのように感じるのです。
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by okadatoshi | 2016-10-07 17:37 | セピア色/若い時代 | Trackback | Comments(0)