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政局の行方
b0036638_2054431.jpg先週に引き続き懇談会があり、昨日参加しました。
講師は角谷浩一氏(政治ジャーナリスト 中央政策研究所主任研究員)。
週刊誌畑の経歴が感じられる対比させた話し方をされ飽きさせない語り口でした。
今回もメモをもとにした私自身の主観に基づくまとめです。

★略歴
昭和36年(1961年)神奈川県生まれ。1985年日本大学法学部卒業後、「東京タイムズ」入社。1986年小学館「週刊ポスト」政治担当記者。1988年、同社韓国特派員。1990年、テレビ朝日で夕方ニュース担当ディレクター。1995年、中央政策研究所主任研究員を経て、1997年秋より政治ジャーナリストとして本格的に活動。キムヒョンヒへの単独インタビューなどスクープ多数。FM横浜など番組多数。各政党幹部と太いパイプがある。

●戦後70年の節目の年

昨年秋の政治と金の問題を強行突破し暮れの選挙で自民は安定政権になった。なお、政治と金の問題が出ているが民主の岡田党首の問題も出てきて“打ち方ヤメ”の状態。
民主は下村文科大臣をターゲットにしているが、攻め方が下手だ。
週刊誌の情報をもとに質問をしていて下村大臣は余裕綽々に見える。
大島予算委員長の非常にバランスのとれた委員会運営で衆院は通り、参院では止っている。予算が上がらないの自民の責任だが与党は開き直っている。

50年には村山談話、60年には小泉談話が出て、今年は70年談話の年だ。
「技術と援助で世界に貢献している日本」を述べるだろうが安倍さんの目標は憲法改正。与党が安定多数にある今しかできないと考えている。
多くの世論調査がされるが国民にとって、何が即していないのか、なぜ憲法を今改正しないといけないのかが国民には分からない。
公明は加憲論を言っている。条文で分かりにくいところを追加するという考えで、これは、護憲論者でもいえる。人によって改憲といっても力点が多様になっている。
船田(自民党憲法改正推進本部長)さんは、9条は安易に出せない。出すなら2回目の改憲のときにと慎重論を持っておりそれに対し安倍総理は「最初から9条で行け」とはっぱを掛けている。船田さんは現状では国民の賛同は得られないとといい物別れ状態になっている。
しかし、来年の秋の参院選挙後に安倍さんは改正への発議を考えている。
70年談話に向けての有識者会議が開かれそこでは“侵略”があったかなかったか、その言葉を入れるのかどうかで激しく論議がされている。
このことは、”前回の談話を踏襲しない”ということを示している。

一昨日自民の谷垣幹事長は中国に行き向こうのナンバー4が出てきている。その会談で出された懸念に対して谷垣さんは「中国側は心配をしないでいい」と言っているようだ。
3/18に自公で安保法制について正式合意を発表しているが中身はあいまいなままのまとめ方をしている。
急いだ理由は、4/26の日米首脳会議へ向けて安倍さんは、“お土産”を持っていきたいのだろう。
クリントン氏やミッシェル大統領夫人が来日しているが、これは偶然二人の来日が重なったのではない。安倍さんの考え方を探りに来たと見るべきだ。
同じ時期に外務省の谷内さんがホワイトでライス補佐官とあっている。
日米でどのような共同声明を出すのかアメリカ側からのチェックが入っている。
この中の共同声明の中身が70年談話へとつながる。アメリカとの共同声明をアジア諸国がどのように受け止めるのかが問題だ。
3/22ドイツのメルケル首相が来日した。ドイツは、今でもホロコーストの反省をし、周辺国に「私たちは危険な国ではない」と伝える努力をしている。過去にドイツとフランスは敵対した。今ではドイツがリーダーシップをとっている。「確かにドイツは過去にひどいことをした。それよりもひどいのはロシアだ」という受け止め方がヨーロッパではなされている。

●鳩山さんの行動

ロシアがクリミアを併合したさなかに鳩山さんはクリミアへ行き、「パスポートが取り上げられたらクリミアへ永住する」などと言っている。
鳩山さんは政界のプリンスだった。学者を辞めて自民から“さきがけ”へと渡った。彼は総理となって友愛外交をやりたかったのだが表舞台に立つことなく辞めた。
日ロ外交は鳩山家のライフワーク。今回はロシアでの国際会議に招待をされそのまま足を伸ばした。総理を辞めてから「東アジア共同体研究所」を作り、日露関係や沖縄問題に関心持ち続けている。首相のときに「日本の外交問題がうまく行かないのはアメリカがあるからだ」ということを言ったがこのような発言をしたのはおそらく首相としては鳩山さんが初めてだ。
鳩山さんは「クリミアの現状を西側の情報だけではなく自分で見たかった」と言った。
しかし、鳩山さんは外交の経験もないまま総理になり、人脈も持たなかった。民主党が政権をとったとき若手が自衛隊に体験入隊をした。「自分で体験してみないと何も言えない」ということだった。
しかし、“やってみる”、“体感する”はジャーナリストの仕事だ。
政治家の仕事は透視することだ。体験学習をすることは、元総理の仕事ではない。そこが鳩山さんの間違いだ。

●保守の弱点、リベラルの弱点

“右と左”、“保守と革新”というように価値観による色分けがよくされる。
かつて、田原総一朗は田中首相が失脚したとき、「アメリカという虎のの尾を踏んだ田中角栄」と評した。
自民党の当時の久間防衛大臣は日本はアメリカの52番目の州になればという発言もある。アメリカ側の日本の見方は占領時代と同じ。
アメリカの顔色を見なければ何もできないということを、自民の保守派は忸怩たる思いで見ている。アメリカの意向を表に出せないで裏ではコントロールをされているという思いがある。

リベラルの弱点は何か。左翼は“平和憲法を守れ”と言っているが、この憲法は自衛隊と天皇制を認めている。現在の国民の意識としてはこれらは受け入れ認めているがリベラル派表だって、自衛隊や天皇制の批判はできない。
保守、リベラル共に弱点を抱えながらそれを克服できないままに現在に至っている。
戦後の日本を見ていると両者の間にある国民の考え方の方が優秀で”民間の価値観”が両者の弱点を乗り越えてきたように見える。

●サンフランシスコ平和条約に中韓は入っていない

3/8に全人代が開催され「9月の抗日勝利の式典に誰でも歓迎する。日本も反省の上にたてば参加を認める」と安倍さんをけん制している。
日本はサンフランシスコ講和条約で吉田首相が署名して独立をした。
この条約はアメリカが日本をどうしたいかというもので、中国の参加は拒絶。ソビエトはボイコットをした。韓国の参加希望は戦勝国でないからと参加を見なかった。
この時から冷戦構造に巻き込まれており、中・韓・ロシアの側から見れば、”日本の戦後処理について合意ができていない”という言い分がある。
ここが戦後処理でのドイツと日本の大きな違いがある。
ドイツと中国の関係は良好。中国では外国産の高級車はすべてドイツのアウディを使っている。中国はメンケル首相を通して日本へシグナルを送ったともとれる。

●皇室の発言

今年の新年の天皇陛下の年頭所感は「満州事変に始まる戦争の歴史に学ぶ」ことに触れられ、平和憲法に言及をされた。
また2/23の皇太子の55歳を迎えた感想のなかで「謙虚の過去を振り返り」と平和への思いを触れた。
皇室は政治的な発言ができないという制約の中、ギリギリのところで平和憲法をいじってはいけないという思いが込められた異例の皇室からの発言と捉えることができる。
3/11の東日本大震災の追悼の言葉では政府としては当然だろうが復興への歩みを強調。
一方天皇陛下は「困難な生活、原発事故で故郷を離れざるを得ない人へ心から寄りそう」ことを述べられた。何度も被災地に足を運ばれている。
政治にものを言うことが禁じられている立場からの安倍総理への懸念ともとれる。

●与野党ともに知識の風化

三原じゅん子議員が“八紘一宇”という言葉を絶賛し日本人が大切にしていくべき価値観として言及。「麻生副総理はどう思いますか?」と質問。
よく失言をする麻生さんだがこの時は「戦前のメインストーリーの一つ。若い人がこういう言葉を使うので驚いた」と述べ価値判断はしなかった。
戦中はこの言葉を軍部は理屈に使い“大東亜共栄圏”建設のスローガン”として多用した。
この記事は朝日と毎日はベタ扱い。他の新聞は報じなかった。
この軍部のスローガン賞賛に対し与野党からは野次もなかった。
戦後70年を考えるとき、自民も野党もボンヤリとして知識の風化が見られる。これが今日の日本の弱点に繋がっている。

●なぜ18歳から選挙権がいるのか

18歳に選挙年齢を引き下げる法案が提出されている。共産党は保留(反対ではない)が他は賛成のようだ。
私には解せない。18歳は大人だろうか。20歳でも子離れができてなくて怪しい。18~19歳の人口は240万人。
OECD加盟国で日本だけが18歳からではないことを根拠にするが、アメリカも韓国も兵役の義務がある。
国会に法案が出るのはそれなりの根拠や必要性があって出てくるのが当たり前。
18~19歳が「我々に選挙権をくれ」とデモをしただろうか。彼らが政治参加をしたいという意思表示があっただろうか。余りに党利党略だ。
今ある権利を行使しない大人たちを無視して240万人の年代にあまりに大きな負担を強いているのではないか。
もし、法案が通れば今高1の生徒は2年後に選挙をすることになる。
彼らは素直に学校教育の影響を受ける。
学校で保守系の教師あるいは、革新系の教師が話せばその影響をストレートに受ける。あるいはネットの影響も受ける。
このような法案が最重要事項になっているのはおかしい。
今の政治状況に呆れ果てて投票に行かない年齢層に対して、国民が選挙に行く努力を政治の側がすることこそが先ではないか。
どの党も自分の党の票が増えるというもくろみの党利党略が目立ち不愉快に感ずる。

●自己責任論は〇×思考

イスラム国のテロで二人の日本人が殺された。メディアの中には自己責任論が台頭している。
危険と分かっている地域に自分の意志で行くのだから殺されても仕方がない、自業自得という論だ。
この延長線上にあるのは、落ちこぼれは自己責任、格差社会を肯定し勝負の世界に単純化する方向が支配的になっている。
21~28歳のゆとり世代の考え方-
  もめそうなことには関わりたくない
  それ仕事ですか?
  なぜ頑張らないといけないのですか?

勝ち負け思考の代表的な人を二人あげる。
まずNHK会長の籾井会長の「お上とお上以外の意見」
もう一人は橋下さん。弁護士でロジックに拘り勝ち負けが決まらないと政治にならないと思っている。世の中には、win win だってある。
橋下さんと松下さんは上京すれば菅さんとよく合う。自民党は大阪府連が平松さんを担いだことでおかしいと思っている。
大阪都構想の統治を目指す発想は面白いと思う。官邸・公明も協力して今や逆転ホームランになりそうだが、本当に大事なことが結果の後にわかってくるような気がする。

●秋の総裁選は

古賀、野中さんは野田聖子を担ぐ。石破さんも1月には格好の悪い入閣をしたが実は意欲満々。山拓派は石原さんを担ぎたい。
この中で二階さんの存在がある。彼はかつての金丸信のような存在になり誰を担ぐか注目される。
ここで安倍さんのアキレス腱は“体調問題”だ。
1月のイスラム国への対応で悪くなったのではないか。
いつも水筒を身に着け飲んでいる。ホテルで20分部屋に入ったり官邸へ入る時間に遅れることがある。
ポスト安倍で改憲を引き継ぐ人が今のところ安倍さん以外にはいないのが安倍さんの悩み。だからこそ決着をつけたがっている。人材不足だ。
谷垣さんは安倍さんに何かあった時のスペアだ。谷垣さんになれば、日中韓の問題では穏健派へと戻るだろう。

●公明党は政権与党から離れたくない

永田町では公明党のことを“下駄の雪”と言っている。どんなに踏んづけてもついてくる。
現在の公明党はかつての平和の党との理念から離れすぎている。
公明党が政権離脱すればその後には維新の会がすぐに入れ替わる。それが分かっているから離れる勇気はないだろう。
公明党の悲願は官邸に官房副長官としてでも官邸内に入ることだ。10年間しがみついても入れないし、今後も自民党には公明を官邸へ入れる気はない。
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by okadatoshi | 2015-03-25 20:54 | 講演会記録 | Trackback | Comments(2)
日本政治の行方
b0036638_18344.jpg11月に引き続き実に4か月ぶりの懇談会です。
講師は与良正男氏(毎日新聞社専門編集委員)。
今回もメモを見返し、内容を私なりに書きなおしたものです。

★略歴

昭和32年(1957年)静岡県出身。名古屋大学文学部卒業。1981年毎日新聞社入社。1989年政治部配属。東京本社政治部、官邸・自民党・野党、外務省担当キャップや政治無キャップや政治部デスクを経る。
現在、毎日新聞社専門編集委員。早稲田大学大学院公共経営研究科客員教授、新しい日本をつくる国民会議(21世紀臨調)運営委員など歴任。『みのもんたの朝ズバッ!』『サンデーモーニング』(TBS)、『ちちんぷいぷい』(MBS)など情報・報道番組のコメンテーターとしてテレビでも活躍中。毎週火曜日には、MBSへ出演。

●安倍さんは強い

大げさな題で漠然として何をしゃべってもいい題だ。パワーポイントやレジメを用意してないしホワイトボードも使わない。
レジメを作っても世の中はすぐに変わる。ジャーナリストは日々の事を使えるのが仕事。資料を作っても古くなる。
安倍さんは相変わらず強い。その中に死角と言えるものがあるか考えてみたい。
国内の様子はうんざりとすることが多い。
プーチンは核兵器の準備をしていたという中、元首相の鳩山さんがクリミアへ行き”クリミアは友愛の国”と言った。
このような発言を聞いて国民は「民主党の時代よりは、今はまだマシ」と思う。
一部の団体に乗せられて行ったというのが真相。
しかし、自民党も威張れたもんじゃない。政治献金の話でいっぱいになっている。
また路上で国会議員同士のキスをして報じられている。
先々週のNHKの世論調査では、安倍内閣は8%落とした。此の前の毎日新聞の調査では横ばいだ。
安倍内閣成立後2年経過して40数%というのはそれまでの1年交代の内閣に比べとても高い支持率と言える。
この支持率は株価連動型といえる。総理執務室には株価の表示ボードがあり、総理はつねに気にしている。

●安倍内閣の死角

政治献金問題で野党の質問時に総理は「日教組はどうしたんだ」とつぶやいた。
イギリス議会では野次はよく出る。日本では吉田首相の「バカヤロー解散」などもある。が、毎回の委員会の中でブツブツつぶやく野次を飛ばす首相は今までに知らない。
この野次は、西川農水産大臣が補助金を受けた団体から1年以内に補助金をという政治資金規正法違反(言い換えれば知らなくて受け取った場合は罪にならないというザル法の典型)の質問で砂糖業界から迂回献金を受けたことを追及中に出た。
日教組発言に対し、当初質問者も、周りも総理が何を言いたくて何を問題にしているのかわからなかった。
安倍さんは「日教組が教育会館を迂回して、民主党議員に献金をしているのと同じ構図だ」と言いたかったようだ。
民主党の反応も遅かった。本来そこで否定できれば良かったのだが、「総理が言うのだから何か確たる証拠があるのかもしれない」と思ったのか丸一日たった翌日、前原議員の質問で、日教組が政府から補助金をもらうなどあり得ないし教育会館からの献金もないことを指摘。安倍総理は訂正し“いかんの意”を表明しい当面のケリがついた。
25年間政治記者をやっているがこれだけ事実無根の話しを首相が”そうだと思い込んで発言をした”例を知らない。
総理の“日教組嫌い”と敵視は強く、インターネットの書き込みからそうだと思い込んだのではないかとも噂をされた。
「何に基づいた情報か分からない」、「安倍さんは何をいいたいのかわからない」と周りの自民党が感じている。
これは一種の危機管理ができていない状況ではないか。
事実無根の思い込みで総理が相手を批判をしていたわけだ。喧嘩をするまえに事実を調べなくては喧嘩にならない。裸の王様とまでは言わないが、周りの意見が届かなくなったではないかと不安になる。
一強体制の中で誰も言わない。今や二階総務会長と元議員ぐらいしかいない。
派閥政治が良いとは言わないがかつての自民の強さは幅広い多様ないろんな路線があって、極端な意見に偏らない”振り子の原理”が働き国民にも政権担当政党としての安心感があった。党内が一色になる体制よりもいろんな議論があっていい。
自民党は一度決めたら反対派も従った。民主党の場合は、決めた矢先に「俺は反対だ」という人がすぐに出てくる。ノーサイドの笛が鳴ってすぐに試合が始めるのが民主党。

●権力者が「言論の自由」をいう

11月18日の解散総選挙を表明した安倍総理はTBS(関西ではMBS)の「NEWS23」の討論番組に出演をした。
この時街頭インタビューが流され、アベノミクスに期待するという声が2,3。否定的な発言が5,6出された。
これに対して安倍さんは「ねつ造ではないか」というような捉え方で怒った。
政権側としては「批判に耳を傾ける」というような発言をすれば済む場面だ。
2日後、幹事長室から選挙放送に対して「ゲストの選定、テーマの選び方、街の声の集め方を公正にして欲しい」という通知がきた。
選挙前には「公正中立」要請は普段からある。多様な意見を取り上げるということも大切なことだ。
しかし今回の通知は異例。上の方から「いちゃもんをつけられないように」という意向がくる。
前の選挙では、選挙期間中に選挙関係の報道が少なくなった。現場が委縮することはないがめんどくさいので取り上げなくなり、芸能番組でお茶を濁すようになった結果だ。
数量的に政治を扱わなくなり、その結果無関心になる。
その結果誰が得をするのかを考えたい。
民主党がやりすぎではないかと質問をすると、総理は「言論の自由」を言った。
総理自身が”自分の原論の自由”をいうのも、25年間の政治記者生活で始めて聞きズッコケた。権力者を縛るのが近代憲法だということが安倍さんには分かっていない。
誰も安倍さんを諌める人が今の自民党の現職議員にはいない。このとこが不安だ。

●憲法改正に向かう

公明党は手段的自衛権の行使については頑張っていると思う。
しかし、「公明党によってさまざまな“歯止め”をかけることが自衛隊の行動の手足を縛り何もできないと自民は思っている。やがて9条改正の話になってくるだろう。
来年の参院選挙で衆院とダブる選挙をして議席を増やしその次に衆院選挙と国民投票ということも言われている。立憲主義とは何かそこから議論をする必要がある。
今ある自民党案は国民へ義務を課す内容が盛られている。

●外交問題

“戦後70年の総理談話”でギクシャクしている中国との関係は、8月15日を乗り切れば何も起きないだろう。韓国も中国と日本が仲たがいをしなければついてこざるを得ない。
ここで気になるのは北朝鮮問題だ。
北朝鮮の「拉致被害者を再調査する」という言葉で安倍総理は一部の北朝鮮制裁を解除した。安倍総理は“行動対行動”と日頃言っている。
よく安倍さんは決断をしたとそこだけは評価するし応援をしたい。

安倍さんは90年に議員になりたてのころから横田さん達と関わった議員の一人だ。
小泉訪朝の時に安倍総理は副官房長官だった。
この時一時帰国の里帰りという曽我ひとみさんら5人を再び北朝鮮へ戻すかどうかで当時の福田官房長官と激しい意見の対立が生じた。
この時の暗黙の了解事項では、“核・ミサイル・拉致”の3点を解決すれば、韓国と動労の援助をするという約束があった。
この後、小泉さんが再訪朝しジェンキンスさんと娘に会う。
この過程での安倍さんの行動で若くして有力な総理候補として注目される様になる。
北朝鮮は「明日には崩壊する」と言い続けて10年を経過した。
北朝鮮は“金王朝を維持すること”こそが国目的。

家族会の高齢化の中で「何も進展しないね」という思いと我慢が家族会には続いている。
そういう中で横田さんもモンゴルで孫と面会した。おそらく願えば北は、孫を返して「拉致問題は解決」と幕引きをするだろう。
これらの経緯の中で、安倍さんの“行動対行動”という姿勢がある。
拉致被害者の調査についてはすでに分かっていることだ。
すでに、向こうはいくつかの選択肢を用意し水面下での接触があるのかもしれない。
報じることがどういう影響をもたらすのか考えると、拉致問題は本当に難しい。
中国、韓国、ロシア等難しいが、拉致問題は安倍さんにとって解決したい“1丁目1番地”。

●地方創生は手を挙げて地方から提案すべき

安倍内閣は、“第三の矢”と“地方創生”を重点目標としている。
施政方針演説で最初に持ってきたのが農協改革だった。
JAの監査権を取りあげることが規制改革につながるとしている。
日本が農業国になるわけではなく最初に掲げる話が農協改革では逆にいうと、はっきりとした政策がないということだ。
政府になにか確固たる政策を持っているという幻想を持たない方がいい。
あれこれ思いつくことは何でもやって、「その中からビルゲートやジョブスが出てくるといいね」と思っている程度。緻密な政策は期待できない。
民間から手を挙げてその実施上に問題になっていることの解消を政府に提案をして障害物をのぞかせるようにすべきだ。
地方創生にしても、政府がしっかりした政策を持っていないということは、地方自治体にはばれている。
待っていても何もしない。逆に手をあげるなら今だといえる。
若い官僚の何人かはつぶれ自治体があっても仕方がないと思っている。
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by okadatoshi | 2015-03-18 18:03 | 講演会記録 | Trackback | Comments(4)
福島第一原発事故は日本人に何を問いかけたのか
サブタイトル:吉田調書と極限の現場の真実
9月に引き続き2か月ぶりの懇談会です。
講師は門田隆将氏(ノンフィクション作家)   

★略歴

中央大学法学部政治学科卒業後、新潮社に入社。記者、デスク、次長、副部長を経て、2008年4月に独立。週刊新潮時代は、特集班デスクとして18年間にわたって政治、経済、歴史、司法、事件、スポーツなど、さまざまな分野で800本近い特集記事を執筆した。
デスク時代から「門田隆将」のペンネームで『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮社)、『甲子園への遺言?伝説の打撃コーチ高畠導宏の生涯』(講談社)、『ハンカチ王子と老エース』(講談社)などを出版した。
2008年7月、独立第1作目として光市母子殺害事件の9年間を描いた『なぜ君は絶望と闘えたのか?本村洋の3300日』(新潮社)。2008年11月には、『神宮の奇跡』(講談社)、2009年3月には、初の対談本である『激突!裁判員制度 井上薫vs門田隆将』(WAC)を出版。
2009年7月、『康子十九歳 戦渦の日記』を文藝春秋から上梓。2010年4月、『この命、義に捧ぐ―台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』を集英社から刊行。2010年7月、新潮社から『あの一瞬 アスリートはなぜ「奇跡」を起こすのか』を出版。翌8月、集英社から日航機墜落事故後25年の遺族の闘いを描いたノンフィクション『風にそよぐ墓標-父と息子の日航機墜落事故』を刊行した。
2011年4月、『蒼海に消ゆ?祖国アメリカへ特攻した海軍少尉「松藤大治」の生涯』(集英社)を出版した。2014年、福島第一原子力発電所事故後の状況を現地で取材。『死の淵を見た男―吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』、『記者たちは海に向かった―津波と放射能と福島民友新聞』を刊行。

記者生活の中から培った徹底した取材のやり取りを話し、この懇談会では異例の90分の枠を超えた講演内容でした。「吉田調書」の報道に対する門田氏の講義に対し朝日新聞は異例の個人名を挙げての謝罪記事はまだ記憶に新しい。
この懇談会で話されたことは私のメモをもとに、私なりに捉え感じた文章です。
講演内容そのものではありません。
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●吉田所長へアタック

25年週刊新潮で18年間はデスクにいて毎号5ページの特集記事を書いた。
記者としての全盛時代には、渦中の人物への独占インタビューでは負けたことはない。
デスクにいたまま本も執筆した。5月以来、私は朝日新聞と闘った。その過程をまとめ『「吉田調書」を読み解く 朝日誤報事件と現場の真実 』として13日に東京、14日からは大阪でも出版される。
“死の淵を見た男”を執筆するにあたり、吉田さんを口説くのに1年3か月かかった。当時彼への取材の働きかけは、NHKや朝日新聞もすごかった。
私が信頼できるのは女房しかいない。彼女を名簿図書館に走らせて、大阪教育大附属天王寺高校や東工大の彼のクラス学年の名簿を片っ端からコピーをした。これは取材の基本的な常道。
誰にも級友、恩師、上司の中に影響力を持つ人や心を許せる人が必ずいる。
吉田氏は東電の壁の中で癌で入院。接触が全くできなかった。
名簿の中から、吉田氏を取り巻く人間関係を調べその人たちに当たっていった。
そして、彼の方から2011年の12月に私の事務所へ訪ねてきた。
その時吉田さんは、「門田さん、入院中にいろんな人が何人もきて君の本を持ってくるんだよ。入院中も君の本を読んでいた。皆が一度会えというから来たんだよ」と言った。
最初に私は「吉田さん、今回の事故は日本の歴史が続く限り年表にドンと乗る事故だ。今は東電バッシングの中で読まれないかもしれない。しかし子や孫の代へ向かって歴史に対する証言をして欲しい。」
それに対して「何も隠すことはない。なんでもいいから聞いてくれ。」と応えた。

●日本最大の危機

今回の事故は日本が壊滅する有史以来の最大の危機だった。東日本が壊滅するということは首都が大阪になる。当然、東日本の人々が大作に来るということだ。日本はそこでリセットされ別のものになる。
吉田さんがあそこで留まらなかったら事態はどこまでいくのか?を聞いたら、
「チェルノブイリの10倍だよ」と彼は答えた。
1号基がダメになったらそれに続く2号基以下6基すべてが悪魔の連鎖で全滅し2階の4基もつぶれて10基すべてダメになる。1基つぶれたチェルノブイリの10倍にあたるという計算だ。
当時の各分野のトップに同じ質問をした。
研究機関のトップの 原子力安全委員会委員長の班目さんは、「そんなもんじゃない。福島がやられたら近くの東海村の原子力発電もやられる。日本は3分割される」(人が住めない東日本を挟み安全な北海道と西日本)
政治のトップの菅直人総理の答えは、最低でも5千万人。菅さんはこのあと一番気になるのは「いつどのタイミングで天皇に皇居からお移り願うか-そのことが心配で眠れない」といった。若い時は社会運動の活動家だった彼からこの言葉を聞いたときは驚いた。
菅さんは当時は総理執務室の隣のソファーで仮眠をとる生活だった。「天皇が動くと漏れた瞬間に日本はパニックになる」と考えていた。
そいう状況の中で、第一原発の崩壊を防ぐための突入が現場では繰り返された。
福島の東電のプロたちは、JOCの茨城の事故を当然知っている。
放射能汚染にやられると細胞が再生しない。身体の中で腐っていき、死に方の悲惨さをもっともよく知る人たちだ。
その中でも彼らは突入を繰り返した。
吉田所長が大阪の人間だったことが良かったと彼らは感じている。
大阪の人間は最後まであきらめない。東北人はあきらめも早い。東電に現場の人たちは吉田所長のことを“ヨシヤン”と呼んでいた。
現場の人とインタビューを続けたが、彼らは「俺たちはヨシヤンとだったら一緒に死ねる」と言っていた。
周りを見ても、「この人となら一緒に死ねる」というような部下を持つ上司はいない。

●ベントを閉めるための突入

ベントを閉める建屋は放射能で充満しており宇宙遊泳のような防御服を着て突入する。
ベントを開けるためにはいくつかの奇跡が重なった。
原子炉の設計では10メートル以上の津波がくることを想定していなかった。その津波が超えた部分に各建屋とつなぐ“キャットウォーク”があり、松の廊下とも呼ばれていた。
当時第一原子炉の当直長は伊沢郁夫だった。彼のいた場所と、吉田所長のいた場所とは300m離れている。
事故が起きた時点で、吉田所長は自衛隊に消防車の手配をすでにしている。
当時構内で動ける消防車は一台。これに複数台の消防車をつなげば海水注入が海からできると考えた。
そのとき、伊沢は吉田所長の指示の前に、海水注入しか原子炉を静められる方法はないことを察知しそのための注入口のパイプラインを作ることに着手していた。これがまず奇跡的なこと。
この時は防御マスクだけの作業。この時の様子は何十人にも聞いたが、「汗が目に入って痛かった」と言っている。現場は暗くて暑い。その作業を3月11日の深夜8時までに済ませたのが一番大きな奇跡だ。実は放射能の線量が増えて8時以後は入構が禁止になる。
このころになると伊沢当直長にチーム11人に非番の人がどんどん集まり40人になった。
この当時の内部の動きの報道はなかった。

本にも書いたが多くの感動的なことがあった。
3月12日には1号基が内部の圧力のためにパンパンになった。
大爆発を防ぐためにベントを緩め中の放射能と共に空気を出すためのベントを緩めることになる。
この作業をするメンバー選出を吉田所長が伊沢に命じた。
ベントの場所に行くことは生と死の境をくぐることだ。
この時は、自動車のバッテリーで蛍光灯1本だけつけた部屋で放射能の線量を計りもっとも低い空間に人が集まっていた。
伊沢は「若い人は行かせられない。年齢の条件で行ける人は手を挙げてくれ」こう言ったときに不思議な空間になった。
皆金縛りにあったように手が動かない金縛りの状態になった。
伊沢はそれまで指揮をするために突入していない申し訳ないという気持ちと次の当直長が来たので自分が行くこと考えた。
「まず俺がいく一緒についていく。一緒にいく人は手を挙げて」といったとき、そばにいた同じ当直長の大友が「伊沢君ダメだよ。最初から指揮を執ってい現場のことが最もわかっている。」
この一言で、金縛り状態が解け「俺に行かせて下さい」という声が出てきた。
この結果、1班 大友・大井川、第2班 遠藤・紺野が編成され、まず1班がAO弁を開いた。
大友への取材で「突入が決まった時に家族のことをどう思ったのか」聞いたら、大友は「原子炉の建屋は広いんだよ。真っ暗な中でそう弁を開けるのか大井川とのシミュレーションをずっと考えていた」と答えた。大井川さんは家族を思っていたと言っていた。
取材した誰もが、一文字ハンドルを開けて二重扉のの奥に入りドアを閉めた時の「ガチャーン」という音を聞いたとき死の世界に入ったと感じたと一様に言っていた。目的を果たして戻るとき大井川は「圧力計の元の計器を見るぞ」と本体に直接ついている計器の数値を読み取り連動している別の計器を同じことを確かめ外部の計器の信頼度を確認するというプロの動きをしている。
AO弁の開放に成功したことを所長に伝えると言わせた人々が「ウォー」と一斉に声を挙げた。
次に2班がAO弁よりもさらに過酷なキャットウォークで本体を回り込む場所にあるMO弁の開放へ向かったが、実は失敗している。
最初に遠藤が進んだが放射能の線量計が上限に張り付きこれ以上の進行は危険と判断し戻ろうとした。後続の紺野は線量計など持たないで仕事をして帰れなくなれば死ねばいいと思っていた。二人はここで戻るかどうかでもみ合いをしている。この世界は体育会系で1年先輩の遠藤の指示で戻った。二人の順番が逆だったらおそらく二人とも放射能にやられていただろう。この二人は浴びた放射能の線量が規定値オーバーで退避第一号になる。身体にこびりついた放射能は5回に及ぶ全身の水洗いでやっとオフサイドセンターから出られた。

●感動した話の一つ

たくさんある中で感動した話の一つに吉田一弘の証言がある。
突入班を決めるとき、彼は5号基の副長にもかかわらず自分に行かせてくれと言い続けていた。
実は彼は1号基に10年間勤めていて1号基のことはすべてわかっているという。
それぞれ原子炉には性格があって彼にいわせると「1号基はやんちゃだけれどもいいやつなんです」
2班が失敗したとき「吉田行くか」と言われる。
この時、吉田一弘がペアに選ぶのが佐藤芳弘。吉田と佐藤は共に小高工業高校出身で1年の先輩と後輩。吉田は陸上部で佐藤はバスケットで共に足が速い。
吉田に「佐藤、いくぞ」と言われたときの佐藤へ家族への気持ちを聞いたとき彼は「パパ行くからね」と心でつぶやいたという。
伊沢が「お前たちほんとうに行くのか」といわれたとき、吉田一弘は「突入したら一気に走るぞ」と佐藤にいった。
このとき吉田はインタビューで「しまった。やり残したことがある。そのことを思うと心が折れそうになった」と言ったが“そのこと”については私に答えなかった。
「吉田さんなんで心が折れそうになったのですか?」と4時間かかったインタビューにも答えない。夜になり10回以上も同じ質問をしたら最後に目に涙をためながら言ってくれた言葉は、「はい。最後に女房に『今まで幸せだった』と言わないまま死ぬのかと思ったことです。」
彼らは家族への思いを残したまま突入をして行った。
そしてついにMOのベントの開放にも成功する。

●朝日のイデオロギーの押し付け

この人たちの戦いに対して、朝日新聞は“反原発・自分達のイデオロギー”に合わせ記事を取り上げ都合の悪いことには触れなかった。
朝日に対する私の怒りをまとめた本が明日書店に並びます。
2号基がパンパンになったとき、免震棟(めんしんとう)には700人いて、脱出の機会がなかった。放射能汚染からはここがまだ安全だった。
650人をどこかに退避させるかの吉田所長のやり取りを朝日は予め意図を持って報じた。
吉田所長は、3月15日に自分と一緒に死ぬ人間を選別しそれ以外の人を退避させることを考えていた。

【参考 朝日新聞の吉田調書記事

先週の金曜日に吉田所長と同い年のヒキダシロウさんと飲んだ。
彼は東電学院を出た福島原発の叩き上げで吉田所長が信頼していた人だ。
吉田所長から来た最後のメールの事について話してくれた。
脳内出血とこぶし大の癌の再発、肉腫も太ももにできている状態の中から「ヒキダへ。実はあのもっとも悪い状況のときにお前と残ると決めた。奥さんにごめんねと言っておいて。」
吉田所長は沈没する船と運命を共にする船長と一緒で、最後まで原子炉にとどまる決心だった。
ヒキダさんは「よしやんは寂しがり屋」とも言っていた。
吉田所長は放射能被害ではなく国と自分の死と向かい合った強烈なストレスの中での戦死だと思う。

(質問に答えて)

圧力がかかれば自然に抜ける装置がなかったのか?という意見に対し、反原発の動きの中でそういうものの安全性がまた問われ手つかずになった。
原発の再稼働については、日本は感情論が先行している。
中国では高温ガス炉を286基開発している。エネルギー面でこのままいけば日本は中国の属国になる。
しかし、全てを自然エネルギーに変えれば日本の成長率は持たない。
一方、核ミサイルは不要で普通のミサイルを日本の原発に落とせば核ミサイルに変わる。
テロの時代に原発がやられれば終わりになる。
反原発も再稼働も両方ともに一理ある。
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by okadatoshi | 2014-11-12 20:45 | 講演会記録 | Trackback | Comments(4)
アベノミクスは日本経済を蘇らせるか-経済成長三つの方法
先週に引き続き9月の2回目の懇談会です。講師はエコノミストの飯田泰之氏。

★略歴

エコノミスト。1975年生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学院経済研究科博士課程単位取得退学。現在は明治大学政治経済学部准教授、株式会社シノドスマネージング・ディレクター、財務省財務総合研究所上席客員研究員。
著書に『経済学思考の技術-論理・経済理論・データを使って考える』(ダイヤモンド社、2003年) 、『ダメな議論-論理思考で見抜く』(ちくま新書、2006年)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社、2007年)、『考える技術としての統計学 生活・ビジネス・投資に生かす』(NHKブックス、2007年)、『世界一シンプルな経済入門―経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン、2010年)、『ゼロから学ぶ経済政策-日本を幸福にする経済政策の作り方』(角川Oneテーマ新書、2010年)など多数。

パワーポイントを使い数値を示しながら大学の講義のような内容でした。日本の先行きがどうなるのか経済学者からの切り口は新鮮でした。
私のメモがプロジェクターの解説に追いつかず、今回も私なりに受け取った感想をまとめたものです。▼
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●経済学は幸福を目指す

専門はマクロ経済学・経済政策。奈良市の町おこしのプロジェクトのお手伝いもしている。
最初に経済学とは何かを話したい。経済学は、17世紀に道徳哲学から枝分かれをした学問だ。
人間にとって価値を考えるとき普遍的なものがあるわけではない。その人に取っての主観的な価値と主観的な幸福がある。
この水が100円の価値があるのかどうかは、私にとってそれを100円と認めるのかどうかということだ。
250年間の経済学の歴史を経て、今経済学が生まれた頃の原点に戻ってきた。
ひところブータンが幸福の国と言われていたが実はかなり怪しい。当時国民へ問いかけたのは三択で「大変幸せ・幸せ・不幸」から選ばせた。
同じような幸福度調査で10点満点で調べた日本の平均値よりもブータンのそれは低い結果が出た。
日本円にして年収200万円までは収入に比例して幸福と感じる強さは比例関係にあるが、それを越すと収入以外の要因が関わるということが知られている。
それは周りとの比較、自分の過去の生活との比較などだ。
何を持って幸福と感じるのかという阪大のグループの研究では
幸福度を上昇させる要因として、“健康・20代・30代・文系の大卒・高所得・高資産・・信仰心・近畿九州在住”、
幸福度を下げる要素として、“未婚・離別・死別・求職中・競争心が強い・貯蓄嗜好・喫煙習慣”を挙げている。
利他性に関連して奥さんが10%幸福と感じたら主人は30%幸福度が上昇する。

●アベノミクスの評価

アベノミクスの3本の矢とは
①大胆な金融緩和②機動的な財政出動③民間投資を誘発する成長戦略 で、この政策のブレーンはイエール大の浜田宏一氏。
日本のマスコミは安倍政権を批判をするが、海外では評価が高い。
①が効果を上げるには1年半から2年かかるがその間、②でカバーをする。経済的にも整合性がある。
2012年5~10月には日本円が70円台日経平均も8000円台であったものが短期で100円台から14000円になっている。
インフレを失業率の関係はフィリップス曲線といって右下がりのグラフになる。インフレ率が1%に近づけば失業率も下がる。そうなれば雇用確保の局面に入っていく。▼
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2002~2006年はイザナミ景気といわれ小泉内閣の時だった。次のグラフでみるとこの時は北海道など地方は恩恵に浴していない。地域間格差が生じた。それと比較するとここ数年は地方も一緒に上がっている。2014年はまとまりも良い。有効求人倍率が1.0を超えると賃上げによる人材確保に向かう。▼
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リストラの心配がなくなると貯蓄から消費に金が回る。円高から海外からの観光客の増加、サイパンに行くより国内旅行で北海道・沖縄に人が動くようになる。私も家内と有馬温泉の予約をしたら、以前簡単に予約がとれず、部屋も高くなっており、国内の観光需要が良くなったことを実感した。
経済産業省「工場立地動向調査」をみると2012年に比べ2013年は北海道75→109、九州・沖縄168→339件と増加をしている。以上がアベノミクスのプラス面だが不安定要素もある。
次の表はでは、中小企業が景気の陰りを感じている。この種の統計資料は理屈抜きの個人の経営者の勘の方が先行するケースが少なくない。▼
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これは、消費税が上がったことが原因だ。

●消費税ショック

89年消費税導入。増収6.6兆円。減収9.2兆円(物品税廃止、所得・法人税・相続税減税)
97年税率引き上げ。総集4.8兆円。減収4.8兆円(所得・住民税減税、社会保障給付)
2014~2015年 増収13.5兆円。減収??兆円
あわせて減税対策も行った過去二度の税率引き上げとは全く異なる。
次の表は総勢前後の消費動向である。14年は駆け込み需要の後も5~6月とダラダラと低迷が続き回復の兆しがない。▼
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・金融政策・・・着実に効果を上げつつある。
・財政政策・・・財政政策は最もまずい方向に進みつつある。増税は経済を停滞させ公共支出は有効性が低い。
・成長戦略・・・2つの方向性(開放規制緩和路線vs産業政策路線)間の調整がうまくとれていない。アクセルを踏みながらブレーキをかけている状態だ。
景気対策としての公共事業が効果があったのは、農家から建設土木作業員の確保ができたからだ。
今の農家はブランド米の育成など技術が必要な専業農家か、フルタイムの副業を持つ兼業農家しかない。現場の作業内容も日雇いや建設作業員の単重労働ではできない工事内容だ。
ここにきて海外メディアのロイターなど消費税に完全実施について意見を変えてきている。
甘利大臣も「消費税増税を延期する場合には期限を設ける必要がある」というようなことを言い出している。

成長戦略には次の二つがある。
①ターゲット政策:成長産業の特定と保護育成。
②舞台設営:民間が活動しやすい舞台を整える。
過去の日本経済をみると政府手動で産業が育った例はない。どのような舞台を設定して行くのかがポイントだ。
1967年で集団列車で高度経済を支えた中学生の集団就職の時代は終わった。

●動くことによる成長を目指す

地方から都心への人口移動が成長をもたらす古典的な成長モデルの時代は終わった。
現在の中国も1960年代までの日本のような成長モデルが終わりになってきている。
現在の日本の年金制度や退職金制度は転職すると不利になる。人材を動きやすくするための規制緩和、退職員優遇制度の見直し、年金のポータビリティなどの検討が必要。他社のラインに移れない。正社員の足止めをなくすことだ。
大きく経済成長をさせるのはイノベーション
大阪は人口密度が高いが中心が集積度が低い。特定の関連産業、同業社を地域に集め集積化を図る。
これを如何に進めるのかが次の長期経済戦略につながる。
大阪と東京をメガ化する。太平洋ベルト地帯への人口移動を図る。このとことによって、一部の自治体が消滅をすることを恐れないことだ。
日本人の人口が8000万人時代になる。

5人が救命ボートで漂流し特効薬が3粒しかない状態で、5等分して飲めば全員が助からない。
三分の二に人口が減少する。これに対し特定のエリアを残すかたを引っ張るのかの選択が、10年以内必要になる。
アベノミクスをみると最近は、外交安保に移っているように見える。
今後の日本の成長にはアベノミクスが起爆剤となることに気づいて欲しい。
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by okadatoshi | 2014-09-13 17:20 | 講演会記録 | Trackback | Comments(2)
黒田官兵衛-知と情の軍師-
6月から暑い夏を挟んで久々の懇談会です。講師は、童門冬二氏。

★略歴

1927年、東京都生まれ。。東京都に勤め、都立大学事務長、広報室課長、企画関係部長、知事秘書、広報室長、企画調整局長、政策室長を歴任し1979年の退職後から作家活動に入る。日本文芸家協会、日本推理作家協会会員。99年勲3等瑞宝章受章。
都庁幹部から歴史作家に転じた異色の人。「暗い川が手をたたく」で第43回芥川賞候補となる。
歴史の中から現代に通じるものを好んで書く。「小説 上杉鷹山」はバブル崩壊後のリストラ時代に、経営改革という面が見直され、ベストセラーになった。

この方の話は、今年の1/16放送の“ラジオ深夜便”で、〔歴史に親しむ〕の中で「軍師 黒田官兵衛」として話したのを視聴し楽しみにしていました。
ラジオと異なり落語から学んだと思われる口調を駆使しながら豊富な資料に裏打ちされた話を90分話されました。いつもの通り私のメモをもとに講演内容をまとめてみます。
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●軍師の中では黒田官兵衛は抜きんでいた

32年勤務していた都庁を51歳の時に辞めた。当時、小説家として安定した収入があるわけではなかった。そのような私にこの会の主催者から「しゃべれるか?」と聞かれ「しゃべれません」と私はこたえた。勧められて長野で上杉について話した。いわば、収入を得られるようになった恩人なので足を向けて寝られない。

戦国時代の軍師は過大評価をされているのではないか。
山本勘助にしても4回目の戦いでは上杉に戦略を読まれているし、真田幸村も最後には大阪城で負けて討ち死にしている。
上司に忠誠ではあったが貢献度からいうとどうだろうか。諸葛孔明の軍師としての働きの影響を受けたセンチメンタルな評価が多いように思う。
この中で官兵衛は異色だ。戦い以外の事にも目を向けた。
官兵衛は何よりも民を恐れた。領主が船なら民は水。次に恐れなければならないのは家臣。よい政治を行えば国は穏やかだが悪い政治を行えば嵐となって船を転覆させるという言葉を残している。
官兵衛はグローバリズムの考えを持っていた。
この会場なら、大阪人、日本人、国際人という3つの人格を皆さんは持っている。
当時は地方人としての意識はあったが日本全体を考えるという発想がなかった。

●道州制の毛利元就と天下統一を目指した織田信長

毛利元就は、カラカサ連判状に興味を持った。
これは、農民が要求を願い出るときにその署名を誰が首謀者かわからないようにカラカサ状に書いて出すもので、この方法で水利や経済問題に対して訴えを認めた。
毛利元就はこのカラカサ連判状の手法を使い、地侍や豪族たちの連合組織をも使っていく。
当時の中国地方の西の大内と東の尼子が2大勢力だったが、弱小勢力は大勢力の中に組み込まれていく。この中で、元就はカラカサ連合を、尼子・大内への抵抗組織に育てていき、大内、尼子を滅ぼし広島、山口、岡山、鳥取、兵庫の4分の3を支配下におさめた。道州制を目指したと言える。
この毛利勢がさらに近畿へと広がりその狭間にある大名は毛利と織田方のいずれにつくのか迷った。
織田信長は、「あゆち思想」の影響を受けている。「あゆち」とは「海から吹いてくる幸福の風」のことで、真ん中にある尾張は、その風を受け止める場所という考え方だ。愛知県の「あいち」という名前もそれに由来する。信長は「あゆち」の風を尾張だけでなく日本全国に吹かせたいと考えていたのではないか。それが天下統一のポリシーへと繋がる。
信長は攻め滅ぼした城を岐阜と命名する。
また安土城の名前も、天下統一して「あゆち」の風を吹かそうという思想を示している。

●官兵衛の先を読む力

官兵衛は、地方自治を死守するのか、天下統一後に地方を安定させるのかという考えのなかで後者を選び地方の安定を両立させる方を選んだ。
秀吉の天下となったときに、官兵衛は中津に12万石の城を持つ。当時の武将の夢は一国一城の主になるいことだったが、この時の秀吉は、一城は与えているが一国は与えていない。
信長と秀吉と家康の性格を“鶯を泣かす”例えで言われるが、それぞれの世代の日本国に対する働きを言ったものだ。
旧体制(足利幕府)を破壊し(信長)、建設し(秀吉)、維持する(家康)。
秀吉は建設期に入り軍事の才能よりも、経理に明るい三成タイプの補佐役が必要になり、官兵衛と距離を取り始めたといえる。
大坂夏の陣で勝機があったとすればそれは 豊臣秀頼の出陣した場合であった。
当時三成に反発して徳川方についた秀吉恩顧の武将は、秀頼が総大将として出陣してくれば、西軍に弓を弾くことはできない。
このとき、秀頼の出陣を思いとどまらせたのは、黒田官兵衛の息子の長政だった。
おそらくこの親子は、次の天下の流れが家康になることを見通したのだろう。
家康が長政に筑紫62万石を与えたのは、この進言のバックにいる官兵衛への感謝の意味合いがあったのだと思われる。
当時、中津の地にあった官兵衛は三つの関所の港に高速艇を配置し、大阪の情勢を逐一入手できるようにしており情報収集には長けていた。
長政が62万石の大名になり、官兵衛は黒田家のが発展していくスタートの地、備前福岡の地名にちなみ、福崎を福岡に変えた。
このとき町人の街、博多衆が反対運動をおこすが、区域を分けて福岡と博多の名前を共存させた。長政は様々な改革に着手をするがその中に“異見会”の設置があった。
これは、ボトムアップの仕組みづくりで、下からの意見も政治に反映をさせる仕組みづくりだった。

●二代目を育てる

当初は“異見会”はうまく機能をしていた。如水(官兵衛)は参加はしていたが意見を出すことはなかった。
あるとき、若手の意見がこの会で注目を浴びた。長政はそれを取り上げ皆の前で褒めた。
このことを如水は、決定権を持つ社長が入社した社員の意見の従ったとみて自分の亡き後を心配した。
武田信玄が逝った後の武田家滅亡の轍を踏みたくなかった。
そのために死期が近づいたことを悟った如水は、長政を自分を超える人間にすることに専念する。栗山利安母里友信など腹心の部下の悪口を言い始める。それをいさめる長政に対し如水は、「功績があり幼い時からともに戦った彼らに詫びている。自分の亡き後、長政への影響力をなくすためだ。決断し決定をするのはお前ただ一人。決定権を放棄したお前をただすためだ。」といったという。
死期を悟った如水は「もう1週間しか命がない。金はない。形見をやろう。」といって、草履と下駄を1足ずつ与えた。しばらくして「お前は、形見の意味を考えているだろう。下駄と草履に何の意味もない。お前の悪い癖は何か意味があるとくそまじめに考えることだ。決断が鈍った時には草履と下駄を思い出せ。」
この後、長政は生まれ変わったように意図が変わり名二代目となった。

同じ二代目将軍の秀忠はこの話を聞き“談絆の会(2代目の集まり)”を作り、長政を呼んだ。
長政は、いずれも父如水が言った言葉として
・重箱をすりこ木でかき混ぜる(隅の方はほじくるな)
・荒海の牡蠣になれ(波にもまれて角は丸くなる)
・将兵の失敗は2度は許して3度目は首にせよ(軍の統率がとれる)
これに対して、秀忠は「お前はただ一つ嘘を言っている。いずれも、父が述べたと言っているが実はお前が思っていることを述べたのだろう」といったと伝えられている。

ドラマでは、官兵衛は有岡城へ行ったとき「この書状を持つ男の首を撥ねよ」とあったとされているが、官兵衛ほどの人間なら、事前の書状を読むことはするだろう。ともにキリスト教に入信していたので説得ができると思ったのだろうし、荒木の方も信徒であり殺さずに信長の手前、牢に留め置かざると得なかった。
秀吉が軍師を持ったのは当時の流行でアクセサリーとして持ったのだろう。秀吉自身、軍師的な才能を十分に持っていた。
官兵衛が九州で謀反を起こし天下を狙おうとしたという説があるが、地方の中級大名にそんな力もあるわけがなく、官兵衛は生涯誠実な生き方をした人物だった。
私は物書きだ。今まで話したこともどこまでほんとでどこまでが創作かわからない、眉に唾をつけて聞いてもらえばいい。

童門冬二氏のインタビューとしては、ここ(クリック)にも内容がまとめられています。
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by okadatoshi | 2014-09-03 21:59 | 講演会記録 | Trackback | Comments(4)
世界の中の日本
b0036638_11212517.jpg5月に引続いての懇談会(14/06/18)です。
講師は、曽野綾子氏。

★略歴
東京都出身。53年に三浦朱門と結婚。54年聖心女子大学文学部英文科卒業。79年にローマ法王庁よりヴァチカン友好十字勲章を受章。93年、恩賜賞・日本芸術院賞。95年、日本放送協会放送文化賞。96年にパンティオン教皇庁立優秀芸術文学アカデミー会員に任命される。2003年、文化功労者となる。2012年、菊池寛賞を受賞。
1995年から2005年まで日本財団会長を務める。2009年10月から2013年6月末まで教育再生実行委員を務める。
★主な著書
「無名碑(講談社)」、「神の汚れた手(朝日新聞社)」、「天上の青(毎日新聞社)」、「原点を見つめて(祥伝社)」、「貧困の光景(新潮社)」、「非常識家族(徳間書店)」、「自分の後始末(扶桑社)」、「風通しのいい生き方(新潮社)」など多数。
★主な兼職
日本文藝協会・理事、内外情勢調査会・理事、土木学会名誉会員、国際統合医学会・名誉顧問など。

曽野綾子氏の著作では小説よりも随筆、評論の方を良く読みます。当たり前に見える目の前の情景を異なった切り口で辛辣直截に断じる考え方は妙に納得させられる小気味よさを感じます。
講演は手慣れているとはいえ今年83歳という年齢を感じさせない語り口でした。立ったままの1時間半、前日は名古屋でも同様の講演会を済ませての大阪での講演とのこと。お元気です。
豊富な作品と社会的な実践例をお持ちで、論が断片的であちこち飛んだ表現もありました。90分間のメモから話の概要を以下にまとめます。

●なぜサハラ砂漠に行きたくなったか

私は小説を書く職人だ。60年間小説を書いてきた。
日本人は愚鈍な精神が無くなったように思う。
3.11で人間としての考えが変わった-というような表現が言われるが、なんと甘いことをいうのかと思う。
私は13歳で女工として働いた。この女工という呼称を差別語という風潮があるがそうではない。断じて「女工」だ。戦後、朝日・毎日新聞は言論弾圧をしてきたと思う。
以前若年性白内障で視力が落ちた。手術によってふたたび周りがはっきりと見えるようになったとき余りの周りの色の美しさの中で「サハラ砂漠に行きたい」と思うようになった。
私は聖心女子大学で皇后さまの3年先輩に当たる。当時の学校には日本に修道女として着任したシスター達が神に使えていた。母国の修道院を出て、遠い異国の横浜や神戸に着いたらそこからもう一生母国に帰ることはない。そういうシスター達からすべての仕事は一生を掛けてやることを学んだ。そのことが人生の目標とすべきと教えられた。
世界の三大一神教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教だ。
ユダヤ教の中の新興宗教の一派がキリスト教です。イエスはもともとユダヤ教徒です。イエスの死後キリスト教ができる。
多神教は状況に応じて許す神々があり都合が良い宗教だ。

オイルショックの時代、新聞社からアラブの世界を見てくる企画が出された。(自著『砂漠・この神の土地』)23歳のときに初めて外国へ行ったが、もっと外国のことを勉強したいと思った。
この時夫に「私は30年間、バー通い、着物、骨董品集めの浪費もしたことがない。代わりにお金を使ってアフリカを見たい。」と言った。50歳を過ぎた頃だった。
アルジェからサハラ砂漠を越えてコートビジューアールまで8500kmを35日間で横断するもので、隊長は吉村作治(アフリカ考古学者)さんで隊員は6人。
2台の車でチームを組み、機械と電気が扱える技術を持っている人を入れる。参加者にはすべて仕事の人に仕事を与えるということだった。砂漠では仕事をしない“客”を作ると反乱が起きる。車は日産から四駆の提供を受けたが故障することなく動いた。
水の運搬が大切。1人が使う一日の水の量は一日4リットル。
日中は42度、夜は12度。寝袋で外に寝るが2時間に1回は気化するガソリンを抜く作業が必要だった。最近のニュースで夜店の屋台で発火のニュースがあったが気化ガソリンの扱いを知らない穏やかな日本人のことを危く思う。
吉村さんに人選の考えを聞くと①何か技術のある人②遭難に対処できる人③運のいい人 ということだった。砂漠では何かあれば、全員が死ぬ。何かあれば隊長が指揮を執る。こういう世界では民主主義では生き残れない。5人だと3:2で多数決になる。砂漠では動物的な勘が大切。
東日本大震災時、車で逃げる途中でおばあさんから車に乗せてくれと頼まれ代わりに「私が代わりに下りる」と席を譲った人が津波に呑み込まれた。こういう時に法令順守ではなく載せるだけ人を乗せて逃げるという本能が日本人には希薄になった。
宮城県女川町の大川小学校で児童108人のうち、74人もの子供たちが犠牲になったが、なぜすぐ裏にある高台への非難道を作らなかったのか。
国の予算が付かなかったのだろうが、それなら父母が手弁当で階段を作るなどしておれば、悲劇は避けられたはずだ。(概要参照」)
私がサハラに行きたかったのは、こうしたこうした日本と対極にある環境で人々はどう生きているのかを知りたかったからだ。
御馳走に囲まれ、豊かな生活とそうでない人々精神性を知りたかった。
日本ではすべての行動を自分で決めることができる。インドやトルコで砂嵐にあうと人間はすべての行動を辞めてやり過ごすしかない。
私は炊事と運転を担当した。毎日6時間、来る日も来る日の単調な風景を見ながら運転をし続けた。
あらゆるものに砂が入り込む。玉ねぎだけは生き抜いた。砂漠では3個の石があれば竃(へっつい)ができる。
電気がないということはどういうことか、霞が関の官僚の若者を連れて最貧国に連れて行き生活を体験させることもしている。

●電気がないと民主主義は育たない

砂漠にあるのは部族社会。日本の選挙では家族のそれぞれば好きな候補に投票するが、部族社会では別の部族の選挙人を選ぶことはありえない。高齢者や赤ん坊の死亡率は高く民主主義の基本がない。ラジオも聞こえない。サハラでは電池は売っていない。あっても使い古したものだ。
京都議定書で日本では物を燃やせなくなった。しかし、現実にはインドシナからトルコにかけての地域では、薪で煮炊きをしている。
どうして日本は偏った言い方をするのか。電気やガスのない所にどのようにエネルギーを供給する方法があるのかを考えるべきだ。

韓国の出版社から電話があり、私の本を無断で翻訳・出版したと電話があった。当時は翻訳についての国際的な取り決めはなく当の出版社が律儀に連絡をしてきた。
私は意地悪だから、もし利益が出るようなら韓国の施設に寄付をするように言った。
やがてソウルから100キロ離れたらい病患者居住地・聖ラザロ村を運営する神父から感謝の電話があった。以来、この村の支援に関わっている。
らい病は特効薬も見つかり感染することのない病だ。日本ではマスコミは“らい病”とは言わないでハンセン病というが、“らい菌”はあってもハンセン菌はない。
ここの神父さんは村の存続に関して無心に来る。600万円必要と言われ当時銀座で豪遊していた梶山さんの数か月の銀座の飲み代を充てにしていたら、私の心を見透かしたようにこの神父さんは「大口の人の寄付よりも少なくても多くの方の寄金が欲しい。人を助けるという得難い経験を多くの人に感じて欲しい」と言われた。これは凄い言葉だと思う。(概要参照

●賭博場にも神さまは居る

“時の止まった赤ん坊”の取材のためにマダガスカルのシスター遠藤と会い1週間滞在した。医療設備は酸素も薬もビニール袋もなにもない。
そこでは何かできる人はなんでもやる。
国境なき医師団の集会に日本であったとき「医師免許の資格がない人の医療行為への疑問」が会場から出されたが現地での医療行為の現実が分かっていない意見だ。
この病院の支援者にはいろんなボランティアの人がいた。中には左翼から商社マンになった人もいて、私に「宿泊ホテルの二階の博打場へ行ったか?」ときかれた。何事も経験と私はそこへ1万円だけ使うことにして入った。最初“11”という数字が気になり賭けたらあたった。次に“29”という数字が光って見えた。これに賭けるとまた当たった。
儲けは修道院へ寄付したが、博打場にも神は存在すると思った。
以来40年間アフリカと係ってアフリカで身を犠牲にしているシスターへの援助を行っている。121カ国へ行っているがほとんど途上国ばかりだ。(概要参照
インド人は、こすからしい。タクシーに乗っても遠回りをして運賃を稼ぐ。
知人の体験で、下痢をして財布も出せないほどの状態でタクシーに乗った方がいたが、そのときインドのタクシーのこの時の運転手はホテルに直行し金も要らないといった。こういうところは凄い。
日本人の常識では通じないことが外国ではある。水が欲しくて「井戸に連れていって」と頼んでも井戸には連れていっても水が出ない井戸に案内される。こういう時には、「水の出る井戸」と言わないと通じない。こういうことに日本人は慣れていない。

●通訳は自費で雇う

ガザでアメリカの悪口をいう人がいた。「なぜそれほど嫌いなアメリカに援助を頼むのか?」と聞くと再びまくし立てる。
現地から提供される通訳はこういう時に正確に話の内容を伝えてくれない。この時は、私はきれいな京都弁を話す現地の言葉が分かる方に同行してもらい「あなたは現地の人と通訳の人との会話や通訳の内容を黙って聞いていて」とだけ言った。
この時のやり取りでは、「アメリカが援助をするのは自分たちが悪いことをしたと思うからだ。こういう連中からはもっとお金を出せてやればいい。文句をいうならこの人も誘拐されればいいのに。」という内容のやり取りだった。
国際援助といってもこちらは人道的な援助のつもりでも、相手にはその意図が通じない場合があることを知っておいた方がいい。

50才から30年間これらの国とつきあってきた。
日本は貧富の差がひどくなったと最近言われるが、他国の現状をもっと知って欲しい。
現地でレンガを購入するときに現地の価格よりも我々は1個につき2円高く購入する。このことで、日本人は良い顧客として現地の人に認識され、何かことが起きた時に現地に入っている日本人シスターは殺されない。つまり高く購入することは安全保障に繋がるのだ。アフリカは私達日本にとって偉大な教師といえる。

国には、経済国家、技術国家、政治国家がある。
日本はドイツのように技術国家を目指すべきだ。これに徹することがこれからの日本の生きて行く道と思う。

b0036638_11214374.jpg近藤誠先生との対談を、最近本にまとめた(書名:野垂れ死の覚悟)。
私は20年間健康診断を受けたことがないといったら癌の権威の近藤先生は「無駄なレントゲンで照射されなくて良かったですね。あなたは長生きをしますよ。」と言われた。
私は83歳がもうすぐ。死んだと思えば何でもできる。
老人になってもできることがある。老人パトロール隊を作って畑をまわり不審な車があれば番号を控えるだけで「どろうぼう対策」ができる。
“人を殺すな自分が死ぬな”ということを考えて、最後の時まで働きつくしてお亡くなりになってください-これが講演の締めくくりの言葉だ。
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by okadatoshi | 2014-06-21 11:24 | 講演会記録 | Trackback | Comments(2)
2014年の中国経済の行方
b0036638_2134070.jpg3月に引続いて久々の懇談会参加です。

講師は、柯 隆((か りゅう、英語: Ke Long、1963年10月 - 。富士通総研経済研究所 主席研究員)で日本のエコノミスト。学位は修士(経済学)。株式会社富士通総研経済研究所主席研究員、広島経済大学経済学部特別客員教授、静岡県立大学グローバル地域センター特任教授。
株式会社長銀総合研究所国際調査部研究員、株式会社富士通総研経済研究所上席主任研究員などを歴任した。

★略歴
1963年 中国南京市生まれ、1986年南京金陵科技大学日本語学科卒業、1988年来日。
1992年 愛知大学法経学部卒業
1994年 名古屋大学大学院経済学修士
1994年 長銀総合研究所国際調査部研究員
1998年 富士通総研経済研究所主任研究員
2005年 同上席主任研究員
2007年 同主席研究員
2000-2009年 財務省外国為替審議会委員、財務政策総合研究所中国研究会委員
2001-2002年 JETROアジア経済研究所業績評価委員

両国を行き来しながら最新の中国事情を日本側から見た話をされました。
エコノミストとしてわかりやすい解説で、私のメモを元に当日の話の印象をまとめたものです。

●最近の仲間内の話題

中国人で日本在住の研究者の話題は、朱建栄さん(東洋学園大教授)の逮捕拘束だ。
彼は出張の途中に上海に立ち寄りそこで半年間拘束されこの3月に日本に戻ってきた。
理由は不明。日本での彼の発言は、どちらかというと中国政府を擁護していて、私の方が批判的な発言をしていると思う。われわれ中国人が公の場で話すのには危険が伴う。私もいつ逮捕されかわからない。(笑)

●中国を囲む国際関係

最近ではベトナムでの紛争があるが、これからも中国の東アジアでの周辺国との摩擦は起きるだろう。
中国の発展が予想よりも早すぎて、周辺のガバナンスが追い付かない状態になっている。
話し合いができる枠組みが用意されていないのが現状だ。アメリカも弱くなり誰が中国をガバナンスするのか。
日中関係も40年前の良好な蜜月時代には戻ることはないだろう。
当時の日本は経済力もあり交流を盛んにおこなった。現在の経済7団体は高齢化し若者も中国には行かない。
発展している中国のことを知らないのだ。

●中国の若者の変化

救いは中国に日本のことを知りたがる若者が増えていることだ。
私が育った1970年代は愛国教育と反日教育がメインだった。
当時は外国からの情報は入らずラジオは朝から晩まで洗脳放送を流していた。
私は中学になってからジャンク品を購入して短波放送を組み立ててアメリカのVoice of America を聞いてアメリカに“洗脳”されていた。
当時の法律ではこのような外国の放送を聞くことがバレれば無期懲役だろう。今から考えると危険なことをしたと思う。
当時の若者は入試に「日本の軍国主義」が出るので丸暗記をした。
今も同じように教育をしているが、当時にはないWebサイトから情報が入る。
中国政府はファイヤーウォールを作ってネット情報を遮断しようと試みるが若者はそれを乗り越えるソフトを作っている。
今の若者は日本のアニメに親しみ、進学を果たせば詰め込みの暗記は忘れるので洗脳をされていない。

●案件事項には蓋をする

歴史認識が両国間での解決は難しい。歴史学者同士の話し合いでもコンセンサスができない。
互いの妥協点を探りそこから先は蓋をして二度と開けない。
尖閣諸島以外にも中国はベトナム、韓国とも領土領海問題を抱えている。国際法上領土問題をどこまで遡ることができるのか500年前か1000年までいくのか規定はない。
領土・領海問題の決着は国力によって決まる。イギリスとアルゼンチンがフォークランド諸島の領有権を争った。イギリス固有の占有領土とはいえない。紛争時にアルゼンチンに国力があれば取り戻せた。
幸いというか今の尖閣には石油もガス田もなく特に領土問題で白黒をつける必要はない。
二つの案件には蓋をする道しかない。
10日ほど前に北京で非公開のセミナーがありそこで、中国政府は日本が普通の国になることを自覚し対応を考えなければいけないと話した。
集団的自衛権の論議が出て日本も(防衛問題で)普通の国に向かっている。どう平常心で立ち向かうか、日本も周辺国への影響を配慮する。ここではこれから先には触れない。

●中国国内で何が起きているのか

中国は改革開放政策が35年経った。この間中国は社会主義国家とは言えない矛盾を抱えながら経済的な成長を遂げた。今のような共産党政権体制は難しく歴史の曲がり角に来ている。
このような状態に対して考えられるオプションは
1)毛沢東の時代への回帰。これは、まず今さらあり得ない。
2)次に西欧のような国内の民主化への移行がある。
しかし今の習 近平は共産党一党独裁の否定に繋がり、この路線を選べない。
1)と2)ダメとなると3つめのオプションは革命になる。
現在8600万人の共産党員がいるが、このほとんどは共産党のイデオロギーを信じてはいない。自分の利益を求めて党員になっている。ある程度の経済成長が続けば党員全体に利益をもたらすが、経済が減速すればこれら党員に利益が行かなくなる。
これは地元の新聞に掲載されていた記事だが、広東省で小学生が“私の夢”という作文で「将来、腐敗幹部になって賄賂を得たい」と書き、さすがに問題として報じられていた。
共産党はイデオロギー上の結束はなく利益追求の集団。利益が行き渡る間は党は維持される。
そうならなくなったときは求心力が低下する。
現在は特定の幹部に富が集中し一般党員に不満が出ている。

以前日本の霞が関の官僚の腐敗として「深夜に帰るときのタクシー券で帰る」という指摘のワイドショウがあった。あれは、タクシー会社の努力であって中国の腐敗とは大きく違う。
内モンゴル自治区で鉄道局の副局長(日本でいえば課長補佐)が就任以来22か月の間に20億人民元の賄賂をもらった。逮捕されてかれが何が大変だったか訊かれて「毎日運び込まれる賄賂の隠し場所を見つけるのが大変」と言ったと報じられていた。この5~10年の間に中国幹部の腐敗はその限度を超えてしまっている。
山東省の副知事は金以外にも146人の愛人を囲っていいたという。
この話を他の場所で話したら、“146”という数字だけ覚えた方がいた。
レジュームチェンジ(政権交代)は大きなリスクを伴う。13億6千万人の人口を持つ中国で革命が起きればグローバル社会にとっては悲劇になる。
天安門事件から25周年を迎える6月5日まで中国では知識人の拘束が相次いでいる。

政府が恐れているのが少数民族によるテロだ。
日本は大きくいえば単一民族国家だが、中国は55族。そのほとんどは同化しているが、ウイグル、チベット、モンゴル、朝鮮族は別。この中で朝鮮族は漢字文化で言葉も同じ。モンゴル族は騎馬民族で強硬な考えは持っていない。チベットは仏教徒で人を傷つけるような行動までやらない。
ウイグル族はイスラム教徒。中国政府は力で抑えつけようとしているが間違っていると思う。ウイグルの勝ち組の親中国層以外には富が行かず国境に近く守りにくく外からアルカイダなどの影響も受けやすい。
ウイグル問題は中国社会のリスクになっている。平和的な手段で向き合うしかない。力を力で制するにはさらなる暴力を生む。

ジニ係数(0は平等1は一人だけ王)の値が大きいほど不安で0.3までが安定、0.4以上は不安定な社会とされているが、政府は0.47と発表し不安定化している。
私が小学校の頃は大半が貧しかった。工場長と工員も同じ官舎に住み工場長の家が少しだけ立派で差は大きくなかった。
今の中国社会では、国営企業の工場長は別荘に住みベンツに乗っている。労働者はなお自転車だ。
労働分配率で見ると、アメリカ 70%、日本 62%、中国 39%だ。低所得者ほどボトムアップが遅い。
JAや労働組合もない。税の徴収も不公平だ。所得税はサラリーマンからは取っているが金持ちなどその他の取得は一律20%しか課さない。日本では3億円に遺産があれば、50%は相続税で持ったいかれるが中国には相続税というものがない。
また中国では有力者の所得調査ができない。習 近平の親族の税務調査などあり得ない。
一党独裁なので日本のような野党がなく与党を追及する仕組みがない。

●シャドウバンキング

言葉から来る定義と離れて中国の社会では高利だが短期のつなぎ資金として経済には貢献をしている。
中国では設備投資には友人同士融通を聞かせて資金を集め、つなぎ資金の時だけ地下銀行を使っている。
今問題になっているのは正規の金融機関の運用だ。普通金利は1年物で2.75%。4~5%の商品までは大丈夫だが7%以上は危ない。地方政府が預金を信託で集め不動産に投資をしている。これを地方政府が応援して財テクに走っている。今後波状的に問題が生じるだろう。

●この20年間で日本が失ったもの

日本企業は中国に2万5千社が直接投資をしている。協力会社は1万5千社。一部上場の65%が中国に行っておりグローバル市場との付き合いがある。
この20年間で日本は1988年のバブル崩壊後、国力を失った。
これをどう立て直し強化をするか考えたい。
先ず人材育成。教育改革が必要だ。単に進学率の上昇ではない。
日本の大学問題は一目瞭然。日本の大学の図書館には人が少ない。試験の前にはコピー機に前に行列ができる。中国や英国の大学に私はよく行く機会があるが、図書館は勉強する学生で盛況だ。
学は受験料で稼いでいる。入学金でぼったくり、英文科を出ても英語が話せない。

日本の企業が失ったものはブランド力。
世界に企業トップ20社で日本企業はトヨタだけだ。その前はソニーもあった。
私が若いころにの中国で結婚するとき女性が希望した洗濯機、冷蔵庫、テレビの三種の神器はすべて日本製品だった。それとなぜかCASIOの時計。

この20年間コストカットの経営を追求した。決算のバランスシートを考え最適化ではなくリストラに走った。
これでは社員のモチベーションは下がる。コストカットは元気をなくしブランド力の低下につながった。
家庭の奥さんが収入が減れば同じ率で亭主の小遣いを減らすのではなく他で切り詰めて小遣いを増やす。その方が亭主はさらに人と付きあい浮気もしないでより新しい情報を得るだろう。

商品を売るセールスポイントとして「性能を売る」時代は終わった。SEIKOが1年で誤差10秒の時計を作ってもせいぜい一個3万円。ロレックスは時刻が正確ではなくても最低で一つ60万円はする。人々はとレックスを持つことがカッコいいと思っている。
日本企業はブランドバリューをどう知らせるのかという観点が抜けている。
日本の物づくりの現場にはデザイナーがいない。
アップルは今回バーバリーCEOを副社長に向かいいれた。今後斬新なものが出てくるだろう。
最近の日本の工場では挨拶をしない会社が増えた。また経営者が現場に顔を出さなくなり現場力が落ちている。経営者と従業員をの距離を短くすることが大切だ。
アップルの創始者のスチーブの凄いことは自分の言葉でプレゼンテーションをしたことだ。このことが聴き手に感動を伝えた。
日本に企業のCEOは直接消費者にプレゼンテーションをしない。
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by okadatoshi | 2014-05-21 21:05 | 講演会記録 | Trackback | Comments(4)
戦国武将の脳
b0036638_2032178.jpg先月に引続いて3/24に懇談会へ参加。
講師は、板倉 徹(和歌山県立医科大学理事長・学長)で自著“戦国武将の脳”の内容を脳神経医学の面からわかりやすく解説し、健康な生き方へのアドバイスをされた。スライドをたくさん駆使し興味深い歴史を動かした武将の生きざまを解説された。
いつものように私のメモと会場で使われたスライドで講演の雰囲気をまとめたものです。

★プロフィール

1946年生まれ。1970年和歌山県立医科大学卒業。
同附属病院診療医、米国カリフォルニア工科大学生物学部門留学などを経て、1994年より和歌山県立医科大学脳神経外科教授。2006年より公立大学法人和歌山県立医科大学理事、同附属病院院長。2008年から和歌山県立医科大学理事、同医学部長。 この間、国際脳血管シンポジウム会長、世界神経科学会サテライトシンポジウム・オーガナイザーなども務める。日本脳神経外科学会専門医、日本リハビリテーション学会認定臨床医、日本脳卒中学会専門医。このほか神経成長再生移植研究会会長など多くの学会で要職を務める。
著書に『ラジオは脳にきく』(東洋経済新報社)などがある。

●戦国武将のカルテ

この題名で講演をするとよく「お前は昔の武将の脳を開いて見たのか?」と聞かれる。行動に見られる特徴をもとに推測している。
戦国時代の武将は結構健康管理に気を使っている。
人の脳が形成されていく中で三つの要素がある。
①先天性 信長の武力 ②幼少時の教育 家康の忍耐 ③成人の体験 謙信の信仰心 があげられる。
武将の享年・死因・持病なあどを一覧表にすると次のようになる。当時はサナダムシは珍しくなかった。またタバコは健康維持の薬と考えられていた。上杉謙信の食生活は最悪といえる。▼
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●脳の健康診断

人間年をとってから怒りっぽうくなると気を付けた方がいい。
脳の健康診断で次の12項目の中で自分にあっていると思うものを数えて下さい。

01 久しぶりに出会った人の名前が思い出せない
02 いつもと通っている道で迷う
03 料理や仕事の手順がわからなくなる
04 最近、家に閉じこもりがちである
05 極端な偏食
06 最近、おこりっぽくなった
07 言いたい言葉が出ない
08 大量の飲酒習慣(ビール3本、日本酒3合以上)
09 最近、テレビの前で居眠りをする
10 どうでもいいやと投げやりになる
11 悲しくもないのに涙が出る
12 最近、忘れ物が多くなった

該当する数でつぎのような診断が可能。
0~3 きわめて健康
4~6 問題なし 生活を見直しましょう
7~10 少し問題あり 専門医に相談
11~  認知症の可能性(医者に相談)

●脳の働き

大脳、小脳、脳幹がある。必殺シリーズの三田村邦彦が首の後ろに針を刺すシーンはこの脳幹部分で、ここをやられると即死状態になる。▼
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次の図は“前頭前野”の発達をグラフ化したもの。70歳を超す頃にピークが落ちてくる。子どもの発育には5歳ごろまでは我慢をさせ高いピークを維持して“前頭前野”を活性化させることが大切だ。▼
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子供がゲームとお手玉をやっているときの脳の動きを色で示したものでお手玉は赤く反応して脳をよく使っている。コンピュータゲームに没頭しない方がいい。▼
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前頭前野ロボトミーの手術例では、ローズマリー・ケネディの例がある。当時は暴力性を抑える手術とされていたが、その結果は無気力人間になることから今ではこのような施術はされていない。
右脳は、絵画・音楽(クラシック)・囲碁将棋・認識・直観力の役割を果たし、左脳は、計算(金)・言語(日本語)・論理・音楽(演歌)・読書・行動を役割分担する。
次の図ですぐ計算を始めた人は左脳、人間の顔と思った人は右脳が優っている。▼
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信長の脳は、残虐性・独創性・世界観・大局観に秀でていた。
前頭前野が、大脳辺緑系を包み込むようにして制御をしているが、信長の脳は大脳辺緑系の方が活発であったと言える。▼
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●独創性のある脳

脳の働きは次の図のように、持続活動の後に広範囲の抑制期間を置くとその後にピンポイントの強い活動が現れる。徹底的な情報収集はむしろ独創性の敵。自分の脳で考える。東大出身者にノーベル賞受賞者が少ないのは勉強をし続けて抑制をしていないからかもしれない。▼
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ルイス・フロイスは信長について、
中くらいの背丈、華奢な体格、声は快調、戦を好み軍事教練に励む、名誉心に富み正義に厳格、自らに加えられた侮辱には厳しい懲罰、人間味と慈愛があると記している。
信長の日常生活は、睡眠時間短く早朝に起床、酒を飲まず食を節し、自邸においてきわめて清潔、宗教・迷信を信じず、偶像を見下し、茶器・良馬・刀剣・鷹狩を愛したとされる。
大局観を養うには毎日仕事始めに朝30分外、界からの連絡を絶ち組織を俯瞰する時間を持つと良い。日曜日に仕事を持ち込まない。
リーダーは楽観的である。楽観的な回路を回す事。
しあわせな時間を自分の中に見つける。これは鬱病の予防にもつながる。
「笑う」ことでNK(ナチュラルキラー)細胞が増えるという研究がある。このNK細胞は癌細胞をやっつける働きがある。
秀吉の脳の特徴は、
楽観的(帯状回、前頭前野)、共鳴脳(ミラーニューロン、瞳)、決断脳(備中高松城、200キロを1日半で移動する大返し。前頭葉、決断の速さ)があげられる。晩年は、朝鮮出兵、秀次の切腹、もの忘れ、失禁などがありアルツハイマー病と思われる。
秀吉は部下の瞳を覗き込むことで部下と共鳴し同じ脳をつくる。“人たらし”といわれる才能があった。

●認知症の予防

旅館の女将、音楽家、政治家は認知症になりにくい。次の病気を予防することで認知症になりにくくすることができる。
糖尿病・・・1週間に2時間程度はウォーキングをする。
高脂血症・・・運動、食事改善。
高血圧・・・運動と減塩。

軽度の認知症では日時を忘れ、中度では場所がわからなくなり、重度になると相手が分からなくなる。
元総理の竹下さんが認知症についてつぎのようなジョークを言った。
第一段階は人の名前がわからない。第二段階では顔を忘れる。第三段階ではズボンのジッパーを上げるのを忘れ第四段階ではジッパーを下げなくなる。
“ためしてガッテン”という番組があるが、取り上げられていることには根拠のないものが多い。我々の仲間では“ためして早合点”と言っている。
タバコは1本でも吸わないこと。癌の3分の1はタバコが原因。食道癌はタバコと酒。脳梗塞はビール1本程度なら逆になりにくい。

記憶力を鍛える訓練に次のような方法がある。
①入浴前に5つの単語を紙に書き風呂からあがって思い出す。
②TVやラジオのニュースを聴き1時間後に内容を思い出す。
③まとめて1週間分の日記を書く。
④乗り物の座席指定席番号(6号車前から〇番のA)を1度見て記憶。
⑤1週間の自分のスケジュールをいう。
これらを日常生活で意図的に覚えるようにするといい。
サンデー毎日2/9号で“認知症800万人の時代 新予防法「デュアルタスク」って何だ”で取り上げて頂いている。MCI(軽度認知障害)の段階で有酸素運動と計算クイズが予防に効果を上げている例が報告されている。(例:ウォーキングをしながら100から7を引き続けていく) ラジオ等を聴きながら何か別の作業をする。 

●武将達の脳

今NHKで話題の官兵衛は、策略知略(鳥取城・備中高城の兵糧攻め、中国大返し)、先見性・大局観(毛利か織田方のいずれにつくか)、宗教心(キリシタン大名)に優れていた。
毛利元就の「天下を望むな」という遺言の中身を官兵衛は事前に知り、信長が天下人になる勢いを知って織田方に着いたのではないか。
家康は幼少時代(6~18歳)の人質生活の中で前頭前野が異常に発達した。2番手に甘んじトップになる素振を示さない“忍耐脳”だ。
三方ヶ原の戦いで敗れたことで自ら 顰像(しか像)を残し、関ケ原の戦いに生かす教訓とした。

武将に学ぶ健康法としては、
運動・・・騎馬、鷹狩、相撲
食生活・・・粗食(信長、家康、吉宗)、美食(秀吉)、飲酒(謙信、毛利元就)
薬…家康、吉宗
温泉・・・信玄、謙信 がある。

リーダーに求められるものとしてJRの葛西会長は、次のように企画・立案、無私のの志、着眼・着想を上げた。▼
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戦国武将達のリーダーとしての一日は、
朝・・・大局観(組織の10年先を見つめる)
日中・・・部下の訴え(共鳴脳)、ここ一番(瞑想)、辛いとき(忍耐)、攻めに転じる
夜…すべて忘却(独創性)

皆さんには朝30分だけ電話もなにもない自分だけの瞑想の時間をぜひとって大局観を持ってください。
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by okadatoshi | 2014-03-26 16:30 | 講演会記録 | Trackback | Comments(6)
カテゴリー“講演会記録”を設置
講演会の内容を加齢防止も兼ねてまとめるようになりました。
リレー式に前の講演会へリンクを付けていましたが、大量になったので、新たにカテゴリー“講演会記録”を作りその中にまとめました。▼
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以下は、タイトルとリンク先一覧です。

日本人が世界に誇れる33のこと
ルース・ジャーマン・白石(ジャーマン・インターナショナルCEO)

今後の日米関係とアジア情勢
宮家 邦彦氏(キヤノングローバル戦略研究所研究主幹)

変動する国際情勢と日本の課題
村田晃嗣氏(同志社大学学長)

激動する政局の行方
長谷川幸洋氏(ジャーナリスト)

「楽に生きる」ことを人々はどう考えてきたか
ロバートキャンベル氏(東京大学大学院教授)

朝鮮半島情勢を読む
武貞 秀士(東北アジア国際戦略研究所(ソウル)客員研究員)

激動の政治・経済展望~これからの日本を考える~
杉尾 秀哉氏(TBSテレビ報道局・専門記者室長)

日米新政権で迎える経済新時代の展望
岩本 沙弓氏(国際金融評論家)

脳の謎を科学で解明-男女や年齢でこんなに違う感性
黒川 伊保子

日本の安全保障と減災・再生
五百籏頭 真(政治学者・歴史学者)

チベットと日本、異文化を超えて
バイマーヤンジン(チベット人声楽家)

中国の最新事情
阿南惟茂氏(元中国大使、新日鐡住金顧問)

生き残る中小企業の条件
中村智彦氏(神戸国際大学経済学部教授)

デフレと超円高をカンタンに終わらせる方法
上念司(著述・経済評論家)

逆境を吹き飛ばす江上"剛術"
江上 剛氏(作家)

諦めない心
工藤公康氏(元プロ野球選手解説者)

日本から文化力~遠くから見たNIPPON、日本から見た世界
ジェフ・バーグランド氏(京都外国語大学・大学院教授)

朝鮮半島情勢の行方と日本
伊豆見 元氏(静岡県立大学国際関係学部国際言語文化学科教授)

未来のための江戸学 -エドロジーの構築へ-
田中優子氏(日本の江戸文化研究者、エッセイスト)

こころを耕す
山田法胤氏(薬師寺管主)

日本の成長と社会保障
前原誠司氏(民主党政策調査会長)

変動する国際情勢と日本の課題
村田晃嗣氏(同志社大学法学部長・2013年4月 同志社大学学長に就任)

2012年大動乱、野田政権の明日を読む
倉重篤郎氏(毎日新聞社論説委員長)

世界の中の日本経済-その来し方、行く末を考える
猪木武徳氏(国際日本文化研究センター所長)

自然、生命そして人間-これからの日本について考える
中村桂子氏(JT生命誌研究館館長)

第三の敗戦-そして第三の復興
堺屋太一(作家)

震災後の新たな日米同盟の行方を問う
手嶋龍一(ジャーナリスト)

大震災と政治とこれからの日本
高野孟(インサイダー編集長)

どうなる今後の日本
橋本五郎(読売新聞特別編集委員)

緊迫する国際情勢と日本外交
薮中三十二氏(外務省前事務次官・野村総合研究所顧問)

超高齢社会への対応~これから社会保障の在り方
堀田力(さわやか財団)

しがみつかない生き方
香山リカ(精神科医)

日本の政治に展望はあるか
御厨 貴(東大先端科学技術研究センター教授)

日本の政治を憂う
渡辺喜美(みんなの党代表)

現下の中国情勢と日中関係
宮本雄二(前中国日本国大使館特命全権大使)

どうなる日本の政治
石見 隆夫(ジャーナリスト)

近代中国と日本
浅田次郎(作家)

中国の政治経済情勢と今後の行方
石 平(評論家)

日本社会が生き残る術
佐藤 優(作家)
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by okadatoshi | 2014-03-19 16:07 | 講演会記録 | Trackback | Comments(2)
日本人が世界に誇れる33のこと
b0036638_17261757.jpg
先月に引き続き昨日は、表題の懇談会へ参加。
今回は、どちらかというと一連の政治・経済を中心とした硬派の講演ではなく、外国の方からの好意的な日本の感想と提言という癒し系の話でした。
いつものように話された内容のメモを元にまとめてみます。
講師は、 ルース・ジャーマン・白石(ジャーマン・インターナショナルCEO)です。

★プロフィール

米国のノースカロライナ州生まれ、ハワイ育ち。オアフ島のミリラニ高校、ボストンのタフツ大学、株式会社リクルートのリクルートシーガルズにてアメフトのチアリーダー経験10年。日本語能力検定1級をもち欧米系女性では初の宅地建物取引主任者である。日本人にとっての「あたりまえ」が海外では大きな関心ごととなる。2012年4月26日に株式会社ジャーマン・インターナショナルを設立し、7社とパートナーを組み日本のグローバル化をサポート。
著作:『日本人が世界に誇れる33のこと

●皆さんへのラブレター

今日はバレンタインデー。アメリカのバレンタインは男性が女性へ告白する。
私が小学校5年生の時にクラスで素敵な男の子がいてこの日にラブレターを渡した。
直接渡す勇気がなくて、手紙を彼の教室の机の中に入れた。
授業中に彼が気づき友達をその手紙についてコソコソ話しているのを先生に見つかり授業の中で皆に読まれた。後で二人が先生に呼ばれた叱られたけどとても複雑な気持ちだった。
今日お話しする内容は大好きな日本のみなさんへのラブレターだ。

●2020年へ向けてさらに国際化が進む

この前、有村裕子さんと一緒のときに「次のオリンピックには日本はどうなっていると思うか」という質問があった。それに対して彼女は「日本社会ではバリアフリー化が進んでいる。これからはさらにメンタルな面でもそれは進むだろう」と答えていたが、私も同感。
今まで日本人は外国人に対して“違う”という態度だったが、相手の立場を認めた“異なっている”というとらえ方をしていくだろう。
ハワイで小学校の遠足では、ホノルル動物園によくいく。日本のようなかわいい弁当ではなく茶色の紙袋に入ったサンドイッチを芝生で食べる。1970年ごろ、日本から観光客が旗を持った添乗員についてやってきた。
それを見て先生はハワイに観光に来る日本人は我々を救ってくれていると言った。
当時パイナップル産業は安い労働力のあるフィリピンに移り政府は新産業として、アメリカ本土、カナダ、日本からの観光の誘致に賭けた。
当時街の変化に気づいた。トイレには「女」という漢字が表示され、ホテルマンもプレートに「日本語が話せる」というプレートを付け始めた。
そして、日本語を覚えると就職にも役立つとハワイ自体が自ら変わろうとしてきた。
当時テレビで“人造人間キカイダー”があり楽しみだった。
これらのことは、これからの日本が学んでいく道が見えてくるように思う。

●リクルートへ入社

1986年に1年間南山大学に留学し帰国して日本はあこがれの地になった。
卒業を控え就職を考えていたころ大学で読んだ朝の新聞の左下紙面に「これを読むことができた人は説明会に来て下さい」というというリクルートの広告があった。
そこで訪ねていくと入社して2年目24歳の英語ができない日本女性がいた。こんな若い女性でも社員募集のために海外出張をさせる会社に魅力を感じた。
ボストンでの二次面接では日本語は20%ほどしか理解できなかった。
他の面接者はきちんとした服装だったが、私は動物の絵柄ついた服装で、名前のルーシージャーマンではなく「こんにちは、ルーシーです」と言ったらそれが受けて第一印象で採用が決まったようだ。アメフトのチアリーダーを欲しがったようだった。
他の人は1988年4月1日入社だったが、当時はビザの申請許可がすぐに出る時代ではなく私は12月1日入社だった。
当時本社総務課に配属をされたが、報道陣が50人ほど詰めかけ会社の外には黒い街宣車が来てリクルート事件の直後で「ルーシー、先月社長が逮捕された」と聞いた。
当時は外国人を10人採用していたがそれぞれに別のところに配属され女性の外国人は私一人だった。まだカタカナで自分の名前も書けれなかった。
アメリカ人はディベートが好きだ。ディベートができないとアメリカでは評価されない。
日本語で自分の気持ちを相手に伝えられなくて苦労をした。なんでも辞書を引いたが、“斉藤”が名前だということも分からなかった。ここでの4年間は本当に勉強になった。
外国人で日本語ができる人は少なく“徹子の部屋”にも出演をした。そこで通訳と翻訳の仕事を7年間やった。

●江副さんの仕事の関わり

リクルート時代は“自分のことを相手に伝える”ことを考えたが、今度は“この人とこの人とを通じあえる”努力をする必要があった。
通訳の仕事で辛辣な質問への担当したスポーツ選手の怒りの回答を同情を交えて説明し後で叱られたこともある。両者の間に自分の感情を入れてはいけないということも学んだ。江副さんとはその後も連絡を取り合い江副さんの還暦イベントの司会もやった。
江副さんは非常に着眼点の鋭い方で、リクルートコスモス、ファーストファイナンスなどを手掛けていた。
江副さんは、まだ誰もやらないことをしたいという思いがあり、“マンスリーマンション”を手掛けた。
37部屋でスタートしたがオープンと同時に満室になった。
入居者は、70%以上が日本語が通じない外国人。それまで彼らは商談で日本にきても賃貸契約で長期契約するわけにもいかずホテル滞在で商ビジネスをやっていた人たちだった。そこで江副さんは外国人対象のマンスリーマンション建設をする“スペースデザイン”を設立。私に手伝ってくれないかという電話があった。
この不動産業に関わる方々を引率しニューヨーク研修に行ったがことごとく“ノー”だった。
とてもうまくいかないと江副さんにそのことを言ったら、「日本に15年間もいてまだわからないのか。ノーをスタートにしてそれを変えていくのが日本なのだ」と言われた。
ここでは12年間働いた。マンスリーマンションを1200個、18棟まで増やした。
この間、江副さんが旗を振り皆が知恵を出し合った。
この間、間接・直接的に4万人のビジネスマンと出会い、“日本”をかれら外国人に説明をするという仕事に関わることになる。
たとえば次のような相談があった。
「着任した会社から作業服が送られてきた。背広でいくべきか作業服を着て行くべきか」
それに対して現場主義で行くべきで作業服を着用して行きなさいとアドバイスをする。
リーマンショックになり施設の稼働率が60%に落ちた。
何とかしなければということで、リクルートのAさんから「美楽(びがく)」に「日本人のいいところを書いて下さい。」と頼まれ2年半コラムを書き続けた。
それらをまとめたものが、『日本人が世界に誇れる33のこと』だ。

●大きくかわった日本

このコラムを書くうちに日本に長く住んでいて大きく変わったところに自分でも気づいた。
1988年には街を歩いていても外国語が聞えなかった。
アメリカ人は故郷が恋しくなるとハンバーガーが食べたくなる。
当時、新橋のマックのハンバーガーに行くと私が入っておくとそれを見た店員はあわてて奥に「外国人がきた、どうしよう」と呼びにいった。
今マックに入るとカウンターの向こうに外国人がいる。新橋の店長は日本生まれのインド人だ。
88年当時タクシーに乗って行き先を告げると「日本語お上手ですね」と言われたが、今は「この前乗せたロシア人の方が日本語が流暢だった」と比較をされる。現場ではどんどん国際化が進んでいるということだ。
まだ私が23歳の時に地下鉄の行く先の日本語の表示を見て困っていたら日本人が近づいてきた。助けてくれるのかと思ったら、私に向かい「This is a pen」といって笑いながら去っていった。
今ではおなじような場面で「May I help you?」と必ず声掛けをしてくれる状況になっている。人と関わるというこの流れはもう止まらない。
私がハワイにいた頃の日本人の観光先はワイキキだった。今では、現地のひとに人気な場所や別荘を持っているという人もいてリピーターが増えている。

●日本のよいところ

成田の出国カウンターに外国で注意することを知らせるビデオがある。
その中に鞄を床に下すとき脚の間に挟むというのがある。残念ながら外国では常識。
治安が悪く夜は女性一人では行ってはいけない地域がある。外国人はそれを知っているが日本人は日本と同じと思い危険な目にあう。
・人の正義に頼れる日本
日本にきた外国人の通訳をしていて新宿を通った時に、酒屋の店員が道に商品を置いて中に入っていくのを見てびっくりしていた。カルフォルニアだったらすぐに無くなる。
エレベータに現金の入った財布の落し物を見つけた人が別の管理人室に届けその事実をノートにそのなな記載し落し物を知らせる貼り紙をした。翌日、落とし主は申し出本人に現金がそのままの状態で戻ってくる。
・人の継続力に頼れる日本
私は保土ヶ谷駅を18年間利用しているが毎週木曜日に駅の花が変わる。
去年は私にもいろいろ辛いことがあったがこの花を見ると気持ちが和んだ。
ある日、保土ヶ谷コミュニティセンターで“保土ヶ谷花の会”の展示があり見に行ったら、この花を飾る責任者の方は80歳を過ぎた女性だった。感謝の気落ちを伝えたら向こうはびっくりされていた。やりだしたら継続する力に頼れる日本がある。
・人の慎重さに頼れる日本
日本は即答しないディープシンキング。インドに何度かいくが、インドは早い者勝ちでyesが返ってくる。しかし、翌日会うとそれは実現しない。日本は時間がかかるが、yesが出れば確実に安心できる。そういう国は他に無い。
・人の親切に頼れる日本
日本のおもてなしはさりげない。 温泉旅館に行けば上がると靴は片づけられる。座ると暖かなお茶がすっと出てくる。
・人の思いやりに頼れる日本人
外国に行くとクラクションの音がうるさい。日本は鳴らさない。
信号が青になって前の車が動かなくてもしばらく待つ。運転手は次のようなことを考えている。
前の方が高齢の方だとびっくりして事故が心配。気づくのを待っておればいい。
自分の行動が他の人への迷惑になるいのかどうかをいつも考えている。
・人の礼儀に頼れる日本人
アメリカのスターバックスにはびっくりする。パンくずだらけで床にも落ちている。店員さんの服装もだらしない。
私がハワイに行き日本の習慣で机の掃除をしたらそれを見ていた店員が目を見張って驚きに表情をしていた。
アメリカでも個人の家は清潔だ。公共の設備では、give up をしている。
ただ最近は危険信号も感じられる。
ある場所でコーヒーのこぼした汚れがありその旨を言った。店員のプレートの名前を見ると外国人だったがそれなら、上のマネージャが指導する仕組みが守られないといけない。

●ほんとうのグローバル化へ

今日本文化を外国人に伝えることをしている。
寿司屋でお茶の粉をわさびと間違えて醤油に入れたり、ネギを傍の出汁に入れないでそのまま口に入れる外国人がいる。日本の習慣を外国人は教えられる機会がない。
DVDでは翻訳の字幕が出るが英語の字幕があればいい。見ながらヒアリングを英語を学ぶことができる。和製英語でない言語の獲得をし、外国人に説明をする。
また誇れることは守りたいと自覚し、それを注意し、実行すること。

周りを見る目も多角的になってきた。
オバマ大統領の日本訪問の狙いをワシントンの見方と日本側の見方の違いを比較しながら報道をしていた。こういう報道は今までにない視点と感じた。
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by okadatoshi | 2014-02-15 17:29 | 講演会記録 | Trackback | Comments(2)