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携帯は今やあることが前提
「携帯を持たない」ということは、「我が家では電話をつけない・TVを見ない」という強いポリシーがあるケースとおなじくらいに、稀有なことと考えた方がいいですね。

与えるか与えないか、購入するのかどうかということを考えるよりも、現実の方が「すでにその存在そのものがある」という社会に入り込んでしまっています。
大げさにいえば、「ケータイ」というパンドラの箱が開けられてしまった社会で我々は生きていかなくてはならないというところでしょうか。

某所で情報系の講座を担当していますが、毎年講義の最初にとるアンケートの中に、イメージチェックも入れています。
「パソコンについて」という項目とは別に今年は、「携帯について」という項目を増やしました。
まだすべてを集計していませんが、以前は「パソコンは便利などこでもドア」という親しみのあるイメージが強いものが、今では「携帯」にとって変わられ、「パソコンは面倒」というマイナスイメージも見られます。わざわざ、端末の前に座って、パスワードを入れてloginするなんてことは、かったるいのでしょう。
その結果、彼らにとって「情報」とは自ら得るものではなく、向こうから与えられるものになってしまっています。
つまり、選択するだけということです。これを「回転寿司文化」とも言い換えられます。自らほしいものをネタを選び魚河岸に行って、料理をするなんてことは、考える枠以外のことになります。与えられる受身の情報の中で、本当に必要な自分にあった情報があるのかどうかこころもとない限りです。

当然、「ケータイ文化」に巻き込まれる前に、親も、学校もその「光と影」を知り教えることが大切でしょう。ただ、このようなヒカリモノには、親や教師の世代自体も遅れをとっているのが現実です。これは、マスコミの先読みしすぎニュース性のあるものを「おそろしそうに」(結果的には煽る姿勢)報道する姿勢も気になるところです。
by okadatoshi | 2004-10-06 10:10 | デジの目 | Comments(0)
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