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映像や音の氾濫
情報を得たくない権利について触れましたが、同じく静かな環境で過ごしたい権利もあります。新聞のチラシも、街の中も、電車の案内も、注意を引くためにそれらは徐々に大きくなり際限なく拡大され個々の音のわがままが対立しあっています。決してそれらは調和音ではなく、わがままな自分勝手の喧嘩をする音です。
静寂や漆黒の闇という体感を今の子供たちは知らないでしょう。私たちの子供の時代には夜になると出てきたお化けも、これだけ明るくコンビニで賑わう都会の夜から逃げ出してしまっています。
この前、スーパーで「TVがこんな陳列台の上に」と思ったら、動画をくりかえしてる小さなTV画面でした。コマーシャル部分を繰り返すこの装置を見ていても決して購買意欲はわきません。下品な音と映像は騒音そのものです。
国際結婚をしオスロに永住している知人が日本に帰ってきて話したことを思い出します。
彼女によると日本の音の激しさには疲れると言ってました。あるスーパーでカセットが大きな音を出しているのでてっきり故障をしているのだと思いスイッチを消したら叱られたと述べていました。それは、「いらっしゃい、いらっしゃい!」という呼び込みのガナリ声でした。
無音状態があってこそ音も意味を持ってくるのです。単に刺激をひきつけるだけの競合現象がすべての面で見られるように思います。静寂と瞑想を求めて京都に行っても、禅寺の思索の場から観光客の雑踏の場所になってしまっています。
まだ、六甲山の散策の場までは音は追いかけてきませんが。
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by okadatoshi | 2005-04-24 23:33 | デジの目 | Comments(0)
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