昨年叔父が96歳で亡くなり、叔母から送られてきた2013年5月22日付中国新聞の記事です。
コピーの状態がよくなく写真部分は同じ写真が手元にあったので差し替えています。
中国新聞では、昔の「思い出の一枚」の投稿欄があったようで、それに叔父が応募したものと思われます。
父は6人兄弟の二番目でした。長兄は終戦直後亡くなり、男兄弟は叔父と二人になったので親しくしていました。父は一番左に写っています。▼
親族で謄写印刷会社を起業してその京城支社の手伝いのために朝鮮に渡り、母と見合い結婚をして私が生まれました。
二葉の写真(2012-07-23)に当時の画像をアップしています。
青春18切符を使い広島にはよく行き叔父と話しました。「兄貴は中学を出てしばらくは現在の川崎重工で働き潜水艦の納品で呉まで同乗していた。下宿先に遊びに行き新開地の盛り場を案内してもらった」など父からきいたことのない話もしてくれました。
その叔父は広島に原爆が投下された直後の片付けに動員され、被爆者手帳も持っていました。
昭和がどんどん遠くなって行きます。