日本人が世界に誇れる33のこと
b0036638_17261757.jpg
先月に引き続き昨日は、表題の懇談会へ参加。
今回は、どちらかというと一連の政治・経済を中心とした硬派の講演ではなく、外国の方からの好意的な日本の感想と提言という癒し系の話でした。
いつものように話された内容のメモを元にまとめてみます。
講師は、 ルース・ジャーマン・白石(ジャーマン・インターナショナルCEO)です。

★プロフィール

米国のノースカロライナ州生まれ、ハワイ育ち。オアフ島のミリラニ高校、ボストンのタフツ大学、株式会社リクルートのリクルートシーガルズにてアメフトのチアリーダー経験10年。日本語能力検定1級をもち欧米系女性では初の宅地建物取引主任者である。日本人にとっての「あたりまえ」が海外では大きな関心ごととなる。2012年4月26日に株式会社ジャーマン・インターナショナルを設立し、7社とパートナーを組み日本のグローバル化をサポート。
著作:『日本人が世界に誇れる33のこと

●皆さんへのラブレター

今日はバレンタインデー。アメリカのバレンタインは男性が女性へ告白する。
私が小学校5年生の時にクラスで素敵な男の子がいてこの日にラブレターを渡した。
直接渡す勇気がなくて、手紙を彼の教室の机の中に入れた。
授業中に彼が気づき友達をその手紙についてコソコソ話しているのを先生に見つかり授業の中で皆に読まれた。後で二人が先生に呼ばれた叱られたけどとても複雑な気持ちだった。
今日お話しする内容は大好きな日本のみなさんへのラブレターだ。

●2020年へ向けてさらに国際化が進む

この前、有村裕子さんと一緒のときに「次のオリンピックには日本はどうなっていると思うか」という質問があった。それに対して彼女は「日本社会ではバリアフリー化が進んでいる。これからはさらにメンタルな面でもそれは進むだろう」と答えていたが、私も同感。
今まで日本人は外国人に対して“違う”という態度だったが、相手の立場を認めた“異なっている”というとらえ方をしていくだろう。
ハワイで小学校の遠足では、ホノルル動物園によくいく。日本のようなかわいい弁当ではなく茶色の紙袋に入ったサンドイッチを芝生で食べる。1970年ごろ、日本から観光客が旗を持った添乗員についてやってきた。
それを見て先生はハワイに観光に来る日本人は我々を救ってくれていると言った。
当時パイナップル産業は安い労働力のあるフィリピンに移り政府は新産業として、アメリカ本土、カナダ、日本からの観光の誘致に賭けた。
当時街の変化に気づいた。トイレには「女」という漢字が表示され、ホテルマンもプレートに「日本語が話せる」というプレートを付け始めた。
そして、日本語を覚えると就職にも役立つとハワイ自体が自ら変わろうとしてきた。
当時テレビで“人造人間キカイダー”があり楽しみだった。
これらのことは、これからの日本が学んでいく道が見えてくるように思う。

●リクルートへ入社

1986年に1年間南山大学に留学し帰国して日本はあこがれの地になった。
卒業を控え就職を考えていたころ大学で読んだ朝の新聞の左下紙面に「これを読むことができた人は説明会に来て下さい」というというリクルートの広告があった。
そこで訪ねていくと入社して2年目24歳の英語ができない日本女性がいた。こんな若い女性でも社員募集のために海外出張をさせる会社に魅力を感じた。
ボストンでの二次面接では日本語は20%ほどしか理解できなかった。
他の面接者はきちんとした服装だったが、私は動物の絵柄ついた服装で、名前のルーシージャーマンではなく「こんにちは、ルーシーです」と言ったらそれが受けて第一印象で採用が決まったようだ。アメフトのチアリーダーを欲しがったようだった。
他の人は1988年4月1日入社だったが、当時はビザの申請許可がすぐに出る時代ではなく私は12月1日入社だった。
当時本社総務課に配属をされたが、報道陣が50人ほど詰めかけ会社の外には黒い街宣車が来てリクルート事件の直後で「ルーシー、先月社長が逮捕された」と聞いた。
当時は外国人を10人採用していたがそれぞれに別のところに配属され女性の外国人は私一人だった。まだカタカナで自分の名前も書けれなかった。
アメリカ人はディベートが好きだ。ディベートができないとアメリカでは評価されない。
日本語で自分の気持ちを相手に伝えられなくて苦労をした。なんでも辞書を引いたが、“斉藤”が名前だということも分からなかった。ここでの4年間は本当に勉強になった。
外国人で日本語ができる人は少なく“徹子の部屋”にも出演をした。そこで通訳と翻訳の仕事を7年間やった。

●江副さんの仕事の関わり

リクルート時代は“自分のことを相手に伝える”ことを考えたが、今度は“この人とこの人とを通じあえる”努力をする必要があった。
通訳の仕事で辛辣な質問への担当したスポーツ選手の怒りの回答を同情を交えて説明し後で叱られたこともある。両者の間に自分の感情を入れてはいけないということも学んだ。江副さんとはその後も連絡を取り合い江副さんの還暦イベントの司会もやった。
江副さんは非常に着眼点の鋭い方で、リクルートコスモス、ファーストファイナンスなどを手掛けていた。
江副さんは、まだ誰もやらないことをしたいという思いがあり、“マンスリーマンション”を手掛けた。
37部屋でスタートしたがオープンと同時に満室になった。
入居者は、70%以上が日本語が通じない外国人。それまで彼らは商談で日本にきても賃貸契約で長期契約するわけにもいかずホテル滞在で商ビジネスをやっていた人たちだった。そこで江副さんは外国人対象のマンスリーマンション建設をする“スペースデザイン”を設立。私に手伝ってくれないかという電話があった。
この不動産業に関わる方々を引率しニューヨーク研修に行ったがことごとく“ノー”だった。
とてもうまくいかないと江副さんにそのことを言ったら、「日本に15年間もいてまだわからないのか。ノーをスタートにしてそれを変えていくのが日本なのだ」と言われた。
ここでは12年間働いた。マンスリーマンションを1200個、18棟まで増やした。
この間、江副さんが旗を振り皆が知恵を出し合った。
この間、間接・直接的に4万人のビジネスマンと出会い、“日本”をかれら外国人に説明をするという仕事に関わることになる。
たとえば次のような相談があった。
「着任した会社から作業服が送られてきた。背広でいくべきか作業服を着て行くべきか」
それに対して現場主義で行くべきで作業服を着用して行きなさいとアドバイスをする。
リーマンショックになり施設の稼働率が60%に落ちた。
何とかしなければということで、リクルートのAさんから「美楽(びがく)」に「日本人のいいところを書いて下さい。」と頼まれ2年半コラムを書き続けた。
それらをまとめたものが、『日本人が世界に誇れる33のこと』だ。

●大きくかわった日本

このコラムを書くうちに日本に長く住んでいて大きく変わったところに自分でも気づいた。
1988年には街を歩いていても外国語が聞えなかった。
アメリカ人は故郷が恋しくなるとハンバーガーが食べたくなる。
当時、新橋のマックのハンバーガーに行くと私が入っておくとそれを見た店員はあわてて奥に「外国人がきた、どうしよう」と呼びにいった。
今マックに入るとカウンターの向こうに外国人がいる。新橋の店長は日本生まれのインド人だ。
88年当時タクシーに乗って行き先を告げると「日本語お上手ですね」と言われたが、今は「この前乗せたロシア人の方が日本語が流暢だった」と比較をされる。現場ではどんどん国際化が進んでいるということだ。
まだ私が23歳の時に地下鉄の行く先の日本語の表示を見て困っていたら日本人が近づいてきた。助けてくれるのかと思ったら、私に向かい「This is a pen」といって笑いながら去っていった。
今ではおなじような場面で「May I help you?」と必ず声掛けをしてくれる状況になっている。人と関わるというこの流れはもう止まらない。
私がハワイにいた頃の日本人の観光先はワイキキだった。今では、現地のひとに人気な場所や別荘を持っているという人もいてリピーターが増えている。

●日本のよいところ

成田の出国カウンターに外国で注意することを知らせるビデオがある。
その中に鞄を床に下すとき脚の間に挟むというのがある。残念ながら外国では常識。
治安が悪く夜は女性一人では行ってはいけない地域がある。外国人はそれを知っているが日本人は日本と同じと思い危険な目にあう。
・人の正義に頼れる日本
日本にきた外国人の通訳をしていて新宿を通った時に、酒屋の店員が道に商品を置いて中に入っていくのを見てびっくりしていた。カルフォルニアだったらすぐに無くなる。
エレベータに現金の入った財布の落し物を見つけた人が別の管理人室に届けその事実をノートにそのなな記載し落し物を知らせる貼り紙をした。翌日、落とし主は申し出本人に現金がそのままの状態で戻ってくる。
・人の継続力に頼れる日本
私は保土ヶ谷駅を18年間利用しているが毎週木曜日に駅の花が変わる。
去年は私にもいろいろ辛いことがあったがこの花を見ると気持ちが和んだ。
ある日、保土ヶ谷コミュニティセンターで“保土ヶ谷花の会”の展示があり見に行ったら、この花を飾る責任者の方は80歳を過ぎた女性だった。感謝の気落ちを伝えたら向こうはびっくりされていた。やりだしたら継続する力に頼れる日本がある。
・人の慎重さに頼れる日本
日本は即答しないディープシンキング。インドに何度かいくが、インドは早い者勝ちでyesが返ってくる。しかし、翌日会うとそれは実現しない。日本は時間がかかるが、yesが出れば確実に安心できる。そういう国は他に無い。
・人の親切に頼れる日本
日本のおもてなしはさりげない。 温泉旅館に行けば上がると靴は片づけられる。座ると暖かなお茶がすっと出てくる。
・人の思いやりに頼れる日本人
外国に行くとクラクションの音がうるさい。日本は鳴らさない。
信号が青になって前の車が動かなくてもしばらく待つ。運転手は次のようなことを考えている。
前の方が高齢の方だとびっくりして事故が心配。気づくのを待っておればいい。
自分の行動が他の人への迷惑になるいのかどうかをいつも考えている。
・人の礼儀に頼れる日本人
アメリカのスターバックスにはびっくりする。パンくずだらけで床にも落ちている。店員さんの服装もだらしない。
私がハワイに行き日本の習慣で机の掃除をしたらそれを見ていた店員が目を見張って驚きに表情をしていた。
アメリカでも個人の家は清潔だ。公共の設備では、give up をしている。
ただ最近は危険信号も感じられる。
ある場所でコーヒーのこぼした汚れがありその旨を言った。店員のプレートの名前を見ると外国人だったがそれなら、上のマネージャが指導する仕組みが守られないといけない。

●ほんとうのグローバル化へ

今日本文化を外国人に伝えることをしている。
寿司屋でお茶の粉をわさびと間違えて醤油に入れたり、ネギを傍の出汁に入れないでそのまま口に入れる外国人がいる。日本の習慣を外国人は教えられる機会がない。
DVDでは翻訳の字幕が出るが英語の字幕があればいい。見ながらヒアリングを英語を学ぶことができる。和製英語でない言語の獲得をし、外国人に説明をする。
また誇れることは守りたいと自覚し、それを注意し、実行すること。

周りを見る目も多角的になってきた。
オバマ大統領の日本訪問の狙いをワシントンの見方と日本側の見方の違いを比較しながら報道をしていた。こういう報道は今までにない視点と感じた。
[PR]
by okadatoshi | 2014-02-15 17:29 | 講演会記録 | Trackback | Comments(2)
トラックバックURL : http://okadatoshi.exblog.jp/tb/22069244
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by shinmama at 2014-02-15 20:28 x

テレビ番組の「Cool Japan」が好きでよく見ますが、 
日本人の良いところを外国人から褒めてもらうと嬉しいものですね。
日本では 当然のこととして認識していることも 海外旅行をしてみると 通用しないことが多く そのカルチャーショックも 好きです。
私が この講演会に出席していたら 「もっと言って、もっと褒めて、、」と有頂天になってしまった気がします。(笑)

今回も 講演会の内容を 詳しくまとめていただき ありがとうございました。
Commented by okadatoshi at 2014-02-15 20:50
shinmamaさま
海外にでかけてホテルで他の国のツアーとぶつかると
改めて日本人の団体行動のマナーの良さが感じられます。
お土産物店にか行ったときに試食を日本人と近隣の某国に
分けて店の方が出したのですが、彼らがイナゴの大群の
ように奪いにきて、向こうの人には国の違いがわからないかもと
恥ずかしい思いをしました。

日本にくる外国人は、観光地でもホテルのサービスでも
逆のカルチャーショックを受けるのでしょうね。
以前の勤務先の外国人英語助手の方が、2回財布を
落として2回とも本人に交番から連絡があって戻ってきて
彼は「こんなことは他国では考えられない」と言ってました。
2回も落とすのもどうかと思うけど。

昨日、地下鉄を下車した時に切符売り場に手袋が
1組残されてました。
駅員さんに持参して
「このまま、元の場所に残した方が本人が帰ってきて見つけやすいか
お届けした方がいいのかどちらでしょう?」
と言った自分に、これは日本だから言えることだと
思ったのでした。
<< 5℃から35℃の街へ(1日目) どこでも彩色スケッチが描ける >>