11/17のblogで現職時代に勤務した30周年記念の事について触れました。
授業で参加できなかった午前中の式典で配布された“30周年記念誌”が届けられてきました。
この冊子には、6/1のblogで掲載した“
縦糸としての関わり”とする文章を載せています。
現職時代には6校の異動がありその内、本校には創設の最初から教諭として勤務し、再び最後に着任をした思い入れの強い学校です。
歴代管理職が壇上で紹介される場面でフロアをデジカメで私が撮っても「あの人なら・・・」と許される会の雰囲気でした。
改めて本校関係のものを探して見ました。
左は最初の学校要覧。勤務校のものは全て手元にあります。
右は10周年記念誌。10周年記念の準備をして翌年異動をしました。▼
左は20周年記念誌で管理職として関わりました。右が今回の30周年記念誌です。▼
一回生には進路指導部として関わり生徒向けに毎週(後に旬刊)手書きの通信を発行しました。先輩がいない中、進路情報をこの通信に込め多くの教員が執筆に協力をしてくれました。▼
必要と思えることは大胆に提案できた時代と学校でした。
1986年当時のパソコン教室です。RS232Cで48台の子機を繋ぎCAIのソフト開発をし授業に使いました。
この年、400人ほどの見学者。当時の国内の普通教室では最先端の設備でした。▼
若い時の私が写っています。(*^_^*)▼
改めて膨大な資料のまとめをしていく時間になったかなと思います。