スクラップ38年(1)を8/27にアップしてから海外旅行を挟み随分と日にちが開きました。
昭和44年(1969)10月1日の毎日新聞です。(クリックで拡大)▼
家庭科が女子のみ4単位必修となり、男子は、1~2年で体育が女子よりも2単位ずつ多いというカリキュラムでした。現代の感覚で振り返ると今では考えられません。
また数学の数1,2必履修が、数学1のみ必履修になります。
新任時代には、日々の教材研究と生徒との付き合いで忙しく、どのような法的な根拠のもとに学校経営がなされているのかなどは、考えもしませんでした。
戦後の学習指導用編成については、
学習指導要領の変遷・概要
戦後の学習指導要領の変遷
で概要が掴めます。
高校紛争も全国的な高まりを見せ、高校急増期の中、進学率も上昇して、生徒の学力差も開いてきました。
当時は、高度経済成長の中で教育内容の現代化と高度化が進みます。
この後、「詰め込み教育」、「教育内容の消化不良」などの批判を招くようになります。