戦後処理と東西冷戦も今は観光資源(2日目)
最初のホテルは、フロントとバーカウンターが同じ円形リング内にあり全部と後部で分かれている作り。」
朝食はアメリカン又はビュッフェスタイルでこれは、今回の全日程で同じだった。
市内観光の最初に、東欧から流れ込むスリ集団に気を付けることと夜間の市街地を歩くことは危険と注意を受ける。
バスは、ハンガリー人の28歳の気のいい青年。大型バスで50席以上あり、ツアー参加者は12名なので、毎回好きな場所に移動した。車内で、ミネラルウォーターを1ユーロで販売。

午前中はポツダム市へに、世界遺産ツェツィリエンホーフ宮殿へ。
第二次世界大戦終結に向けて、戦後処理のためのポツダム宣言の署名がされたところとして有名。プロイセン時代500年のプロシャ地方の主都。
当時皇太子であったヴィルヘルム2世のために建設された宮殿。正面の画像はよく見るけど、左側には小さな皇太子が喜ぶようにと人の顔に見れる屋根の装飾がある。▼
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室内には、ポツダム会談と署名がされた部屋が保存されている。米英ソ首脳が同時に入室できる入口が別々に用意されている。(画像はクリックするとすべて拡大します)
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フリードリヒ大王がベルサイユ宮殿を模範に建てた離宮、サンスーシ宮殿
へ。宮殿の右側に、フリードリヒ大王と彼が愛した11匹の犬が墓が生前の希望によって近年作られている。ジャガイモを奨励した王で墓にはジャガイモが供えてある。▼
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再びベルリン市内へ戻り、午後から市内観光。
ブランデンブルク門。1961年8月13日までは門の下には東西ベルリンを行き交う車や人で賑わっていた。この日開始されたベルリンの壁建設により門は通行禁止になる。今は、観光客やコスプレ大道芸人などで賑わっている。▼
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残された」壁と境界線。▼
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崩壊後、残された壁には、当時の若い芸術家が様々な絵を残し、現在その保存が考えられれいる。これは、「ホーネッカーとブレジネフの熱いキス」を描いた戯画。
バスがサービスで停車し、撮影ができた。▼
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この後、ペルガモン博物館へ。博物館島にありヘレニズム文化の再現には、圧倒された。帝国主義全盛の時代、競って古代遺産の収集され持ち帰られてもの。これらの国が返却を求めるのもわかる気がするが、逆に持ち帰られてことによって、遺跡の保存がされたともいえる。
ゼウスの大祭壇。▼
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バビロンのイシュタール門 。▼
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東ドイツ時代につくられた信号機の表示マーク。アンぺルマン人形といわれ東ドイツのお土産店では関連グッズが大人気。▼
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(19:30)ドリスデンのgold inn dresdner heideホテルに到着。
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by okadatoshi | 2012-09-06 23:59 |   中欧5か国 | Trackback | Comments(0)
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