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母校の90周年記念式典
勤務先から帰宅すると周年記念の招待と学校創設者について述べられた冊子が配達されていました。
私が同窓会の京阪神支部の会長であるためでしょう。残念ながら当日は、勤務のために参加できませんがこういう郵便が来ると高校時代のことへ自然に思いが馳せます。▼
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古い木造の校舎で3年になると県下で初めての鉄筋校舎に入れました。もっとも、この校舎は基礎工事がしっかりしてなくて傾斜がつき机の上で鉛筆が転がり今は建て直されています。

母校は自由な気風が根強く残っている学校でした。
終戦直後は各県の行政にタッチしていた“進駐軍”の方針で鳥取県の学校は当初土日が休みでした。
やがて土曜日も授業日になる中、母校は最後まで県立高校の中で土曜日が休みでした。
喫茶店の出入り禁止も最後まで緩やかでした。下駄ばきでの登校禁止も最後まで頑張りました。60年安保の時には別の県立高校では退学者も出ましたが、母校ではデモの企画をした有志と深夜まで教師と話ができて(説得され当時の言葉でいえばヒヨッタ?)処分者などは結果的に出ませんでした。

当時は、あこがれの学校の条件に進学率の高さと共にその学校の持っている校風も大きな要素であったと思います。親兄弟が行ったからという地域性も色濃くありました。
同じ傾向は大学にもありました。しかし、コンピュータの導入と共に、成績が物差しとして定着しそれと並行して薄切りハムのように偏差値の一人歩きによる学校の序列化が進み学校の独自性が消えて行きました。
そして受験生も学校ランクの呪縛に捕われるようになったのです。

私の場合は、母校の伝統というよりも集った友人との付き合いの方に愛着があります。何者になるのかもわからない混沌の中で、ぶつかり合いながらミクロの中にマクロがある3年間を過ごしました。
よく徒党組んでは先生の家に遊びに行くと、先生は茶菓子を出して広間で輪になって“人生”を熱く青く語りました。そういう教師になりたくて、将来は教師になることを高校時代にごくごく自然に決めました。

就職した当時は、同じように生徒たちが毎夜のように下宿へ訪ねてきました。
しかし、最近は勤務を終えた教師の家に遊びに行くなどという「失礼な」ことを生徒はしません。
昔は教師の“あだ名”をつけ歴代の後輩が継承して呼ぶようなこともありません。名前はおろか「あの国語がさ」などと教科名で呼ばれる抽象化された「教師」になっています。
昔はあった郵便友の会で知り合ったペンパルへの日数かけての郵便を待つなど今はありません。
リアルタイムにメールや電話のできる昔は夢でしかなかった最強のコミュニケーションツールがあります。しかしその便利さと引き換えに時間をかけた豊かな考える時間のやり取りを我々は失いました。

私が生徒だったころにはあった独特の屋根をした講堂と当時は珍しかったプールです。▼
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by okadatoshi | 2012-05-02 23:24 | セピア色/若い時代 | Comments(4)
Commented by shinmama at 2012-05-03 08:21 x
息子は中高一貫の男子校だったのですが、高校では私服通学が認められていました。

慣れて来て、だらしない恰好で通学する生徒が現れたころ、
同校のOBである担任の先生が 自分たちの世代が いかに 苦労して 学校に交渉し、制服ではなく私服を許可させたかを 詳しく そして熱っぽく話されたそうです。

最後に「お前たちは 俺たちの思いを どう考えるのか?」と問題を投げかけられ、「まいった。先輩の言葉は重い」と息子が苦笑いしていたことを思い出しました。

風貌から「ザビエル」という名前で 生徒たちに親しまれていたその先生とは いまだに親子ともども交流があります。
Commented by kazewokiru at 2012-05-03 09:01
okadatoshi 様
仕事柄、学生さんも相手にしています。群れになってる学生さんの話に耳を澄ましていますと「あの国語がさ」に似た内容を話し合っています。
我々の頃の教師⇔保護者⇔生徒の関係が、現在に変わった分岐点は何だったのでしょう。
#部活が帰宅部の生徒さんは特に冷めてるように感じます。
Commented by okadatoshi at 2012-05-03 09:06
kazewokiruさん
高校の地域性が失われたことや、教師のサラリーマン化、学校以外に興味関心が多すぎる。
地域・保護者の学校教育への希薄さなどがあります。
口うるさい地域の頑固おやじも貴重な存在ですよ。
Commented by okadatoshi at 2012-05-03 09:14
shinmamaさま
実は、母校について書くことは難しいです。
内輪の機関誌ならいいのですが、関係のない方には(特にエリートとみなされる出身学校の場合)第三者には自慢たらしく読まれるケースがよくあります。
私の母校は、旧制二中が母体で世間的には旧制一中が母体の学校が上位でその次の学校という見方がされています。私はこういう本人の資質以外のレッテル貼りが嫌でした。
地方の高校には卒業生の生え抜きの方が、母校の後輩を教えるという特別な感情を持って長年勤務しています。公立でありながら私学のような建学の精神を伝える独自の校風があり同窓会のバックアップもしっかりしています。これらは、新設校や輪切りが進む都心の学校にはありません。
最近の中学の進路指導も、たまたま学力にあわせ進学先を振り分けられているケースが多いです。
その地方の頂点とされる学校以外は、「回された学校」というスタートから自己卑下する弊害も少なくありません。
いい時代と人に恵まれたと思っています。
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