SNSに誕生日を公開することもあって最近は誕生日になると、メールでお祝いが来るようになりました。今朝もfacebookでたくさんのお祝いの言葉を頂きました。
ざっと、節目の日の日記を読み返しました。30歳の時以外は、特に気負いもなく普段の一日と変わらない記述です。忙しかったのだなと改めて思います。▼
1962/4/20(金)
20歳の春。別に変化は起こらない。大人になることではなくその年に応じた思考力を持つことが必要なのだ。夜、Kとサントリーをのみマージャンをやる。
1972/4/20(木)
とうとう30歳になった。
20歳になったときはうれしかったけど、20代から30代へと移る気持ちは、自分の気持ちの準備よりも年の方が先にどんどん経て言って・・・というような気持ちである。(中略)
私の青春の終わる、これからは飛び跳ねて若がって無理をしているなというささやきが聞こえそうである。
若さの象徴は旺盛な好奇心であると思うのだが年を無視してでも自由にありたいと思う。
高校時代は早く大人になりたいと思っていたが、振り返ると大人というのは案外に無気力であり、饒舌であり、無感動であり始末に負えない存在であると思う。かつてはあった瑞々しい情感と引き換えに停滞し安定に見える生活を得たに過ぎないのではと思う。
(後略)
1982/4/20(火)
次女は鉛筆箱、長女はブックカバーが誕生日のお祝いとか。
次々と仕事があり落ち着いて教材研究ができない。
40歳!と職員から冷やかされる。
1992/4/20(月)
50歳の誕生日。いよいよ最終段階という感じではある。晴天。
2002/4/20(土)
午前中、育友会の拡大理事会。新しい会長はSさん。喫茶店経営をしているとか。
夕方、家族と共に西神の「nano」へ。私も還暦の大台に乗った。
2012/4/20(金)
60代を前にして、退職で収入が少なくなりことや社会とかかわりがなくなることの漠然とした未知の生活への不安があった。
その60代を終えてみると現職時代の経験を生かして若い人とつながる場も得られ、つれあいとの旅行や登山もできたご褒美の時間が持てたように思う。
午後8時に孫から電話。「おじいちゃん70歳おめでとう。」
家族も増え、10年前の不安感よりは70代という年齢を重ねる中でどのような物の感じ方の変化があるのかというわくわく感の方が今は強い。