人気ブログランキング | 話題のタグを見る
評価を出す
 今日は成績を一校に出し、もう一校のものは仮成績をネット経由で入れました。いずれも、レポート関係の締切日を過ぎても、発送ギリギリまで一応待っています。
 私の学生時代は、優・良・可・不可でした。今は、A・B・C・DでAの上にS(秀=90~)があります。Sを4(GP=4)としCが1で平均点を出して企業などの求めに応じて学業の評価として出すようです。
 最近は採用試験などの問題と解答は公にされていますし、大学によっては不合格者の成績を次回受験する時の参考に求めに応じて本人に公開をするケースも増えてきました。
 私の関係している学校も成績を出してから一定期間内、評価に対し学生が理由を聞く期間がありそれまでは評価基準の資料を残すように連絡が入っています。
 平常試験を横軸に縦にレポートの評価を撮って散布図を採ってみると次のようになりました。相関が見られず問題を解く学力と表現能力とは関係がないといえます。もし、評価に対して異議が出れば、評価基準は示せるように資料は保存しています。▼
評価を出す_b0036638_21325764.jpg
 現在小中高では、校長が各教員の評価を教育委員会に出し本人から申し出があれば、その評価の理由を本人に説明をする制度が私の退職後に入ったようです。 評価基準もオープンにするのが流れかと思います。
 私の学生時代には、試験の結果を知らされたり答案を返却された記憶がほとんどありません。というよりも教養部時代の評価方法は「謎」でした。
 地学では野外実習で形のいい化石を拾えば優とか、語学以外はのんびりした講義と試験でした。試験のときだけ異常に人数が増えて出席に関係なく単位が出る教科が結構ありました。
 印象に残っている試験が統計学です。当時外国での研究を終えて帰国した教官がランの理論とかを授業で話していて、「AとBの集団が輪になったときAとBの切れ目を1ランといい、その切れ目がN個(Nは忘れました)のとき、このグループは仲良くなったといえるかどうか検定せよ」というものでした。am9時に教室に用紙を持って現れ、この問題を黒板に書いて「私はpm3時にまた来ます。図書館に行こうが相談しようが自由にしてください」というものでした。出した結論は仲良くなったで出したと思います。受講者一同で合作したと思います。出題者も問題に集中して何かを推論した痕跡があればいいとしたのでしょう。
 いまどき、この調子で講義や試験をやればブーイング。

 大学生の質もかなり変わってきています。今や、大学生になったことでインテリ意識(死語ですが)など持たないでしょう。
 文部(科学)省「学校基本調査」によれば、ここ50年あまりの進学率の推移は次の通りです。私が進学した当時は15%ほどであった大学進学率は今や半数以上が進学し、労働力が飽和する防波堤とし大学の4年間が遊民化しているように見えます。▼
評価を出す_b0036638_21331961.jpg
 史上最悪の超氷河期と言われ、留学希望者が減って学生の内向き志向の懸念が言われていますが、これだけ多くの大学生が卒業してもその専門性を生かす受け入れ場所が今の社会にないのは自明です。かといって、大学に行かなくても技術を生かす場も昔のようにはありません。安い海外の労働力とは競合しない日本独自のサービス産業のノウハウの技術とか海水の淡水化技術などまったく新しい産業や仕組の開発の先端を行くことが日本の産業の発展の道に思えます。知を作り出す基礎研究の可能な構造的な改革が教育と社会の場に必要でしょう。
by okadatoshi | 2011-01-21 21:35 | 情報/数学/授業 | Comments(0)
<< 視覚障害の方の学習会(3) 有馬七曲滝の氷瀑(3) >>